犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

川面、稲、雲が揺れる

2014-07-31 07:27:27 | 日記


 6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 川沿いの道を遡り、2つ目の枝道を左に折れ、丘陵の頂の手前で左折し、市の施設に横から入り表の方から出て帰る。晴れている。風がかなりあり涼しい感じがする。

 川の水表が風で模様を作っている。窪みと隆起、それは常に変化していた。窪みは平らになり隆起し、隆起は平らになり窪みになり、窪みは平らになりまた窪みになりなど、あらゆる変化のパターンがあるようだ。それを目では確かめていないけれど。
 水田を風が渡るのが稲の先のなびきで分かる。稲が伸びているのでかなり大きく揺れる。さっと行く風もあるし押しては返してという風もある。一旦、何かの信号のようにも思えたがすぐにそんなことはあり得ないと否定した。
 空には雲が急に増えた。東の雲は太陽を覆い、直射日光を避けられて大変凌ぎやすくなる。高い雲、低い雲、灰色、白色、銀色とそれぞれの色の間を連続的に変化している色、ふんわりした雲、尖ったような雲、群れたような雲、薄い雲、厚い雲と雲の展示会であった。
 川面の模様、稲のなびき、雲の様子は主に空気の動き、風によっている。何も意味を持っていないように思える。
 踏切の警報が鳴り始めた。これも意味がないのではと続きで一瞬思ったが、いや、これは意味があると思い直した。

 風鈴の音が聞こえないと思ったら、風鈴は外されていた。風が強く、却ってうるさいからだろう。微風で鳴らず、強風で外される。丁度良い時というのは滅多にないのだ。

 犬は草のある所に鼻を付けて進む。バッタが飛び出すと犬はハッと飛び上がる。今度は向こうに何かが行った。これまた、飛び上がる。トカゲだろうか。枯草があると特にそれを嗅ぐ。犬は完全に自分の世界にいる。それが幸せならそうさせておくしかあるまい。家の中では味わえない体験である。

 ニイニイゼミが鳴いている。あの小さな体からこんな大きな声が出るなんて。でも、一様なので声が大きいなと思うだけだ。クマゼミはリズムがあって訴える力が強い。音自体も大きい。電柱に止まったクマゼミが必死で鳴いていた。腹を大きく震わせている。そこだけが別の生き物のようにも見えた。
 水田からはカエルの鳴き声がした。何と和やかで寛いでいるように聞こえることだろう。本当は和やかでもなんでもなくセミの鳴くのと同じ目的を持っている。生きるというのは変化することであり、外に向かっては戦いという形をとる。

 7時10分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。

 出事があるので早目に散歩に出掛けたのだが、先程、理髪店から帰る時、太陽はカンカン照りで今夏で一番暑く感じたが、どうしたことだろう、急に曇って風が出て来た。天佑というものだろう。ただ、アスファルトは流石にまだ熱い。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。浜辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。

 ウミネコが1羽、上空を飛んでいた。人はかなり出ていた。50名くらいだろうか。波はないが、風によって小さな模様が全水面に付いていた。

 早く早くという思いばかりで余裕をもって周りを見ている暇はなかった。

 4時半に帰着。

朝の風が一番

2014-07-30 07:32:38 | 日記


 6時5分に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。晴れているが東の方は雲があって上手い具合に太陽を隠している。東風があって清々しい。特に橋の上ではじっとそこに立って居続けたいと思ったほどだ。

 これまでは散歩から帰ってクマゼミの鳴くのを聞いたものであるが、今朝は散歩の前から鳴き始めていた。道の両側から鳴かれると挟み撃ちで耳をつんざかされるようで一刻も早く走ってそこを脱したくなる。
 道端の家の風鈴が2,3回鳴った。

 道路ではカニとキリギリスが交通事故に遭っていた。草原の草が刈られると飛び出しをするのだろう。

 水田の稲は毎日伸びている。風が渡ると一様になびく。全体を見ているとそのなびきが順次伝わっているのが分かる。

 頂を越えた頃、向こうからジョギングをしている人が近付いて来た。公園に2匹の小犬を連れて来る人だ。犬の頭を撫でてくれた。

 命豊かな川には小さい魚の群れの一団しかいなかった。あれだけいたのに。移動したのだろう。どこへ。海へ帰ったのだろう。

 犬は国道に戻ってから2,3度腹這いになって休んだ。

 7時20分に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時半に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 公園に行く。白い網で木に止まったセミを捕っている人がいた。捕ったセミを子供にあげようとしたが、子供はセミが怖くてパニックに捕らわれていた。
 グラウンドでは高校生だろうか野球をしていた。みな顔はよく日に焼けていた。ある面では人生のベストの時期であろう。そんなことを知る由もなく、そんなことは想像にも及ぶまい。また、逆に考えているかもしれない。
 人間の幸せはここに在るのかもしれない。その幸せの絶頂を自覚できない。丁度、病気になって初めて健康の大切さ有難さを感じるように。
 自分の状態と認識が一致しないのは人を活性化するように思える。そして、これは逆境の時も応用できる。最悪の状態に陥っているのに、それ程、落胆せず、暢気に構えて居れる。すると、状況は展開し最悪の事態は回避できる。このシンクロしないタイムラグは人間の歴史から自ら習得した叡智ではないか。私自身の頭の回転が極端に遅くなっているのも捨てたものではないのかもしれない。


 このところ室内での犬の態度が少し変わってきた。少し甘えるようになった。
スフインクスのように前脚を前に出して座っている時、首筋を揉んでやる。すると、じっくりと姿勢を変え横向きに寝る。そして上の位置に来た前脚を上げる。腋を揉んでもらいたいのだ。片手で首筋、片手で腋を揉む。涼しい時は良いが、暑い時はこちらが汗ばむようになる。


 海岸に向かい、海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。北に向かう。小さい砂色をしたスナガニがちょろちょろしている。いや、砂の上を滑るように滑らかに走る。クモの走りを思い出させる。何十匹も見た。その辺りにあるカニ穴は直径が3,4cmもあるもので自分の巣穴ではないようだ。巣穴を失ったスナガニが続出している事態は異常発生など何かを暗示しているのか。
 川に至り引き返す。犬は何度か濡れた砂の上に腹這いになった。

 グラウンドに戻って来た。野球をしていた高校生たちが、にちはと下を向いて言う。汗びっしょりだ。こんにちはと返す。

 公園では3種類のセミが鳴いていた。ミンミンゼミにアブラゼミにクマゼミだ。もう、みんな時間を守らずに鳴きたいときに鳴いている。昔は午前はクマゼミ、午後はアブラゼミと決まっていたものだが、今のセミは昔のセミとは違うのだろうと思うしかない。

 犬の歩みは明らかにスローペースになっている。暑いし疲れるのだ。が、信じられない位、急に力強く引っ張り出すことがある。それは先に猫を見つけた時だ。だが、それは一時的な興奮であって元気が回復したわけではない。

 6時10分に帰着。駐車場のフェンスの所に小さいヤモリがじっとしていた。結構な蛇紋が目を引きつける。赤茶色だったらマムシのものだが、これはモノクロームに近い。ちょっと触ると一大事とばかりに体をくねくねさせて移動した。全然逃げたことにならない。

室内を駆ける犬

2014-07-29 07:20:27 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 大型の商業施設群の手前まで行く。晴れていて東風がある。建物に光が遮られている所は風もあって涼しい。空気が涼しいのだ。つまり、朝、気温が下がったのだ。夏の朝は良いものだと思った。枕草子には夏は夜とある。

 踏切を横切ってしばらく行くと上から犬の吠える声がした。何とも激しく必死である。それが犬の意思によるものだけに余計に可笑しくなった。本気をからかってはいけまいが。最近、近くで急に大きな音がしてもそんなに驚かなくなった。

 商業施設群の手前のグラウンドではラジオ体操をしていた。こちらに向かってくる小学生を先程、見掛けた。

 歩道橋を渡って田園地帯に出る。稲がどんどん伸びてもう、私の腰ばかりの丈になっている。シラサギが飛び立った。足を下にしていたがすぐに後ろに伸ばした。稲の緑にサギの白、とても鮮やかであった。

 川と反対側の草原にクズの赤紫色の花が咲いていた。川の土手の合歓の木は早くも種子の入った莢を垂らしていた。まだふくらみはなく平らである。空を9羽のウが旋回していた。着水しようかどうか相談して決着がつかないようであった。  

 7時10分に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時半に犬の散歩に出掛ける。

 犬は早く散歩に行きたくて仕方がない。私は少しでも遅く出発したい。勿論、高い太陽の光線を浴びたくないし、犬にも浴びさせたくないからだ。
 用があって階段を降りると犬はその階段の2段目まで足を掛けて待っている。
 ラブや、外は暑いんよ、まだまだと言っても分かるはずもない。
 私は給餌と給水、そして散歩の付き添いとしての役割しか認められていないようだ。そうとしか思えない時も確かにある。

 昼前にジャーキーのお八つを手ずから与える。

 コーヒーカップを片手に2階に上がろうとして犬を見ていたら、急に犬に牛乳を飲ませたくなった。自分だけが美味しいものを飲んで犬には水で満足させようとするような気がしたからだ。優位者はいつも負い目を解消できない。
 犬は牛乳パックに鼻を付ける。以前にもやっているからだ。駄目、お座り。皿に牛乳を入れると飲み始めた。駄目、お座りと言う。ところが、ドッグフードを食べさせるときには、その言葉を発する前に効き目のある「お座り」も全く意味を成さなかった。駄目、駄目。私には牛乳を舐める犬に働きかける魔力を感じるだけだった。乳がすべてだった時があったのだ。

 次に下に降りた時に犬は熱心に私を見つめた。今度こそとの期待がその目に溢れていた。私は北の玄関に行き、施錠を解き、黄色の手提げ袋を持って戻って来る。その手提げ袋にビニ―ル袋を補充し、食パン半分をオーブンにセットする。
 犬は室内を駆け出した。それは庭にリードを外して放した時と全く同じ行動のように思えた。軽快に跳ね、逃れ逆転し姿勢を保つ。その行動に知性さえ感じさえるものがあった。周囲を見て感じているのだ。余りに正確に再現されているので驚いた。しかし、考えれば場所は違えど、犬はパターン行動をしているのに過ぎないのだろう。止めれ。危ないっちゃ。怪我をしたらどうするんか。衝動故に収まるの早かった。

 いつものコースである。これまで知らない人だが車でここまで来て浜を散歩させていた人がいた。

 浜からの帰り、犬を抱いている人がいた。この暑い時季に犬も人もこのようにあるまいにと思った。

 6時に帰着。

ドッグイヤー

2014-07-28 07:11:01 | 日記


 6時に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 隣の駅の近くまで行ってヘアピンカーブを曲がって戻るコースを歩く。珍しく朝から本格的に晴れている。風はないが、放射冷却だろう少し涼しい。

 アスファルト舗装の隙間に生えている草が大きく育っている。それに露の玉が載って朝日に光っていた。じっと見つめていても飽きない。露があることで草の緑が引き立てられていて、それが更に露の小さい球を光らせた。肝心なのは小さな物、小さなことだと改めて思う。The ABC Murdersにもそういう台詞があった。

 犬は外にいる時に見ると少し痩せたかなと思うが、家の中の絨毯の上で腹這いになっているとまるでコロコロと太ったアシカかアザラシである。

 7時15分前に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時20分に犬の散歩に出掛ける。

 南の玄関からいつものように北の庭に向かった。
 犬は地面の猫の痕跡より木の上の現実に生きているセミの方に関心を寄せていた。犬が木に近付くと敏感にも最初に危険に気が付いたクマゼミが飛び出す。その羽音や悲鳴に合点とばかりに十何匹ものクマゼミが順次飛び立って行った。午後は余り鳴かず休んでいるクマゼミだが眠っているわけではない。短い余生を生き延びねばならない。休んでいるのは今夜も生き延びて明日早くから懸命に鳴くためだ。

 ドッグイヤーという言葉がある。人の1年は犬の7年に対応するとする考えだ。我が犬は8歳なので人に比すると56歳位。私より若いが、それにしてもかなりの年齢だ。
 私がその年齢だった時は、と言っても何も思い出すことはないが、犬が何時も見せる直情的な行動をすることなく、殆ど諦めがちにすべての流れを素直に在りのままに認めるしかないかと思い始めた頃ではないか。
 セミにしても数年の地下生活から抜け出て10日位の地上生活で生殖行為を行う。アッハである。人間でいったら、80,90の爺さん婆さんになって初めてせっせと励むのか。そうではあるまい。縮尺が違うのである。先の犬の例でも、人間の56歳には対応しないだろう。
 生命は基本的に生殖を果たせばその個体は死んで良いのだ。所でセミはどうして死ぬのだろう。老衰というものだろうか。生殖を果たせば死ぬように遺伝子が組み込まれているのだろうか。

 6時10分前に帰着。

多様なムクゲの花の色

2014-07-27 07:23:32 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。

 海岸道路を通って礫岩広場に行く。先程まで雨が降っていた。水溜りがあちこちに出来ていて犬はこまめにその水を飲んでいた。遠くの空でゴロゴロと雷が鳴っている。

 海岸ではサーファーが波の様子を見ていて海に入るかどうか決めかねている風であった。

 礫岩広場に着いた。この辺りは駐車した車がたくさんあったものだが今日は1台もなかった。従って釣り人も一人もいなかった。厚い雲のせいか、辺りは暗く目がよくきかない。

 雨のお蔭で気温は少し下がってるが湿度は高い。このところの猛暑に参っていたのでこれは少し助かる。読書をしていても汗が流れる。机に溜まる。水分補給をすればただちに汗となる。

 ムクゲの花がたくさん咲いている。爽やかな感じがする。花は案外に大きなものだ。白いの薄紫の芯の方が濃いのなど色も様様である。ムクゲに似た花でフヨウというのがある。こちらは最近、見たことがない。葉が大きく見間違えるはずはないのだが、この辺りにはないのかもしれない。

 7時15分に帰着。散歩中はニイニイゼミが鳴いていたが、今はクマゼミ意外は聞こえない。




 昨夕の散歩について

 5時20分に犬の散歩に出掛ける。

 犬は庭のヒイラギにいるクマゼミに気が付いた。狙っているようだが、今日はセミの勝ちであった。気配を感じて早々に飛び立った。隣りのツツジからも飛び出した。ツツジの葉が小さな青虫に食われている。

 参道の黒松並木のそれぞれに神社の青い幟が括り付けてありそれぞれが受けた西風に応じてはたはたとはためいていた。

 グラウンドから西の丘に登る。そして反対側に下る。

 海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。西風が強い割には波は立っていない。空をウミネコが4羽、巧みにお互いの距離を取りながら風に乗って舞っていた。別のグループのウミネコもそのように飛んでいた。

 太陽は雲に隠れている。浜辺で少し休んで戻る。風が良かった。

 6時15分前に帰着。南門を入ってすぐに犬が狂ったように勢いよく駆けだすので、これは先に猫がいると感じ遅れないように北に向かって走った。果たして猫の逃げる姿は一瞬見たが、それっきりである。猫がお土産を残してくれなければいくらでも滞在してもらって結構なのだが。