花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

男と女のこと│「源氏物語」と「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」

2024-09-21 | 日記・エッセイ


古今、セーフティーネットがなければ、堕ち行く先は奈落の底である。駿馬の骨やら卒塔婆小町等々は、袖にされた野郎どもや政敵がざまあ見ろと噂したであろう老残の風姿である。(尤も貶めたつもりが、描かれた彼女等は老驥櫪に伏すともの気概に満ちる。)それでも有力な後見がない桐壺更衣や生家没落後の定子皇后には、桐壺帝、一条天皇からの真摯な寵愛があった。光源氏が関係を結んだ女性陣を同居させた六条院は、さながら現代の高級介護施設である。「つれなき人の御心をば、何とか見たてまつりとがめん。そのほかの心もとなくさびしきこと、はた、なければ」(君の情けは薄いが、ほかに不安で心細いことは何もないから)(「源氏物語」三、初音)は、この時代の現実を見据えた紫式部の本音だろう。かばかりの御心にすがって年経るしかなかった女性陣の心中は果たして如何なるものであったか。

時代が下るが、大家池波正太郎著、鬼平犯科帳「本所・桜屋敷」は、ドラマや劇場版に繰り返し映像化された名作である。長谷川平蔵が盟友、岸井左馬之助と若かりし頃に通った道場の隣家、桜屋敷の純真無垢な娘、おふさが、時世に翻弄され悪意に晒された挙句、荒み切った姿で白洲に引き出されてくる。
 「女という生き物には、過去(むかし)もなく、さらに将来(ゆくすえ)もなく、ただ一つ、現在(いま)のわが身あるのみ-----ということを、おれたちは忘れていたようだな」(「鬼平犯科帳1」, 本所・桜屋敷)は、平蔵や左馬之助を忘れ去ったおふさを見送った後の平蔵の述懐である。真に気骨と力量がなければ、来し方を今に今を行く末に繋げる事は出来ない。後味の苦さとして残るのは、自暴自棄になり堕ちていった女の無力さであり、そして二十数年間憧れただけに終わり、身分の差を越えて女のかつての窮地を救えなかった男の無力さである。しづやしづのおだまき繰り返し、昔を今になすよしもがな。今年もまた独り佇み、万朶の桜を見上げる左馬之助の姿は傷ましく悲哀に満ちる。さりながらその後姿は、光芒と希望に満ち憧憬に彩られた自らの青春を懐かしみ、脳裏に蘇る残映に慰撫されているだけにも見える。 

参考資料:
阿部秋生, 秋山 虔, 今井 源衛, 鈴木日出男校注・訳:新編日本古典文学全集22「源氏物語」三, 小学館, 1996
池波正太郎著:文春文庫「鬼平犯科帳1」, 文藝春秋, 2016


立秋の日

2024-08-07 | 日記・エッセイ


  立秋日登樂遊園  白居易
獨行獨語曲江頭  獨り行き獨り語る 曲江の頭(ほとり)
廻馬遅遅上樂遊  馬を廻らすこと 遅遅として樂遊に上る
䔥颯涼風与衰鬢  䔥颯(せうさつ)たり 涼風と衰鬢(すいびん)と
誰教計會一時秋  誰か計會して 一時に秋ならしむる
 巻十九 律詩│「白氏文集 四」, p268

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
   古今和歌集・巻第四 秋歌上  藤原敏行朝臣

参考資料:
川口久雄, 志田延義校注:日本古典文学大系「和漢朗詠集 梁塵秘抄」, 岩波書店, 1974
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 四」, 明治書院, 1990
小沢正夫, 松田成穂校注・訳:新編日本古典文学大系「古今和歌集」, 小学館, 2015

人間の裸のこと

2024-08-03 | 日記・エッセイ


年齢を重ねれば重ねる程、心身ともに個体差が拡大する。熟練の数寄屋棟梁に、木材の材質差は年月を経たものほど大きいとかつて伺った。人もまた遺伝的素因に後天的な環境要因が加わり多種多様な表現型を呈する。その一方、天性の稟質はその後の行動原理を差配し、何処へ赴き何に関わるか、何に拘泥し妄執するか、何を截断し放下するか、価値志向性を終生支配する気がする。単純に申せば語弊があるが、三つ子の魂百迄である。
 高村光太郎は《触覚の世界》で、“当人自身でも左右し得ぬもの”や“この名状し難い人間の裸”と表現した。所詮、後から取り繕ってべたべた張り付けた飾り札などは、年経るとともに無残に剥がれ落ちる。望むことや望まぬこと、良きことも良からぬことも、いずれも自らの種を育てあげ見事に花開いた結果であるならば以て瞑すべしである。


小暑の京都を行く│廬山寺の源氏庭

2024-07-27 | 日記・エッセイ

廬山寺 源氏庭

7月某日、2024年度・日耳鼻京都府地方部会主催の「補聴器相談医更新のための講習会」に参加した。講習会終了後、京都御苑東に位置する京都府立医科大学図書館会場から足をのばし、梨木神社、紫式部邸宅址にある天台圓浄宗廬山寺を参拝した。廬山寺境内の源氏庭には今を盛りと州浜に植栽された桔梗が花開いている。濡縁に腰を下ろし時折吹き来る一陣の涼風に揺れる紫の花を眺めていると、酷暑の真夏只中であることをしばし忘れた。


石山月 / 月岡芳年「月百姿」
50 The moon and the helm of a boat --- Ishiyama moon / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001