熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。配本中。
ご注文方法、住所、電話番号はコメントでお問い合わせください。

書き駒について・続き

2012-03-02 06:21:44 | 文章
3月2日(金)、曇り。

「加茂船屋雛祭り」。
初日の来客は、午後から女性中心の20人程度。
去年より宣伝を控えているとかで、人通りは普段のように疎ら。
通りがかりに寄ったという男性は、木津の将棋クラブのメンバーだそうです。


ーーーー
「書き駒」の続き。

前回、そもそもの駒は「書き駒」が始まりだと書きました。
そしてそれは、江戸時代の終わり頃まで続きました。
ある者はあり合わせの木切れで自作したり、能筆家と呼ばれた公家が漆で書いた高級駒などがそれ。

江戸時代の中期頃になって駒づくりの職人が生まれます。
需要増加に伴って、専門の職人が生まれた訳です。
最初は需要の多い大坂・京都・東京あたり。
天童にその技術がもたらされたのは、幕末。
それが、藩の産業として発展しました。
応じて彼らは「書き駒」だけでなく、やがて「彫り駒」も。
上手な文字が書けなくても「彫り駒」なら、簡単に作れるからです。

一方、職人の技術で公家の能筆家が書くような優美な文字の高級駒を作りたい。
その意識は強いものです。
練習を積んで、ある者は需要に耐えられる文字を書くようになる。
ある者は「水無瀬駒」に倣った文字を下敷きにして、駒を作る方法を考え出す。
前者の代表は「天童流の書き駒」であり、後者代表は「水無瀬形とある彫埋め駒」です。

やがて、彫埋め駒の文字を漆筆で書きなぞって、書き駒に似せた手法を考え付いた。
これなら、文字が上手く書け無くても、能筆家の公家が書いた高級駒が再現出来るという訳。
ということで、以来、これが高級駒の手法として定着。
これが、現今の高級駒とされる「盛上駒」誕生の経緯。

では、「能筆家が書いた書き駒」と、「職人が作った盛上駒」との違いは何か。
一見、普通に見れば、同じようなものかもしれません。
しかし前者は、能筆家の公家が書いた生き生きした文字の駒であり、
後者は、看板や塗り絵のように何回も塗り込んで描いた文字の駒。
問題は、その違いが分かるかどうか。

書家や書を勉強した人ならたちどころに見分けることでしょう。
但し、書く技量が低い「書き駒」は論外。
比較にもならない稚拙なモノでしかありません。
そのように「書き駒」は、書く技の上下が顕著に生じるものではあります。


今日も、時間が無くなりました。
この続きは、また。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 熊澤良尊作・特選集 | トップ | 昨日の続き、書き駒について »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

文章」カテゴリの最新記事