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風のなかで・・・山里・海辺・清流

四国山地南側の山里・海辺・清流等を歩き・写真を撮り、ローカルの生活を報告します。

潮風のなかで

2017年01月13日 16時43分49秒 | 旅行
ここ数日、今上天皇退位後の新「元号」が新聞紙上に取り上げられています。

「元号」・「一世一元制」は中国で生まれ、それをわが国が模倣したものです。
全ての存在は君主の「モノ」である、従って「時間」も支配するという考え方です。

一世一元制は明治元年(1868年)からのスタートで、その歴史は浅い。

元号は時間がたつと、日常生活では難解な問題となり、自分の「誕生日」程度が元号と西暦で言えるくらいとなります。

また、改元は歴史上も問題があるように思います。

大正天皇が崩御したのは、1926年(大正15年)12月25日です。
この年が昭和元年となりました。

私は天皇家は日本歴史文化の主柱であり、擁護すべきであると思っています。
元号制は再考することが良いと思います。

   * * * 鏡 川 サ ン ポ  * * *

7日・何時もの午前中2時間鏡川サンポ・川面の風は冷たい野鳥はアツアツ、春近しです。


   (カイツブリ)


   (マガモ)
 
あの「カメジイ」さん、オレたちをジ~と見てるゼ~・・・きっと若いころを思い出しているのよネ~
このジイさんは弥生時代以来の農耕に適した手足で、人気スターの石原裕次郎とは真逆、それだけではアリマセン、学生服のポッケには10円玉が数個・・・ガールフレンドは「夢ノマタ夢」・・・
だから今でも「夢」は持ち続けています~だけど残り時間がナインノデス~!!


今朝もカワセミ(♀)さんのオッカケだ~

   * * * 室 戸 岬 歩 き * * * (1月11日)

早朝5時に出発、室戸岬に向かいました。
私たちの眼前に広がる海は常に蒼く黒く重い潮が流れています。
その先は水平線・太平洋です。
子供のころも今も遊びの場ではナク、恐ろしい存在です。


羽根岬で夜明けです。久しぶりの潮風で身体が引き締まりました。


室戸の市街地と漁港です。漁業の街ですが魚のニオイより過疎の最果ての風が寂寥感を誘います。


最御崎寺・ここは毎年繰り返し襲ってくる台風や激しい潮流に泣いた人々の祈りが沁みこんでいるように想いました。 合掌




室戸岬東側海岸・暴風雨や荒波に抗して生きてきた土地人の家屋です。
海側に頑丈な石壁をつくり、命を生活を守ってきたのです。
自然と向き合い、自然に負けず、生き抜いた「知恵」がにじみ出ています。
 
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NAGATA村ふしぎ発見・Angkor Wat歩き

2016年12月23日 20時28分05秒 | 旅行
NAGATA村のふしぎ発見・・・ロシアとの北方領土返還交渉について!!
冷戦、アメリカとソ連は核大国として恐怖の対抗を演じてきました。ソ連体制は崩壊しましたが、その血筋は立派にロシアに引き継がれています。
わが国は敗戦後アメリカに従属し、沖縄を中心に本州、北海道まで米軍基地を提供しています。
その砲門はロシアや中国に向けられています。
北方領土を返還すれば、アメリカの「対ロ軍事基地」に利用されることはロシア側からみれば容易に想像できます。
少しばかりの「お金」をちらつかせて交渉するNAGATA村の代表やお仲間は、無能力無策、余りにも低級過ぎます!!

  < カンボジア・アンコールワット歩き >  思い出の旅
アンコールワットは12世紀に約30年を費やして建立されました。
壮大な石造建築を造営した歴史人に魅かれます。

また、1970年~1993年までの内戦期間中、特にポルポト政権下では70万~300万人が虐殺されました。政治の非常が身体に沁みてきます。

   ***アンコールワット***







熱帯モンスーンの内陸国で、この石造建築・石造美術が生まれたのです・・・




シェムリアップ(アンコールワット)で出会った女性、声をかけて撮らさせてもらいました。
彼女たちの眼差しは明日への「夢と幸せ」が詰まっているように感じました。

  ***トンレサップ湖サンポ***
 



(お母さんと学校へ・学校も水の上でした)


(小さな幸せ)




アンコールワット歩きの際はゲストハウス(=GH)「タケオ」に宿泊しています。
日本人が集まる安宿ですが日本語のできるスタッフいません。
入口で営業している「食堂」はニッポン食のみで安くて美味しい。
画像は私のお気に入り「ルーム」でエアコン・シャワー・トイレ完備で15ドル。
ゲストハウス前・朝の通勤風景。

カンボジアへはバンコク経由でプノンペンまでは飛行機で行きます。
プノンペンで1~2泊。シェムリアップ(アンコールワットの街)までは往路はトンレサップ湖を高速観光船で,復路はバスです。何時ものことで、ヨロヨロ・ヨタヨタ旅の繰り返しです。

   < お ま け >
晴れた日の午前中2時間は鏡川・鳥見サンポですが、このシーズンは鳥が少なく、私の定位置では「オアイ」出来ません。
19日の午後3時ごろから、少し上流の堰下に行きました。
日が落ちる寸前になって、カワセミやカイツブリが夕食を採りにやって来ました。






(撮影日 19日午後4時前)
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進歩?・ 身体にしみる秋

2016年10月12日 15時04分50秒 | 旅行

こころの「進歩」はどこに・・・
大阪の大型すし店が来店した韓国人旅行者に「ワサビ」大盛りのすしを
食べさせたとのことです。
会社もその事実を認め謝罪したようです。

私たちの国は、鉄も石油もアリマセン、優れた工業製品の輸出や
「こころ」の籠った観光客の受け入れで「明日」が約束されるのです。

韓国からの旅行者数は、2015年は約400万人です。(前年は275万人)
韓国では若い人々を中心に「魅力と好感を持てる国」へと変化している様です。 

私たちの国は、工業技術や化学等の「進歩」では世界が認めています。

こころの「進歩」は何所にアルノデしょうか・・・

こころに刺さった「トゲ」の痛みは消えることはアリマセン!!

私たちの社会は、日常的に朝鮮半島からの人々に対し目に見えない
「トゲ」を発しています。

この問題点を「こころ」の中から認識し、「こころ」の中から消去しましょう。


私はこころに重いモノを感じると「空」を見上げます。
若い時も今も・・・これはヨロヨロ・ヨタヨタ男の祈りです・・・
秋空はやわらかい。(10月9日・自室の窓より)

  < 身 体 に し み る 秋 >
天気が良い日の午前中は鏡川上流域の山里を50CCバイクで
サンポしています。
台風の後は、やっと秋らしくなりました。
午前中だけでなく、夕暮れサンポも始めました。


秋野菜の植え付け準備で長時間の農作業。
若くはありません、無理をしないように!!




実りの秋はコスモスが良く似合います。「秋風」のなかで、やわらかく揺れる
コスモスや稲穂は子供のころや父母の温もりを思い出させてくれます。
(10月6日)


道路に面した斜面の最上部にある立派な農家。家族の「姿」は見たことがありません。
(10月7日)


夕暮れ近い谷間、トンボの群舞で秋の深まりが身体にしみてきます。




山里の夕暮れは、そこまで来ています。
(夕暮れ画像・10月10日)

この農家近くの小径で「若い方」を見かけたことはありません。

山では農作業に汗を流している方々は「オトシヨリ」が多い。
斜光のなかを静かに流れる秋風は寂しく、わが身と同じでツライ。

    < お ま け >
昨年ベトナムの中国国境に近い山里・サパのテト(=旧正月)を歩いてきました。
宿泊していたGH(=ゲストハウス=民宿)の玄関に掲示してあった
「1日トレッキング」案内に申し込みました。
集合場所に行ってみると参加者は8~10人(?)で私以外は韓国の旅人でした。
私が最年長で、韓国人メンバーは20代~30代のようでした。

出発して約1時間後から私は最後尾歩きです。
小休憩が約1時間半ごとにあり、遅れる私を休憩場所では
温かい心配そうな眼差しで待ってくれていました。
昼食場所へ少し遅れて到着しましたが私の着席を待って食事の開始でした。
私の「こころ」に深くしみこんだ、忘れることが出来ない思い出です。





 
(ガイドさんです・彼女の出身山里を歩きました・2015年2月18日)

 <サパのダウンタウン>



テト=旧正月は1年の内で最大の「お祭り」です。
街中は各民族の「晴れ着」で華やいでいました。
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責任・日本とアメリカ

2016年09月14日 21時26分25秒 | 旅行
日本政府は責任認めて!!(ローカル新聞・9月14日より)
関東大震災(1923年)による大混乱の中で朝鮮人(犠牲者6000人以上)や中国人(犠牲者700人以上)が日本人により虐殺されました。
犠牲になった中国人関係者が来日し、追悼行事を行い、「・・・日本政府にこの史実を認めてほしい」と要望しています。
日本政府は回答を出していません。

2016年9月6日アメリカ・オバマ大統領はラオスを初訪問し、米軍爆撃が「多くの村や渓谷を丸ごと破壊し、無数の民間人を殺害した」・・・アメリカ軍の空爆を認め謝罪し、クラスター爆弾等の不発弾撤去に900万ドル拠出を約束しました。
(ベトナム戦争中に米軍は200万トンを超す爆弾を投下。多くの不発弾が今でも住民を苦しめています)

<ラオス・ジャール平原シェンクワン・モン族集落>







この地域は、ベトナム・ホーチミンルートに隣接していますので、米軍の猛爆撃を受けました。
村では大型爆弾の殻をよく見かけます。建築資材や農具に加工し利用しています。




モンの人達は、伝統的な家屋に住み、農業で生計をたて、質素な暮らしをしています。
近年、電気も入りました。

 < ラ オ ス ・ ム ア ン ゴ イ >

(画像はノーンキャウの船着き場・ここから川船で約1時間、ムアンゴイ到着)




(ムアンゴイ船着き場)






この集落は、電気は入っていますが他の集落への道路は通じていません。
住民も旅人も川船で移動です。
集落の中心は1本道で、そこには小さな食品店や雑貨店が数件ありました。
私の子供時代(昭和20~30年)と同じ空気が流れ、何となく居心地が良かった。
しかし、路地には爆弾のカケラが・・・
(ルアンパバン~乗り合いバス~ノーンキャウ・1泊~川船~ムアンゴイ)

不発弾や地雷の残存が多い地域は、開発も遅れ、生活も苦しい様です。

オバマ大統領の責任を認めた決断は、被害地域の生活安全安定を
もたらし、またラオスとアメリカの友好信頼の発展になると思います。
 
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北の旅・アラスカ (NO.2)

2016年08月30日 15時05分48秒 | 旅行
原野の初秋は人間社会の原点に回帰した様な気分でした。
氷河期が終ろうとしている1万年前後、海面は低く、干潟のようなベーリング海峡を徒歩で渡り、ここ極北の原野での人間生活が始まりました。
人間は野生動物に遠慮しながら、また食料として依存しながら、自然に逆らわず生きた時代を漠然と頭に描きながらの旅でした。(2007年9月)
(ヨロヨロ・ヨタヨタの人生航路の私は、見知らぬ土地でも、そこにはイイ空気や風が流れているように想うと「旅」となります。極めてシンプルで生活力のない男です。)


極北の原野。自然が人間の利益を求める「力」を拒否した地域です。


  < デ ナ リ 国 立 公 園 >










(ワンダーレイク・清々しい空気が良く似合っていた若い二人)

ここは、自然が厳重に保護されている国立公園ですが、私は人間と野生動物の活動・共存の原点を感じました!!


デナリ公園入口から車で約30分、宿泊したGH(ゲストハウス=民宿)の庭からの眺めです。
早朝、散歩に出かけると、大型野生動物の「お土産」(=ウンチ)がコロガッテいました。
自然の空気と風が身体の芯まで沁みこんだ最高の思い出となった「民宿」です。

  < ふ ろ く >
鏡川上流地域の山田、稲の刈り取りが始まりました。「オトナリ」さんは雑草に覆われた放棄地です。これも「時」の流れでしょうか・・・

(2016年8月撮影)
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