花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

世にふれば

2022-01-30 | 日記・エッセイ

八重櫻 や江さくら│幸野楳嶺筆「草花百種 一」, 山田芸艸堂, 明治三十四年

世中にあらましかばと思人なきがおほくも成にける哉
     拾遺和歌集・巻第二十 哀傷   藤原為頼


朝桜│日本花図会

2022-01-27 | アート・文化

朝桜│尾形月耕「日本花圖繪」明治三十年

小唄<むらがらす>は「むら烏ぬれて出にけり朝桜」の句で始まる艶冶な歌曲で、唄の結びは「明けの鐘」である。「明けの鐘」は明け六つ、午前6時頃に寺で撞く鐘声で、「朝桜」は朝に露を帯びた桜である。東雲色のすやり霞を飛び行く後朝の夢いまだ醒めやらぬ二羽の痩鴉。ほのかに曙色をおびた桜花がこの刹那の風情を彩る。そしてかたや、今まさに暁鐘を撞かんと撞木を頭上に引いた荒法師。早朝は副交感神経優位から交感神経優位に切り替わる時である。

   都々逸 百人一首  
あけりや暮ると さて知りながら かねやからすが うらめしい
<本歌>明けぬれば暮るゝものとは知りながら なをうらめしき朝ぼらけかな
        後拾遺和歌集・巻十二 恋二  藤原道信

ふたりぬるともうかるべし、月斜窓に入暁寺の鐘   閑吟集
<本歌>鄂州寓館嚴澗宅  元稹
鳳有高梧鶴有松、偶來江外寄行蹤。花枝滿院空啼鳥、塵榻無人憶臥龍。
心想夜閑唯足夢、眼看春盡不相逢。何時最是思君處、月入斜窗曉寺鐘。 


鷽 垂桜│葛飾北斎画, 千来庵雪萬賛, 東京国立博物館蔵│「北斎の花」

鷽(うそ)は春先に桜、梅や桃の蕾を好んで食べるという豪奢な習性を持つ鳥である。一中節菅野派、三味線方の千来庵雪萬(二代目菅野序遊)賛は「鳥ひとつ濡れて出けり朝桜」である。

参考資料:
倉田喜弘編:「江戸端唄集」, 岩波書店, 2018
新間新一, 志田延義, 淺野建二校注:日本古典文学大系「中世近世歌謡集」, 岩波書店, 1984
久保田淳, 平田喜信校注:新日本古典文学大系「後拾遺和歌集」, 岩波書店, 1994


桜は匂ひは美しけれども│大学入学共通テスト2022「とはずがたり」

2022-01-16 | 日記・エッセイ


本年の大学入学共通テスト、1月15日の国語問題に『とはずがたり』からの一節が出題された。問題文は「斎宮は二十にあまり給ふ。ねびととのひたる御さま、上も名残を慕ひ給ひけるもことわりに、花と言はば桜にたとへてよそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬる隙も、いかにせましと思ひぬべき御有様なれば、ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし。」(巻一│「とはずがたり」, p79)から始まり、設問の一つ「ねびととのひたる御さま」は、大人びて成熟なさった御様子の意である。
 そして問題文に含まれないこの後の展開は、(後深草院は)明け過ぎぬ先に帰り入らせ給ひて、「桜は、匂ひは美しけれども、枝もろく、折りやすき花にてある」など仰せありしぞ、(私、二条)「さればよ」とおぼえ侍りし。」(同, p81)と言わずもがなの件が続く。

『とはずがたり』を知ったのは、1971年、週刊朝日連載の瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)著、宮田雅之切り絵挿画の『中世炎上』を拝読した時である。その頃は、時代も身分も異なる世界の物語であることを踏まえても、次々と繰り広げられる乱脈と倒錯にのみ圧倒された。しかし年経て『とはずがたり』を精読した時に、心に触れて来たのは生者必滅、会者定離の理である。

妻子珍宝及王位、臨明終時不随者、思ひ捨てにし憂き世ぞかし

   雨中落花
梢うつ雨にしをれて散る花の 惜しき心を何にたとへん
     山家集・上 春  西行  


瀬戸内晴美・中世炎上│「宮田雅之きりえ画集」

参考資料:
福田秀一校注:新潮日本古典集成「とはずがたり」, 新潮社, 1978
瀬戸内晴美著:瀬戸内晴美長編選集「中世炎上・輪舞」, 講談社, 1974
宮田雅之著:「宮田雅之きりえ画集」, 講談社, 1972
久保田淳, 吉野朋美校注:「西行全歌集」, 岩波書店, 2013
後藤重郎校注:新潮日本古典集成「山家集」, 新潮社, 2015


引き算で終わらない│引き算の美学・其の二

2022-01-10 | 日記・エッセイ


群花の中から豪奢な一輪を選べば、豊饒で色鮮やかな花を是とする西洋的美意識の域を出ない。さりながら群花の対極にある一輪だけを追い求めれば、群花があってこその衒いである。“全体”が其処に顕現する“影向の花”なればこそ、一輪が広大無辺に直通する。
 いけばなで花や枝葉を機械的に間引いて落とせば、ただ物淋しい貧相なだけの花に終わる。日本文化の特徴として挙げられる「引き算」、「省略」を用いて勝機を得て完結される美学において、これらの手法はあくまで戦術である。削除ではなく截断する刹那、啐啄同時に超出するものがなければ無意義である。

一片の氷心 玉壷に在り│花便り

2022-01-06 | アート・文化


  芙蓉樓送辛漸二首・其一   王昌齢
      芙蓉楼にて辛漸(しんぜん)を送る
寒雨連江夜入呉  寒雨 江に連なりて 夜 呉に入る
平明送客楚山孤  平明 客を送れば 楚山孤なり
洛陽親友如相問  洛陽の親友 如(も)し相い問わば
一片氷心在玉壷  一片の氷心 玉壷に在り

川合康三編訳:「新編 中国名詩選(中)」, p124-125, 岩波書店, 2015

令和四年元旦│歳寒三友

2022-01-01 | 日記・エッセイ


   題しらず
春霞たてるやいづこみよしの 吉野の山に雪はふりつつ
     古今和歌集・巻第一 春歌上   読人しらず

新年の御多幸を謹んでお祈り申し上げます。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。