5月8日(水)、天候不明。
先ほど、夜中に目が覚めると、去年の名人戦第3局、興福寺の戦いをameba テレビが再放送。思わず見続けることにしました。
というのも、この対局では、小生所有の将棋盤と、岡田さん所有の小生作の「古水無瀬」が使用されたので、それを思い出しながら見たわけです。この時の見分では、対局者はじめ、関係者の前で盤の由来を、説明させていただきましたが、もう少し詳しく説明しておきます。
この将棋盤、盤覆いには「贈 阿部真之助殿 昭和十一年二月吉日 十三世名人関根金治郎」とあります。阿部真之助さんは、名人戦を主催した東京日日新聞社(現在の毎日新聞社)の学芸部長で「これからは、それまでの一代世襲制の名人制度に変え、実力で競う名人戦へとの制度改革を」と、関根名人に提言するとともに主催社となり、その実現をバックアップしました。なお、戦後はNHK会長まで歴任された言論人です。
この盤にある「昭和11年」は、丁度、10年に始まった実力名人戦の最中で、ほぼその成功を見極めた時期に当たり、この盤を、関根名人は阿部さんに御礼の気持ちを込めで贈ったものであることがわかります。
この盤の厚みは5寸2分ほど。現在のタイトル戦で良く使われる7寸ほどのものと比べると、かなり薄いものです。しかし当時は、このくらいがちょうどよい厚みとして作られたものだと思います。特筆すべきは、天地柾年輪の緻密さです。1尺1寸ある盤の端から端まで、ルーペで数えてみますと、800本でした。
私がこの盤を入手したいきさつを述べておきます。もう30年近く前のことです。仕事で上京した折り、少し時間があるので、上野池之端のツゲ櫛「十三や」さんへ行こうとして御徒町で下車し、たまたま立ち寄った骨董屋さんに貝合わせの蒔絵の将棋盤を見つけて買ったのですが、その2~3か月後、その骨董屋さんから電話をもらいました。「熊澤さん、また、こんな将棋盤と駒が手に入りました」。「ウムフム、関根名人から阿部真之助さんに贈られた盤。駒は、木村作の木村名人書。島桑の駒台と駒箱がセットになっていると。ウムフム、そうですか。わかりました、2~3日の間にお店へ行きますから、奥にしまっておいてください」。
そうして、3日後。上京して店に行くと、ウインドウにその盤が。おやおやと思いながら店に入り「盤は、奥にしまっておくようにお願いしたはずですが、どれどれ・・」と。それは将に「うぶだし」そのものという感じで、これまでどこかの博物館の奥にでもしまわれていたような気品と雰囲気で、タダものではないと直感しました。
値段を聞くと、コレコレ。私は「うーん。我が家の家計の半年分以上か、うーん・・」と。 店では、15分しか余裕がなく、「2~3日の内に決めるので、それまでは店の奥へしまっておいてほしい」と頼んで、あわただしく千葉の方に仕事に向かいましたが、車中では早く決めないといけないという思いで、その途中、乗換駅から公衆電話で、家内と店に「買うことを決めた」と伝えた次第。
でも、この盤の出どころが気になります。そこで、店の主人には「これはどこから出たものですか」と尋ねました。しかし「それは明かせません。商売上の仁義ですから」。「ああ、それはそうですね。でも一つだけヒントをください」。「ヒントは、文京区の或るお屋敷から出たもの」でした。
長文になりました。この続きは、また。