「ここは大丈夫なんだけど、あそこはダメです」
一瞬何のことだか分かりませんでした。
ご本人曰く、ここが「ホットスポット」、つまり放射線量が高いから、入ってはいけない、モノは拾っていけないとのこと。
そんなこと言われても・・・。こことあそこの違いなんて、なんにもないんです。
強いて言うなら、舗装道路と、その脇の芝の植え込みの違い。
要するに、雨水が流れていくところと、たまるところで、放射線量が違うということ。
福島でCONE(自然体験活動推進協議会)の全国フォーラムが開催されました。
そこで、子ども達を呼んで遊ぼうという分科会をお手伝いしたときの、下見でのシーンです。
さらに続きます。
「この広い広場、真ん中では遊んでいいです。でも、端っこでは遊ばないで下さい。モノも拾わせないで下さい」
これも同じ。端っこの方は、水はけが悪いから、放射線量が高い。
子どもなんて、真ん中よりも端っこで、木の枝とか拾って遊ぶ方が好きなのにね。
ぼくは、木育というテーマで、緑の木と茶色い材を繋げるアクティビティをやることになってて、
だから、近くの林の茂みから少し枝をもらって工作を作ろうとしたら
「ウエダさん、申し訳ねえっす。それ、だめなんだわ」と。
木育プログラムが成り立たない、できない。
頭をなぐられたような瞬間でした。
東日本大震災、福島第一原発。
ぼくも一応日本人です。
だから、それを忘れた訳ではないし、忘れたつもりはないし、いつも気にかけていたつもりだし、
出来ることは出来るだけやろう、と心に決めて、この3年8ヶ月動いてきました。
そして、それで「十分やってきた」ような気になっていました。
でも、それは、ほんの一面的なものでしかなかった・・・。
だって、子ども達は、その辺の木の棒を拾って遊べないんですよ。
草摘み、花摘みができない。石を拾って投げられない。
春の山菜、秋の木の実を採って食べられない。
頭の中は、限界、無力という言葉ばかり。
俺たちに、何ができるんだろう。
もう一回、考えよう。もう一回、想いを高めよう。
そんなことを考え続けた3日間でした。
今回のゲスト、飯館村で区長さんをされている
鴫原さんが見せてくれた映像です。
月命日には、これを見ることにしようと心に決めました。