生け花には、花形の骨格を決める役枝というものがある。流派によって異なるが、所属する華道、大和未生流では、天・地・人の枝である。これを漢方薬の方剤組成に例えれば、「天」の枝は、主となる作用を発揮する薬「君薬」に相当する。天・地・人の基本骨格に、「添」や「控」に当たる枝や花を配伍して花形を膨らませてゆき、ひとつの作品が完成する。「添」が基本的に補足であるのに対し、中心となる天集団が導く方向と勢いを、反対の極みにおいて一身に受けて立つのが「控」の枝である。入れ方は強く短く、その占める位置は一点しかない。この「控」をゆるがせにすると画龍点睛を欠いた花形になる。
太宰治の「富嶽百景」において、「三七七八米の富士の山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草はよかった。富士には、月見草がよく似合う」と描かれた月見草は、雄々しい富士に文字通り花を添えるだけの添花なのだろうか。大和未生流に入門して以来、この月見草は富士の存在理由を対極において裏書する「控」の一本ではないかと考える様になった。薬の性格や効能が君薬と相反しているが、これを少量加えることにより君薬の働きを補佐して薬効の発現を助ける薬を「反佐」と呼ぶ。「控」はこの反佐の一味であるとも言える。イチローはかつて、オンリーワンを甘えであると剛毅に喝破した。「控」には、天に背を向けた嘯きがなく、そして天を越えず、天を殺さず、天を受け止めて己が果たすべき職分を守りぬく気骨がある。
太宰治の「富嶽百景」において、「三七七八米の富士の山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草はよかった。富士には、月見草がよく似合う」と描かれた月見草は、雄々しい富士に文字通り花を添えるだけの添花なのだろうか。大和未生流に入門して以来、この月見草は富士の存在理由を対極において裏書する「控」の一本ではないかと考える様になった。薬の性格や効能が君薬と相反しているが、これを少量加えることにより君薬の働きを補佐して薬効の発現を助ける薬を「反佐」と呼ぶ。「控」はこの反佐の一味であるとも言える。イチローはかつて、オンリーワンを甘えであると剛毅に喝破した。「控」には、天に背を向けた嘯きがなく、そして天を越えず、天を殺さず、天を受け止めて己が果たすべき職分を守りぬく気骨がある。