森っ子アフタースクール、という活動を手伝っています。
今年はなぜか男の子ばかりです。
毎度まいどいろんな遊びを考え出す少年たちですが、
今日は落ち葉が気になって仕方ありません。
「落ち葉集めよう」
「でも、手を使うのはダメね」
その理由がよくわからないのですが、でもなんだか楽しいのです。
足だけで、ブルトーザーのように落ち葉を集めます。
ふと見ると、真っ赤なウルシ。
きれいだけど、触らないようにね。
そんなこんなで、うずたかく積み上げられた落ち葉。
ウズウズします。そう、飛び込みたいのですよ。
でも、それだけじゃあつまんない。
スマホというハイテク機器を使って、
ちょっと遊んでみました。
落ち葉の中から湧き出てくる少年たち。
2割増な感じでヤラセっぽいですが、いいんです。何か楽しいのです。
今日は、そんなダンシ的な遊びで盛り上がりました。
子どもの遊びや興味もそうなんだけど、
それを少し広げられる大人・・・つまり「元子ども」の存在が必要なんだと
改めて感じました。
それは、
かつてそんな遊びばっかりやっていた、という自身の「経験」と、
学生の頃にインプットした「情報」(ネイチャーゲーム「大地の窓」)、
そして大人ならではの「機器や道具」(今回で言えば、カメラ、とか、車)
あるいは「技」(危険物除去とか、安全管理とか)がミックスされて、
そこにこうなったら面白いはずだ、
という「イメージ(妄想?)」をミックスした大人が横にいると、
今回のようなアウトプットがでてくるような気がします。
落ち葉を集める達成感、季節感。
落ち葉に潜るという非日常感。
落ち葉に隠れて、この世からいなくなるという優越感。
落ち葉を爆発させるというイメージ。
潜ってカウントダウンするドキドキ感。
実際やってみたら、意外とショボかった結果。
でも、それをビデオで見返して、
「今度はこうしよう」と工夫するクリエイティビティ。
たかだか10分ぐらいの遊びの中に、
そんなに深い世界があるんだと思うと、
自然体験活動って、すごいねって、単純に思うな。
やめられないなあ。
今年はなぜか男の子ばかりです。
毎度まいどいろんな遊びを考え出す少年たちですが、
今日は落ち葉が気になって仕方ありません。
「落ち葉集めよう」
「でも、手を使うのはダメね」
その理由がよくわからないのですが、でもなんだか楽しいのです。
足だけで、ブルトーザーのように落ち葉を集めます。
ふと見ると、真っ赤なウルシ。
きれいだけど、触らないようにね。
そんなこんなで、うずたかく積み上げられた落ち葉。
ウズウズします。そう、飛び込みたいのですよ。
でも、それだけじゃあつまんない。
スマホというハイテク機器を使って、
ちょっと遊んでみました。
落ち葉の中から湧き出てくる少年たち。
2割増な感じでヤラセっぽいですが、いいんです。何か楽しいのです。
今日は、そんなダンシ的な遊びで盛り上がりました。
子どもの遊びや興味もそうなんだけど、
それを少し広げられる大人・・・つまり「元子ども」の存在が必要なんだと
改めて感じました。
それは、
かつてそんな遊びばっかりやっていた、という自身の「経験」と、
学生の頃にインプットした「情報」(ネイチャーゲーム「大地の窓」)、
そして大人ならではの「機器や道具」(今回で言えば、カメラ、とか、車)
あるいは「技」(危険物除去とか、安全管理とか)がミックスされて、
そこにこうなったら面白いはずだ、
という「イメージ(妄想?)」をミックスした大人が横にいると、
今回のようなアウトプットがでてくるような気がします。
落ち葉を集める達成感、季節感。
落ち葉に潜るという非日常感。
落ち葉に隠れて、この世からいなくなるという優越感。
落ち葉を爆発させるというイメージ。
潜ってカウントダウンするドキドキ感。
実際やってみたら、意外とショボかった結果。
でも、それをビデオで見返して、
「今度はこうしよう」と工夫するクリエイティビティ。
たかだか10分ぐらいの遊びの中に、
そんなに深い世界があるんだと思うと、
自然体験活動って、すごいねって、単純に思うな。
やめられないなあ。