風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

江戸城の本丸・天守台を歩く。

2014年10月30日 19時44分45秒 | 旅行


徳川幕府の「空気」!!
10月27日から29日まで、ミニ東京旅行でした。
28日はフリーでしたので、北の丸公園を歩いてきました。
ここでは、徳川将軍家の居城であった江戸城内を行き来していた
幕臣達の「体温」が今も肌に伝わってくる様な気がします。





10年(?)くらい前に、友人と歩いていますが、8月の猛暑で
木陰での休憩ばかりが「思い出」です。そこで再度の訪問でした。
東京駅丸の内北口からお堀に向かって歩き、お堀端の遊歩道に出ると、
右折、約10分で大手門公園入り口です。
ここで、入園番号札をもらい、入園です。
大手門から少し歩くと「同心番所」です。
部屋の中に詰めている、「同心」の優しくて、退屈そうな眼差しが
目に見えるようでした。





「同心番所」から2~3分で、この大きな「百人番所」です。
「同心番所」・「百人番所」は、江戸時代の建物です。雨戸は閉めてあり、
内部は見えません。
しかし、私にとっては、見えないが故に、反って、同心たちの会話が聞こえて
くるような気がします。
・・・つぎの休みは「つり」行かないか・・・長男は何歳にナッタンダ・・・
「同心」は全員、幕府創業時、徳川家直属の「足軽」でした。
徳川太平の世になると「同心」は「命」の危険は無く、出世も無く、
明日の「夢」はアリマセン。「眼差し」からは「元気」は
枯れていた様に想います。





天守台跡。天守閣は明暦の大火(1657年)で焼失。
その後は、再建されていません。

当時の将軍家綱を補佐した、保科正之(将軍家光の異母兄弟)が
安定した時代に「無用なモノ」のために莫大な費用をかけては
「イケナイ」と進言した結果です。

莫大な税金を投入し、大きな「ハコモノ」(=原発をフクム)の建設に熱心な
現役「政治屋」さん、少し参考にして下さい、お願いします。!!



29日・午後4時15分発の便で帰る予定です。
出発時間までには少し余裕があるので、上野の東京国立博物館で開催している
「日本国宝展」を見学してきました。
チケットを購入(10時半ごろ)、会場入り口に並び、約20分で入場です。
会場内は、見学者が多く、大変な混雑でした。
国宝の写真撮影禁止ですので、私が実物の国宝を鑑賞し、特に
感動した3点について書きます。

「土偶」(=縄文のビーナス・茅野市棚畑遺跡出土)
   縄文時代中期(約4000年から5000年前)の作品です。
   この「土偶」は、お腹は大きく・お腰も大きく健康的で、まもなく
   母親になる女性像です。
   縄文の時代も、今日でもファミリーの願いは、健康な赤ちゃんの
   誕生と成長です。

「玉虫厨子」(奈良・法隆寺所蔵)
   厨子は経典や仏像を中に安置するものです。
   推古天皇愛用の仏具です。
   高さが、233センチメートルで、実物の大きさに驚きました。
   推古天皇、その少し後方に聖徳太子。共に「合掌」し、「お祈り」
   をしている姿が目に浮かびました。・・・約1400年前の・・・

「陰剣・陽剣」
   聖武天皇愛用の宝剣として正倉院に献納されたものです。
   その後、何者かにより持ち出され、行方不明でした。
   明治時代に東大寺大仏の足下から2本の剣が発見されました。
   2010年、その剣を修復するため、レントゲン撮影をすると、
   「陰剣・陽剣」の銘が浮かび上がりました。
   行方不明から約1250年を経て確認されました。
   (この剣の背後には、光明皇后の姿がチラチラです・・・)


   



 
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