いぶり自然学校

苫小牧軸足をおきながらも、胆振管内各所・いや日高、十勝・・・各所で活動を展開しています。

ぼく・おれ・わたし・うえだんな

2008-04-24 11:18:26 | うえだんな


幼稚園での活動が始まっています。
小さな小さな教室に入り、小さな小さなイスに座った
小さな小さな子ども達と、とっても幸せな数時間を過ごします。

ぼくがガリガリと進めるのではなく、
常に幼稚園の先生と打合せや相談を繰り返し、
プログラムシートを作ったりしながら、
お互いの役割や得意技を生かして進めていきます。

子ども達も、大人が二人あっちこっちから声を出すので
なんか新しい刺激を受けているようですね。

ところで、今考え、勉強しなければいけないなあと思っているのは
自分のことを、自分でどう表現したらいいのか、というところです。

「ぼくは、こう思うよ」
「わたしは、こう思うよ」
「おれは、こう思うよ」
「うえだんなは、こう思うよ」

私は、先生でもなく、かといって近所のおじさんでもなく、
友達でもなく・・・。
でも、イエティくらぶではなく、「幼稚園」なので、
子ども達はぼくのことを「先生」というポジションで認識しているわけです。

幼稚園の先生たちと、いろいろと話し合って
「うえだんなはね、先生たちの仲間です」と紹介はしてもらいました。
が、その辺も年長さんにはちょっと難しいですね。

まあ、これから回を重ねていけば、そういう立場の理解みたいなものは
どんどんと薄れていくので、心配はしていないのですが
自分のことを何といえばいいのか、考えないといけないなあと思います。


そういえば、
かつて、大学生の頃
大学の先生とそんな議論になりました。


自分が教員になったとき、自分のことを自分で「センセイ」と呼ぶか。
自分のことを「先生」という先生を信用できるか、どうか。
そんな風に自分のことをいうのは、日本だけなのか。


モノを知らない一大学生の議論ですから、結論はともかくとしまして
いろいろ考えた経験があります。

小さな赤ちゃんに、お母さんが「お母さんがだっこしたげる」と言うのと
小学6年生に「先生がだっこしたげる」と言うのと一緒か?
自分のことを「立場」で表現するのか、
それとも、「私」は「ワタシ」なのか、
とか、何かそんなことを話したような・・・。

一方、いいトシした成人が
普通の大人同士の会話の中で、自分のことを自分の名前で表現する方が
いらっしゃったりして、それはどうなんだ!と
オジサン的見解もあったりして、悩みは尽きません。

細かい話で恐縮です・・・。
皆さん、
何かその辺りに自論はありませんか?