以前にアップしていた回想録のなかから、関連記事をコピーして再掲しておき
谷川浩司書の駒は、大阪・心斎橋筋で開催した展示会で、「私の字で駒ができないか」と、問いかけをいただいたのがきっかけです。
そのあたりのことは、ご自身の著「復活」(毎日新聞社)に詳しいので、それを抜粋引用させていただきます。(54ページ~58ページ)
「苦しさを駒に刻む」
無冠となったことは、私なりの道を歩んできたことの結果である。無冠の屈辱はもちろんある。だが振り返ってみれば、自分の将棋が指せない私自身の姿が見えてくる。なぜ勝てないのか、その結果ばかりにとらわれて、自分の将棋を見据えることを忘れていた。
将棋をきれいさっぱりと忘れることが必要だとわかっていても、当時はそれもできなかった。テレビを見ていても、気づくと頭の中では将棋のことを考えていた。
そんな状態だった平成8年のある日、原田泰夫九段の書と、駒作家の熊澤良尊さんの駒の展示会があり、それを見に行くことで、違った視点から将棋の世界を見ることができた。時として人は、無意識のうちに欲するものを見つけ、欲することをしているのか。
原田先生の書は、力強く、伸びやかで、かつ繊細でもあった。書の中に、人の強さと意思が見えてくるような気もした。書は人を表すのかもしれない。
また、棋士にとっての駒は、自分の思いを直接受け止めてくれるものだ。駒によって、指す手が変わるということは無いにしても、自分の気持ちを投入できる駒、愛着のある駒というのはある。
原田先生の書と熊澤さんの駒を見ているうちに、自分の駒、自分の書体による駒が欲しくなった。この世に一つだけの、自分のためだけの駒が・・・。この時にはそれほど強く意識していなかったのだが、今、振り返ってみると、この時の自分の精神状態がよくわかる気がする。自分の将棋を取り戻したい、常に頭の中にはそのことが渦巻いていたのだ。その渦の中からするすると手が伸びてきて、自分の駒を捜している。駒を捜す触手は、闇の中から自分を引き上げるための、手掛かりをつかもうとする手であったのかもしれない。
六月、熊澤さんに私の書による駒を一組作っていただくようお願いした。駒の素材についてはお任せすることにした。王将から歩まで、すべて自分で書き、熊澤さんにお預けした。
後日、この駒の制作依頼の話を聞いた人が、不思議そうな顔をした。「そんな時に、よく自分の駒を作ろうと思いましたね」と。普通なら、何かの記念、それも祝い事や慶事の時に作るのではないかと言うのだ。
私が欲しかったのは記念の駒ではなかった。一番苦しい時の自分の字を、駒に残したかった。それを手元に置いて、その駒で自分の将棋を取り戻す。この不調を自分で乗り越えるには、苦しい時の自分から逃げてはいけないと思ったからだ。
「至龍の駒」
駒の制作費についても熊澤さんにお任せした。熊澤さんは、少し考えられた後、こう言われた。
「5五の龍、ということでいかがでしょう」
『5五の龍』という題名の将棋コミックがあり、それに掛けたものだった。五十五万円ということだが、本格的な駒の一組の制作には数か月もの日数と手間とがかかる。熊澤さんのご好意を感じた。
5五というのは、九x九枡の将棋盤のちょうど真ん中に位置する、中央の枡である。四方八方どこにでも行けるという枡に龍があるという意味だ。「龍」は私の好きな駒「飛」が敵陣に入って成った時の駒名である。
お願いした駒が仕上げにかかっている頃、私は竜王戦の挑戦者として羽生六冠王と対局していた。タイトル戦の挑戦者となるのは二年ぶり、海外での対局も、BSの中継が入る対局も久しぶりのことだった。十一月二十九日、七番勝負を四勝一敗で勝ち、私は竜王位を奪取した。この日は、9ヵ月半の無冠から脱却した日でもある。8月頃から、復調の兆しはあったのだが、竜王戦の挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、名人位と並ぶ棋界のビッグ・タイトルに挑戦できることが、非常にうれしかった。
後日、東京で竜王の就位式があったが、その時に熊澤さんから「至龍」の銘が入ったもう一組の駒を頂いた。私がお願いしたのは一組だけだったが、その姉妹駒として同時に制作されていた駒を、竜王復位のお祝いとして贈っていただいたのだ。
駒について書かれたものから引用させていただく。
ーー「谷川浩司書」の駒は、谷川九段(当時)の要請を受けて昨年七月に着手し、約半年かけてこのほど誕生した「谷川竜王、三十四歳の筆跡」の駒です。「至龍の駒」はその「谷川浩司書」初作駒の姉妹駒で、いずれ実現するであろう慶事を予感して、その時のために供すべく、ほぼ並行して制作しておりましたところ、早々に第九期竜王戦にて見事「竜王」復位を果たされました。これを賀し「至龍」の銘を刻み、「至龍の駒」誕生を担い得た喜びとともに、僭越ながら竜王就位の今日、この駒を谷川新王位に贈ります。奇しくもこの駒の制作過程が谷川新竜王誕生(復位)に至った今期竜王戦進行時期と重なるところから、「竜王に至る駒」として、且つ「斯界の龍」谷川新竜王の筆跡にも因んで、「至龍の駒」と命名しましたーー
奇しくも、とは言い得て妙の言葉だ。人の知恵には限りがある。ここでこうなるとは、分からないところに人生の機微がある。
世界に二つとない駒のはずが、奇しくも二組手元にある。苦しい時と喜びの時と、そのどちらも忘れてはいけないことを教えてくれる、至宝の駒である。
以上ですが、追記として、
谷川先生からはその後、「将来、お世話になった人などに贈りたい」とのことで、複数組の追加注文をいただきました。お弟子の都成さんが四段に入品されたお祝いとして贈られたのは、その中の一組と聞いております。
なお、当初より私は、この駒は本人の要請、または許可が無いと制作しないと決めておりました。しかし困ったことに、ニセ物事件が相次いで発覚したのです。調べてゆくと東京を震源地として関係者は天童・静岡に及び、そしてもう一つは大阪で、中には比較的近しい人も居たりで、この世界のモラルの無さ、低さを嘆くこと、しきりでした。