犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

話には人生の仕掛けが潜んでいる

2014-04-30 07:44:23 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。曇っていて風はない。空の所々に青い部分がのぞいた。久し振りだなと思った。これまで散歩のコースが長過ぎ、それで犬は関節炎の初期症状を呈するようになったのではという反省から大胆に距離を短縮してきているが、この丘陵の頂越えのコースだけは変更したくない。犬も1週間に1回くらいちょっと足を伸ばしてもそんなに負担にはなるまいと勝手に考える。

 踏切を横切ってすぐの所に倉庫兼駐車場のような建物があるがそこへツバメが入ったり出たりしていた。巣があるのか、巣を作るのか、安全かどうかの確認か、兎に角、忙しそうだ。

 北の山山から白い雲が谷に沿ってじわじわ山頂の方へ登って行った。晴れるのだろう。

 川に至る。川の中を見ていると黒い雲が動いている。それは何百という小魚が群れているのだった。そのメダカより少し大きい小魚が群れの形を変えながら動いている。その群れがあちこちにある。

 少し下るともう少し大きい魚の群れがあった。水面を波打たせて右に左にと動いている。
 カメが取り残されたように頭を上げてぽかんと浮いていた。向こうに大きなシラサギがいる。大きなコイが背鰭が出る位の浅い所にいるのをいつも不思議に思っている。サギやカラスなどにやられないのか。大きいのでもう大丈夫なのだろうか。

 参道に戻って来た。横切って反対側の歩道に行く。前に人がいたからだ。ゴミを出しに来たようだった。ところが、その人も反対側の歩道に向かって殆ど同じ所に着いた。目が合ったらしく、犬は当然尻尾を振りながら近寄って行った。相手の人は最初躊躇していたが、犬の笑顔に負けたのだろう、手を伸ばして頭を撫でてくれた。なおも犬は尻尾を振り、顔を細め嬉しそうな表情を見せた。
 「まあ、初めてなのにこんなに親しく馴れて。嬉しくなる。」と感動したように言って両手で顔全体を包んで撫でてくれた。
 「どうも有り難うございます。」
 この人にとって良い朝になったようで嬉しかった。
 前の飼い主から隣の人や誰からもラブちゃんと可愛がられていたという話を聞いたことを思い出した。この犬はきっとそういう人たちのことを今も覚えているに違いないと思った。
 今日は月末なのでダニ除けのフロントラインという薬を首の後ろに付けてやったがじっとしている。寧ろ嬉しそうだ。これも前の飼い主の躾のお蔭である。

 7時35分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。小倉の親戚がリードを持ってくれた。

 私は後ろを歩いているのだが、左後ろ脚のふくらみが依然として消えないなと思った。そのふくらみに気が付いて、もう2,3か月にはなろう。咽喉のふくらみもある。どちらも大きさは変わっていないと思う。
 親戚が犬は私が付いて来ているかどうか後ろをちらちら見ると言う。
 「ここにおるぞと。」と声を掛ける。

 公園、グラウンドを行く。子供たちがたくさん、よく遊んでいる。公園では固定施設で遊び、グラウンドではサッカーと野球である。TVなどの報道の力である。行動、活動はイメージである。視覚による想像力なしにスポーツはかくまでに普及しなかったことだろう。もっと物語的な遊びが流行っているはずだった。鬼ごっことかままごととか毬つきとか縄跳びとかおもっちきすとかのごっこ遊びが。
 勝負、優劣を価値とする単一的ゲームが隆盛を迎えたのは一途にグローバル化された通信網の発達のせいである。ここには集団幻想への依存と賭けの端緒しか見ることが出来ない。

 さっき公園の中央の方で15歳の犬を連れた人を見掛けた。知人と話しているようだった。
 グラウンドを出る時にその人が追い付いてきた。我が犬は勿論、低姿勢で尻尾を振りながらすり寄って行く。相手の犬は無視である。
 日頃の様子について親戚が尋ねる。
 臆病な性質でブラシを当てるだけで驚くのでブラッシングはしないが、小さい頃から洗っているので洗っても嫌がらないそうだ。
 内の犬は共にしない。一度、昨夏、洗ったことがあるだけである。自分自身が好きでないからというのが一つの理由だが、最大の理由は人間の行動形態を犬に適応することには抵抗があるということだ。例えば服を着せたりするのは犬にとっては実に好ましくないと思う。排便後の処置にしても人と犬とは違う。

 海岸に至る。高架道路の下に警備の人がいなかったのは今日は祭日で工事は休みだからだ。

 浜に下りて北に向かう。ミルやホンダワラなどの海藻が上がっていた。

 ビニル袋の中にワカメ、外に径20cmはあろうアオイガイを持っている人が波打ち際のワイヤを上の方に持って行った。こういうことをしている人を時々見かける。再び漂流しないようにとのことらしい。

 毎日、海岸での散歩を楽しんでいるとのこと。時間、風景、感動、時々、実利。

 防波ブロックの所に2,3人の女の人と子供が何かを取ってビニル袋に入れていた。ワカメ、アオサ?私としてはムラサキインコガイ、カメノテを採っていると思いたがったのだが。

 突堤に上がり犬に先導されて先端まで行く。犬が異常に興奮して辺り構わず嗅ぎ回る。今日は例の猫はいない。でも、明らかに犬は猫の痕跡を探っていることは明らかった。消波ブロックの方を何度ものぞく。川の方へ行ったかと思うと海の方へ、また、突端の方へと慌ただしく空しく嗅ぎ回った。

 公園に戻り犬はイヌムギを食べた。そして間もなく胃液と共に吐いた。体調が悪いのか、犬の胃腸に合わぬ人の食べ物を食べたせいだろうか。

 5時15分に帰着。人と話すと時間はあっという間に経ってしまう。ここに人生の仕掛けが潜んでいると思う。楽しく思うように終わってしまう。そして何も残らない。

散歩の距離は短縮しても時間短縮にならない

2014-04-29 07:23:06 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 大きな川の上流へ向かうコース。具体的には先週よりもっと距離を短縮した。国道を渡り、駅のそばの踏切を横切り、大型の商業施設群の手前で左折して川に出て、すぐ歩道橋を渡って右岸を下る。

 家を出てから川に至るまでは住宅地であり道路は通勤通学の道である。朝が早いので車は通るが人はまだである。そういう所にスズメが道路に降りていたりする。住宅の樹木にもいる。チュンチュン鳴いている。確かにスズメは空を飛んでいるが、その空は地面の延長の空間であると思った。地物に降りようとすればすぐに降りれる空はジャンプした時のように地面には接していないが、明らかに地面に属している。スズメは地面を離れられない。そもそも色からして地面色である。

 十字路を過ぎ、右手にグラウンドが見えて来た。今日は体操をやっていない。雨の為だろう。左手のパン屋さんは何人かのパン職人がパンを焼いているようだ。今日は祭日だが休みではないのだろう。

 川沿いに出るとそこはヒバリの囀りに満ちている。田には大きなシラサギが降りてカエルか何かを狙っている姿勢をとっている。その向こうにも、またその向こうにもいる。

 踏切を横切り国道に出る。橋を渡る時、川の中央に1羽のカモを見た。羽の色からすると雄である。

 小糠雨で曇っていた眼鏡が透明性を取り戻してきた。雨が上がったらしい。

 7時10分に帰着。頭、背中を2枚の布で拭い、その布で腹、足回りを拭く。別の布2枚で仕上げをする。少し汗をかいたので下着を替える。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 すぐに小さい手提げ袋を忘れたことに気付き家に戻る。急いで門に行ったら犬が戻ってきていた。私がいないことに気付くとすぐに引き返し門の所で、上目遣いで開けてと求めたそうだ。この私がいないと戻るという行動が復活したようだ。

 参道沿いを西に向かう。黒松並木があるが、花粉を出し終わった明るい茶色の雄花が一面に落ちていた。強風のために一気に落ちたらしい。松の雄花は植物と言うよりまるで蛆虫である。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。天候の為だろう人はいない。

 高架道路工事の下を通って海岸に至る。この頃、雨脚が強くなった。犬も乗り気でないようだし、空には雲が走るので浜へは降りず引き返すことにした。
 ところが雨がひどくなったのは、その時だけですぐに小雨に変わった。風は相変わらずある。薄い黒の上着を脱がすように吹く。

 公園で12歳の犬と出会う。初めて出会った犬だと思う。

 運動量が足りないかもしれないということで神社の前を通って少し遠回りをして帰る。

 5時15分前に帰着。頭、背中は少し濡れていた。それより寧ろ、腹、足回りがびっしょりである。道の水を跳ね上げるのだ。細かく足を運ぶ度に水を腹にかけるものだから完璧に濡れている。2枚の布で頭と背中は軽く拭いて、その布で腹、足回りを拭く。仕上げに別の布2枚で拭く。
 夜、念のため北の家に行くと犬は中央の部屋の座椅子にうつ伏せでいた。

短縮散歩

2014-04-28 06:59:37 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 丘陵の頂越えのコースで行き当たる命豊かな川の河口までのコースの日だが、短縮しようと考えていた。玄関を出たら雨が降り出した。あたかも待っていたかのようだ。考えていた短縮コースをさらに短縮しなければならないと考えた。
 小雨なので犬を北の玄関に迎えに行く。犬は勿論、いつものように大喜びであるが、例によって庭のあちこちを嗅いだり掘ったりした。早よ行かんと本降りになってしまうと少し焦る位、犬は自分の仕事に熱中していた。
 ようやく見切りが付いたのか付いて来た。門の外の小さな花壇に花がまた満ち溢れるようになった。ガーベラなどの宿根草も良いものだ。

 国道に出て北に向かい川に至る。雨は降り続いていて止みそうもなかった。橋を渡って川沿いに下り、簡易橋を渡って帰る。
 散歩は糞をしたらもうそれで良いような気がしてきた。

 7時15分前に帰着。2枚の布で頭、背中を拭いてやる。




 昨夕の散歩について

 4時20分に犬の散歩に出掛ける。

 家を出て北に向かい川に至り、遡上して国道に出て戻る。

 風が強いし吹き方がいつもと違う。突然、強くなったり、急に止んだりする。木木を揺らし枝を震わせ葉を飛ばす。ブウウルと音を立てる。空では鳥が低く飛び、地面では落葉を音を立てて転がす。

 ・・・
 未明、犬のクウウンクウウンに起こされた。庭に連れ出すと小用を足した。その後も鳴かれて犬の相手をした。しっかり体を抱いたりした。犬は顔を舐める。特に頭を舐める。こっちは頭が眠っているし、体はだるいはで良からず。
 先週はこれで玄関で転んで痛い目にあった。
 ・・・

 5時前に帰着。

崖にしがみつくツバメ

2014-04-27 07:27:30 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。

 海岸道路を通って礫岩広場に行くコースを歩く。薄曇りで東風がある。

 犬はいつに変わらず引きが強い。お立ち寄り、引き返しが頻繁で一旦止まると長いこと長いこと。

 海岸道路の傍らにシロザが生えていた。まだ高さは10cmにも満たないが、生長すると1mを越えるものもある。秋になって枯れてくると抜いて枝を落として幹だけにして杖にして遊んだことがある。アカザだったかもしれない。
 ガザニアがたくさん植わっている。蕾だがすぐに咲くだろう。

 礫岩広場に行く。そばに車が5,6台止まっていた。波打ち際の棚で釣り人が並んでいた。

 崖の下を通って帰る。崖にはツバメがしがみついていた。ここに巣を作るわけでもあるまい。

 小さな畑にジャガイモが育っていた。

 ある民家の庭のミカンの木に白い小さな蕾がたくさん付いているのが見えた。いい香りがすることだろう。ミカンの花については、いつもある歌が思い出される。川田正子が一途に歌った「ミカンの花咲く丘」である。

 みかんの花が 咲いている
 思い出の道 丘の道
 はるかに見える 青い海
 お船がとおく 霞んでる

 黒い煙を はきながら
 お船はどこへ 行くのでしょう
 波に揺られて 島のかげ
 汽笛がぼうと 鳴りました

 何時か来た丘 母さんと
 一緒に眺めた あの島よ
 今日もひとりで 見ていると
 やさしい母さん 思われる

 3番まで来て、これは母への思慕の歌なのだと知った。これを超えるものがないということだろう。1番、2番では外に広がって行く夢の感じがしたのに3番で一気に予定調和の世界に収斂してしまった感じだ。抗えないのだ。それで思い出されるのが、北原白秋の「この道」である。

 この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 あかしやの花が咲いてる

 あの丘はいつか見た丘
 ああ そうだよ
 ほら 白い時計台だよ

 この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 お母さまと馬車で行ったよ

 あの雲もいつか見た雲
 ああ そうだよ
 さんざしの枝も垂れてる

 これも母がいかに偉大なる存在でそうなることが女性の最大、最高の目標であるかに見える。

 しかし、歌は不思議だ。私の愛唱歌の一つ「青い山脈」はどうだろう。

 若く明るい 歌声に
 雪崩は消える 花も咲く
 青い山脈 雪割桜
 空のはて
 今日もわれらの 夢を呼ぶ

 古い上衣よ さようなら
 さみしい夢よ さようなら
 青い山脈 バラ色雲へ
 あこがれの
 旅の乙女に 鳥も啼く

 雨にぬれてる 焼けあとの
 名も無い花も ふり仰ぐ
 青い山脈 かがやく嶺の
 なつかしさ
 見れば涙が またにじむ

 父も夢見た 母も見た
 旅路のはての そのはての
 青い山脈 みどりの谷へ
 旅をゆく
 若いわれらに 鐘が鳴る

 4番は3番までとの繋がりがよく分からない。ただ、2番の旅の乙女が唐突であることから何でもありかとも思える。

 「ミカンの花咲く丘」のメロディは古いシャンソンを思い出させた。ロンタンロンタン・・・ アパリ・・・ ブルジョワバガボンと歌詞の一部しか思い出せない。

 7時10分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。

 犬は砂地に頭を擦り付けた。頭、首、背中、リードが砂まみれになった。また、少し水のある所で腹這いになった。

 穴を掘った。砂なので難なく掘れる。しかし、下から何か出て来たので止めさせた。

 5時10分前に帰着。

大きさ、形、色、模様の違う石

2014-04-26 07:13:22 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。

 幼小中辻曲がりコースの日だが、先週少しコースを変えて短縮したが、今日は大胆に短くした。小学校から左折して東に向かい中道を通って帰る。薄曇りで風はない。

 7時過ぎに帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。

 犬はまず庭を散歩する。何かを求めてのことらしい。猫の痕跡であろう。
 アシナガバチをよく見掛けるようになった。犬はハチ類が大嫌いのようだ。ハチが飛んでいるのを見ると跳び掛かる。
 アゲハも見掛けるが、犬は興味はない。案外に小さいものだ。夏に出てくるのは大きいが春のはかなり小さい。幼虫時の餌の量によるのであろう。しかし動きはまことに機敏。特に同種の蝶に対しては威嚇するのか追い払うのか、或は追うのか、蝶とは思えない程の素早さで目にも止まらない。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。公園もグラウンドも遊ぶ子供たちでいっぱいである。みんな意識していないが世界をつくっている。遊ぶのは遊ぶこと自体が目的で他の何かの為ではない。これが仕事と違う所である。働いていた時、目的、手段、段階などと区分けして考え行動していたが、それはそれなりに面白かったのだが、遊びのただそれだけの楽しみには及ばなかった。いつでも始められ、いつでも止められた。

 海岸に行き浜に下りる。犬が私の顔を見る。こんなに暑いのにここにいるのかというような、たしなめるような、不可解そうな表情だった。確かに日は高く、日差しは強く、紫外線も多く健康には良くないかもしれない。波は殆どなく太陽の光を強く反射していた。

 石を拾っている人がいた。あれを始めると止められない。大きさ、形、色、模様が全部違う。あれも良いし、これも良いという感じで捨てるものがない。それでも選んでしまう。さっき拾ったのと違うものがあるとそれに価値を感じてしまう。
 また、両手に握るに丁度良い大きさの石を持って海岸の端から端へと行ったり来たりしている人がいた。何かの健康法なのだろうか。

 グラウンド、公園に戻って来た。公園の東の出入り口の所に柴犬を連れた人がいた。我々を待ってくれていた。
 暑くなってジャンパーの下はシャツと相手が言う。確かに服装を替えるに微妙な時季である。
 イヌムギを食べている犬を見てたくさん食べるといけんよと注意してくれた。ハナ(相手の犬)も食べるそうだが、たくさんは食べさせないそうだ。
 後ろ足の震えに気付いて止めと言った。果たして間もなく止んだ。震えは小さくなったし頻度も減ったと思う。散歩の距離が負担だったのだろう。
 最後に尻尾を2度絞ってもらった。私の方を見る犬の表情は本当に嬉しそうである。恥ずかしそうに幸せだと正直に言っているようだった。こういう表情を見るとこの犬の飼い主で良かったと感じる。

 5時10分前に帰着。