花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

霜降の養生

2015-10-24 | 二十四節気の養生


霜降(10月24日)は、二十四節気の第18番目の節気である。さらなる冷気によって露が霜となり降り始めるとされる節気である。霜葉は二月の花よりも紅なりとも歌われた通り、野山は彩られて全山紅葉の錦秋の秋を迎える。霜は実際には、月落ち烏啼いて霜天に満つと詠まれた様に寒空より降り来たるのではなく、大気と接触している物体の表面温度が霜点より低下した時、空気中の水蒸気が昇華して結晶となるために起こる現象である。秋の霜と申せば、日本の検察官記章の意匠の呼び名は「秋霜烈日」である。かたや陽の灼熱の夏、こなた陰の粛殺の秋に属し、対照的な陰陽の象徴である。烈日と同じく天空より降り来るとされた秋霜は、ともに地上の人為に歪められることなく、天の理に従う峻厳で無私公正な職務を表わすにふさわしい。
 この時期の養生において注意せねばならないのは、秋特有の乾燥、次いでは晩秋の気温がさらに低下する時期の寒冷気候、さらに萬物が枯れ行く粛殺の景象である。すなわち気を引き締めるべき対象のキーワードは、秋燥、秋寒、悲秋である。三番目の粛殺の気に対しては、、10月3日の《二十四節気の養生》のブログ記事、『秋の養生│秋のように生きる』で触れた「使志安寧, 以緩秋刑」の心構えが必要となる。
 そして霜降をすぎればいよいよ冬の到来である。秋の凉燥から冬の寒冷への通過点にある霜降においては、「補冬不如補霜降」を念頭に置いて、改めて秋の補(忘れてはならないのは養陰潤肺、その他虚証の種類に応じた補を行う)を心がけねばならない。秋そして霜降は、来る冬の養生の基礎をつくるべき重要な時節なのである。

秋山に 霜降り覆ひ 木の葉散り 年は行くとも 我れ忘れめや    万葉集 巻第十 柿本朝臣人麻呂



父の手術器械

2015-10-22 | 日記・エッセイ


自院を開業したかしないかの頃に、父は一時期、某企業付属の診療所に勤めていたことがある。その会社は美術展の作品審査の際、応募された絵画を居並ぶ審査員の前に次々と運んで行く仕事を請け負っていた。煙草を咥えたままの審査員連に一瞥もされず、ただ手をひらりと振られて向こうに行けと合図される作品があり、はなから審査される作品は決まっていた。せめて一目でもみてあげればいいのにと、業務を終えて社に戻って来た人達はこぼしていたという。才能がない私も人並みに色々と夢見た年頃があり、将来は美術系の道に進みたいと言ったことがあった。父はその時、医師になるかならないはお前の勝手だが、芸術の道など絶対にやめろと頑強に反対した。

その父の腓腹部には、若き軍医中尉として配属された熊本で受けた貫通銃創の傷跡があった。連隊近隣の巡回医療も行っていて、業務を終えて帰ってきたら軍医宿舎があった所が空襲で焼け野原になっていたこともあったと聞いた。その熊本時代に知り合った軍医仲間の産婦人科の医師に見込まれた父は、君は非常に器用であり、外科出身だがこれを是非覚えて人助けをしてあげなさいと、ある手技の伝授を受けて手術器械一式を譲られた。外地からの引き揚げの際に、女性であるがゆえに不幸な経験を負った方達がおられる。その状況下に医師として何が出来て何をすべきであったか、色々と異論がある重い命題である。それでも一つの役割を引き受けた時、それを全うしようとするのが医師というものである。

そして半世紀以上過ぎてもなお、それらの遺物が本棚の奥底に丁寧に梱包されて仕舞われていたことを、父の古い医療器具を処分した8年前に初めて知った。最初に見つけた時、耳鼻咽喉科医の私は何の手術器械かわからず、これがそうかと生前に聞いていた話を思いだしてやっと合点がいったのである。実際に使うことはなかったのであるが、父はこれらを最後まで残して逝った。ほとんど全ての古い器械を処分した中で、私はこれだけは捨てることができなかった。そして終生、医師を続ける限り手放すことはないだろう。

佩蘭(はいらん)

2015-10-11 | 漢方の世界


佩蘭は、キク科ヒヨドリバナ属の多年草、藤袴(フジバカマ)の全草から得られる生薬である。芳香化湿薬ないし化湿薬に分類され、薬性は平、薬味は辛、帰経は脾、胃、肺経で、効能は芳香化湿、醒脾開胃、発表解暑である。化湿は湿を変化させるという意味で、芳香性薬物を用いて上焦および脾胃の湿邪を取り除く作用を示す。化湿は健脾和胃に働き、脾胃の働きが改善すれば湿の除去が効果的に行われる。また解暑は夏に発生する暑病を治す作用を言う。夏は暑熱が盛んな季節であり湿気も多い。暑邪と湿邪の両者の暴露を受けた病態が多いために化湿の働きは重要である。
 化湿薬に分類される他の生薬には、霍香(かっこう)、蒼朮(そうじゅつ)、砂仁(しゃにん)、白扁豆(びゃくへんず)があり、多くは性味が辛温、温燥性で、帰経は脾、胃経である。湿邪の停滞により脾胃の働きが障害されると、腹部膨満感、食欲不振、むかつき、嘔吐、下痢、四肢の重だるさ、白膩苔などの湿困脾胃証の症状が出現する。化湿薬は寒湿証に多用されるが湿熱証にも、上記の通り、夏風邪を含む外感暑湿証の病態にも有効である。
 佩蘭の薬力はおだやかで、霍香に比べると発表作用(体表の邪を発散してして治す作用)に劣るが、中焦に滞る湿を取り除く力に優れている。刻み生薬を比べても、佩蘭は花野に咲く薄紫色の花の風情そのままに控えめな香である。両者ともに長時間煎じると芳香性成分、揮発性成分が失われるために、後下(煎じ終わる5~10分前に加えること)とすることが望ましい。あるいは上からお湯を注いで、解暑除湿の夏の薬用茶とするのもよい。

「蘭草。一名水香。味辛平。生池澤。利水道。殺蟲毒。辟不詳。久服益氣。輕身不老。通神明。」
これは中国最古の薬物書『神農本草経』の上薬に分類された蘭草(佩蘭)の記述である。「上薬」とは養命を主る君薬(中心の働きをする薬)である。無毒で長期服用が可能で身体を軽く気を益して不老延年の効果がある。蘭草では上薬の性質に加えて末尾に「神明に通ず」の記載を見る。『黄帝内経・素問』生気通天論篇の「天気に服し神明に通ず」であり、四時陰陽の気を身に付けてその変化規律に通暁するという意である。ちなみに「中薬」は養性を主る臣薬(君薬に次いで重要な働きをする薬)である。使い方次第で毒にも薬にもなるので斟酌が必要で、病を予防し虚弱者を補う。「下薬」は治病を主る佐薬(君臣薬の補助をする薬)あるいは使薬(君臣佐薬の補助をする薬)で、毒性が強く長期服用は不可で、寒熱の邪気や積聚(腹腔内の腫塊)を破り病気を治す治療薬としての位置づけとなる。
 この蘭草であるが、『源氏物語』第三十帖、藤袴で「蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて」と差し出された「蘭の花」は藤袴である。夕霧が思いを込めて詠みかけた歌、これを上品にいなした玉鬘の歌、さらに『万葉集』巻第八、山上臣憶良が吟じた秋の七草の歌を下に掲げる。

同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよかことばかりも
尋ぬるにはるけき野辺の露ならば 薄紫やかことならまし

秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなえし また藤袴 朝顔の花

秋の野の花を詠む歌二首では、藤袴が秋の七草のひとつとして褒め称えられている。末尾の写真は、京都市内からの帰り道に松栄堂で買い求めた、季節限定の藤袴の匂い袋である。京都市右京区水尾地区で栽培された藤袴の葉が原料に用いられている。趣のある色の中でこの藤袴色と、もう一つ桔梗色の匂い袋を頂いた。
本年もあと三ケ月を残すのみとなり、季節はいまや晩秋である。


『茶乃心を花に託して』の花

2015-10-10 | アート・文化


遠州流茶道御宗家十二世、小堀宗慶宗匠の御高著『茶乃心を花に託して・総集編』(大有、1994年)は、遠州流初釜の大寄せ茶会において僥倖にも福引で引き当てて頂戴した思い出の御本である。あれから二十年余りの月日がたち、新春の一日に我々一同をお迎え下さった御宗家は遥か遠く泉下の客となられた。お連れ下さった御方もまた不帰の客となられて久しい。その席で門外漢の私は、輪無二重切が遠州流独自の切り方であるとはじめて知った。瑞々しく露が吹かれて満々と水をたたえた青竹の花入には、椿と突羽根が微塵の曖昧さもなく生け入れてあった。

『茶乃心を花に託して』は総集編で完結する五部作である。感銘を受けて帰京した後、ただちに春、夏、秋、冬の各編を出版元に注文して取り寄せた。あの時にお見せ下さった花の確かなたたずまいは、今も脳裏に焼き付いて消えることはない。


寒露の養生

2015-10-08 | 二十四節気の養生


寒露(10月8日)は、二十四節気の第17番目の節気である。気温はさらに下降し、一日一日ますます増大してゆく陰寒の気によって、草木に凍らんばかりの冷たい露が宿るので寒露と称する。秋の燥気に寒冷が加算された気候となり、自然の萬物が黄色く枯れゆく深秋を迎える。この時期の感冒、呼吸器感染症やその他の疾病予防のためには、身体の保温が大切である。「白露身不露、寒露脚不露」という言葉があるが、先の節気の白露を過ぎれば諸肌を脱ぎになって上半身の肌を見せることはせず、寒露を過ぎたら裸足は避けて足(脚は足首より下の部分)の保温に努めねばならないという教えである。足は言うまでもなく躯幹より一番離れた遠位端にあり、皮膚組織も薄く、最も冷えやすいので大切に守らねばならない。また足三陰経の太陰脾経、厥陰肝経、少陰腎経が起こるのは各々、足の第1趾にある隠白(SP1)、太敦(LV1)、および第五趾の下(少陰腎経はここから斜めに足底部の湧泉(KI1)に走る)である。これらの経絡の気血運行が障害されるとひいては全身に影響をもたらすことになり、まさしく身体の冷えは足から生じるのである。

秋の野に 咲ける秋萩 秋風に 靡ける上に 秋の露置けり    万葉集 巻第八 大伴宿禰家持


秋の養生│秋のように生きる

2015-10-03 | 二十四節気の養生


秋は立秋から処暑、白露、秋分、寒露、霜降までの六節気である。北宋の哲学者、明道先生こと程顥には、秋日偶成のほかにもその思想が深く投影された秋の詩がある。天道と人事の関係、自然と人とのあるべき和諧が詠じられた詩は、多くの文人墨客の悲秋とは一線を画している。

南去北來休便休  南去北来 休して便ち休す
白蘋吹盡楚江秋  白蘋吹いて盡す 楚江の秋
道人不是悲秋客  道人は是れ悲秋の客にあらず
一任晩山相對愁  晩山相對して愁うるに一任す

南に北に行くもよし、止まるもまたあり、行来の人心次第である。楚江に秋の到来を告げた白蘋の花はすでに風に吹かれて尽き、かくの如き大自然の推移はさらに人為が及ぶものではない。天地の理を識る者は秋を悲しむ感傷とは無縁である。黄昏の山が向かい合う愁に身を委ねて、この大自然に順うまでである。-------「題淮南寺」の詩意を辿りゆけば、悲秋の客にあらずと断じる転句がとりわけ異彩を放つ。大自然の循環は人事を超えた規律に従い、その時々で消長があり、去りゆくものに執着する心こそが悲しみをもたらすと教えてくれる。

春から夏にかけて外に表出していた陽気は、秋からは内方へと収束する転換の季節を迎える。厳しい秋の気が萬物を枯らすことを「粛殺」と言うが、外界に表れる様々な形象は、それまでの活動・興奮・隆盛から、静止・抑制・衰退に変わる。秋の粛殺の気に触るるとも、まさに「心神を傷ましむること莫れ」である。陽から陰へと舵を切る秋は、一年の内でもさらに養生に心を砕かねばならない。 



「秋三月, 此謂容平, 天氣以急, 地気以明, 早臥早起, 與鷄倶興, 使志安寧, 以緩秋刑, 収斂神氣得泄, 使秋氣平, 無外其志, 使肺氣清, 此秋氣之應, 養收之道也。逆之則傷肺, 冬爲飧泄, 奉蔵者少。」(『黄帝内経』素問・四気調神大論篇第二) 
(秋、三月、此れを容平(ようへい)と謂う。天氣は以て急に、地気は以て明るし。早に臥せ早に起き、鷄と倶に興く。志を安寧にして、以て秋刑を緩くす。神気を収斂し、秋気をして平らにならしめ、其の志を外にすること無れ、肺気をして清ならしめ。此れ秋気の応にして収を養うの道なり。之に逆うときは則ち肺を傷め、冬に飧泄を為す。蔵を奉ける者少なし。)

『黄帝内経』が説く季節の養生において、生、長、収、蔵の四文字で表される四季の属性の中で、夏の萬物成長の「長」に続く秋は収穫の「収」である。木、火、土、金、水の五行の中では「金」にあたり、秋の三か月は「容平」と名付けられる。「容」はからの枠に物を入れることを表し、収容や包容の意味で、「平」は浮草が水面に平らに浮かぶ姿であり、平穏や平定を意味する。したがって「容平」は、夏には燃え上がる炎の如く盛んであった陽気が、秋に至り内に収斂されて外に出張った状態ではなくなる姿を示している。自然界は一転し粛殺の気が満ち、万物は枯れて実り以外のものは容赦なく削ぎ落される。地に萌した陰気はさらに増し、陰陽バランスは陰盛として陰に傾いてゆく。寝起きに関しては、春と夏は「夜臥早起」であった。秋になると「早臥早起」とやや様相が異なる。朝は時を告げる鶏とともに起きる早起きであるが、夕方になれば活動を控えて、春や夏よりも就寝時間を早め睡眠時間を増加させる必要がある。春夏は陽を養い、秋冬は陰を養う時期であり、昼間の陽の時間(交感神経優位)は減らし、夜間の陽気が内に収束する陰の時間(副交感神経優位)を増やしてゆくのである。

起床後は心を安静に落ち着かせて、粛殺の影響を緩める様にする。内なる精神を引き締めて、身体にもたらされる秋気の作用を平らに穏やかにする。すでに志を外に向けて外の世界で活発に活動する季節は終息した。この時期は正気(とくにこの時期は肺気)を虚損することを避けるべきである。筋骨を擾(わずら)わす運動が過ぎると、肺が熱を持ち塞がる焦満(気管支炎や肺炎)に至る。秋の臓である肺は、元来、働きとしては粛降(吸気や水分を下降させる働き)を主る。秋にはこの肺気を上逆させることなく、清らかに保つ様につとめねばならない。

以上が秋の気の動態に対応した、萬物が収斂し収穫する力を養う道である。これらに反すれば、秋に旺盛となる肺の働きを障害して、冬に飧泄(そんせつ)の病変(消化不良による下痢)がおこるのであり、冬の封蔵の力が妨げられて病に至ると警告がなされている。冬に見られる飧泄は、秋からの陽気の内蔵が不十分な場合、陰寒の気が増加する季節に陰寒内盛となる為に生じる。また肺と大腸は表裏関係にある臓腑として、肺が障害されると大腸の病気が発生する要因につながるとも言える。