花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

伝統医学と根上がり五葉松│シンポジウム「傷寒論再々考」に思う

2016-06-11 | 漢方の世界


世界三大伝統医学とされるユナニ医学、アーユルヴェーダ、中医学に始まり、各地の伝統医学は単なる医術にとどまらず、それを育んだ民族固有の文化、自然観を色濃く反映する。日本最古の医学書とされる医心方は丹波康頼が著した膨大な労作であるが、扱っているのは中国伝来の膨大な医書の集大成である。現代の漢方の勉強で最初に読めと指導される傷寒論や金匱要略も海を渡って来た医学書である。ならば本邦には日本漢方があっても、日本そのものを具現する伝統医学は何処に行ったのか。これが長年の私のジレンマであった。

以下は第67回日本東洋医学会学術総会、シンポジウム5「傷寒論再々考」(座長:三谷和男先生、西本隆先生)において抄録巻頭に記された座長の御言葉である。
「今や、日本漢方、中医学、韓医学などと分け隔てるのではなく、東アジア伝統医学パラダイムとしてもう一度、世界に役立つ治療法として再構築しなければならない。勿論、その時、傷寒論、温病論を再活用する医師がでて欲しいし、それとも、張仲景や呉鞠通よりももっと優れた医師が出て、傷寒論、温病条辨以上のものを作ってくれてもいいのではないか。今までの東洋医学のパラダイムを継承する中で、私達は互いに紡ぐことが不可欠である。若い人にばかり、勉強しろというのは無責任だから、私達団塊世代の端くれも一緒に頑張りたいと思い、今回のシンポジウムを創案した。「もう傷寒論でない」でも、「もう一度傷寒論」でもよい。再々考とは、限定されない未来志向である。」
(日本東洋医学雑誌67巻別冊, 講演要旨集, p129, 2016)

両座長先生の基調講演で幕を開けたシンポジウムは、傷寒論をテーマとしつつも傷寒論に留まらない。日本の先医達が如何様に時代の医学に向き合ってきたか、そして現代の医師に至るまで脈々と流れているその強靭で闊達な精神を再確認せよという公案を与えられた思いがした。たかが傷寒論されど傷寒論。されど傷寒論たかが傷寒論。「たかが」と申せば無礼に聞こえるが、日本人は傷寒論に限らずどの医書をも不可侵の聖なる書として崇め奉る絶対化をしてはいない。「されど」とリスペクトすれども臆せず怯まず、五感を総動員して敢えて表わされていない行間や背景を探りゆき、換骨奪胎、自家薬籠中の傷寒論に発展させていったのである。日本の狭義の伝統医学が日本漢方とすれば、広義の伝統医学はまさしくこの精神に裏打ちされた「限定されない未来志向」の行動様式であるとシンポジウムを拝聴して痛感した。



思えば伝統芸術、伝統芸能においても上辺をなぞるだけの踏襲に終始するなら、次の代は先代の器の中にきっちりとおさまる程度の一回り小さい器でしかありえない。その様な継代を経たならば、入れ子構造のマトリョーシカの如く、行き着く末の最内方はただ目鼻が描かれた人形に終わるだろう。その代々で不埒な何かを仕掛けて行ったからこそ、伝統を入れる器は永遠に萎まなかったのではないか。そして日々新たに転がりゆくダイナミズムをよしとする日本人の特性は、例外なく医学への取り組みにおいてもいかんなく発揮されてきたのである。

治療者にとっての至上命題は、時代の趨勢に合わせた医学を取り入れて、病人に最善の医療を提供することに尽きる。日々病人とともに歩む心を触発し、明日へと繋ぐ確かな手ごたえをもたらすものなら、東西何処の国の医学の枝であろうがこの手に全て掴まんとするが医師の業である。固有の根や株へのこだわりが時宜にかなった舵取りを鈍らせることがあれば、その時は断臂もいとわず潔く切り捨てて見せるだろう。紛れもなく、先の栗林公園の根上がり五葉松は日本の伝統医学を体現し、そしてぶれず動じない台木はその根底を為す精神を表わしている。黒松の台木とこれに接ぎ木されいまや不可分となった五葉松、異なる起源の松は一本の剛直な幹と化して頭上豊かに枝葉を繁らせている。




根上がり五葉松│栗林公園にて

2016-06-07 | 漢方の世界


第67回日本東洋医学会学術総会が高松で開催された。学会開催前日、国の特別名勝、栗林公園に伺った。はるか昔、小学校の修学旅行で初めて訪れた時に園内で買った小さな奉公さんの人形は、いまも家の陳列ケースの中で静かにたたずんでいる。栗林公園は紫雲山を借景とした大名式回遊庭園で、南湖と称する大きな池に面した大茶屋、掬月亭の傍らに「根上がり五葉松」が独特の風姿を見せている。元は徳川十一代将軍家斉公が松平家九代藩主頼恕公に賜った盆栽が地植えされたもので、黒松の台木に五葉松が接ぎ木されていることは説明書を読むまで解らなかった。鉢の中の盆栽は、いまや何処までが黒松で何処から五葉松か、一見では見抜くことは出来ない10m近い高さの豪壮な大木に育っている。



「根上がり五葉松」の姿は、南湖周遊和船に乗せて頂いて湖から眺めると陸地からとはまた趣が違う。今更ながらに思ったのは、接ぎ木が大きく育つためには地にしっかりと根を張った台木が殊の外大切だということである。黒松の台木は、ひとつの葉が表に出ることなくとも、また活かしているのは私だと能書きを垂れることもなく、それがどうしたと言わんばかりに五葉松を擁して泰然とゆるがない。おのれが守るべき本分の職分に徹しているのである。