花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

小雪の養生

2015-11-23 | 二十四節気の養生


小雪(11月23日)は、二十四節気の第20番目の節気である。気温はさらに降下して雪が降り始める時節とされるが、昨今は暖冬でいささか季節感がずれる。ともかくいまだ大雪が降るには至らない時期であるから小雪と称する。しかしながら日照時間はさらに短くなり、陰鬱な天空の下に陰盛陽衰の形象が日一日と増えてゆく。草花は色褪せ萎んで枯れて、すっかり葉を落とした木々の梢を寒風が吹き渡り、街路を行き交う人々の服装も灰色や黒色の単調な色合いが多くなる。そこには春の欣々向栄の趨勢も、夏の烈日の繁栄も、秋の萬物結実の安息もない。ともすれば人の心は、不安や不眠、いらいら感、やるせない悲観的な感情や、抑鬱的な気分、厭世的な思いに容易にはまり込んでゆく。従ってこの時節は、寒冷暴露を避けて保温に努めるとともに、いかにして精神を安定させるかということが大切である。
 『黄帝内経素問』上古天眞論篇には、「夫上古聖人之教下也, 皆謂之虚邪賊風, 避之有時, 恬惔虚無, 眞気従之, 精神内守, 病安従来」と記されている。その意味は、虚をもたらす邪(病原因子)や季節外れの風を避けるとともに、無心にして物事に捉われず、心を安らかに落ち着かせれば、おのずから真気(元気、生命活動の原動力)は充実する、精を消耗せず神(精神や意識などの生命活動)を妄動させずに、内に揺るぎなく保持すれば、其処に病気などが入り込む余地はないということである。「恬惔虚無(てんたんきょむ)」は、『荘子』に「虚無恬惔」あるいは「恬惔寂漠, 虚無無為」と登場する言葉であり、物に執着せず心安らかで、作為がなく自然であることを表している。
 風雨や暑熱、寒暑などの外邪から身を守ること、時宜にかなった食を選ぶこと、過労を避けて規律正しく起居を整えること、身体の鍛錬を行うこと等々、これらが養生において守るべき大事なことには間違いはない。しかしこれらの工夫に終始するだけが養生のすべてではない。養生においては「太上養神,其次養形」であり、形(肉体)を整えることにのみ汲々として中身がなければ、まさに「仏作って魂入れず」なのである。

夜を寒み 朝戸を開き 出でみれば 庭もまだらに み雪降りたる     万葉集 巻第十


立冬の養生

2015-11-08 | 二十四節気の養生


立冬(11月8日)は、二十四節気の第19番目の節気である。漢字の「冬」の象形は食物をぶらさげて貯蔵したさまを表わす。秋に収穫され天日干しを経た作物が最終的に収納庫に蓄えられているのである。この収納、格納という意の「蔵」が冬の核となるイメージであり、動物も植物も万物は活動を休止して冬籠りに入り、自然界の陽気は内蔵され陰気が盛んとなる。冬の養生の要諦は、ふたたび巡り来る生長発育の来季の春に備えて、陰を引き締めて陽を庇い守る「斂陰護陽」である。昼間は陽気をいたずらに消耗せずに、秋よりもさらに早寝を心がける。そして朝もよりゆっくりと起床して、太陽が昇った後の恵みを享受することが必要である。
 冬は、木、火、土、金、水の五行で言えば「水」にあたり、肝、心、脾、肺、腎の五臓の内の「腎」と深い関係にある。従って冬は腎を養う季節となる。東洋医学的な腎の概念は、西洋医学的な腎臓の機能(体液、細胞外液組成の恒常性の維持;老廃物や余剰の水分の血液からの濾過、排出;血圧・尿量調整、赤血球産生や骨代謝にかかわる内分泌作用)とはいささか異なる。腎の働きとされるのは、水液代謝の温煦調節、生命根源の力である精気の貯蓄(蔵精)、さらに肺が吸入した正気の体内深部への取り込み(納気)である。精気は身体の成長発育、生殖を含む生理的活動の物質的基盤となる基本物質であり、腎は生命の源の「先天の精」を蓄えるが故に「先天の本」と呼ばれる。腎中の精気の不足が、五臓六腑や組織器官を潤し滋養する「腎陰」、五臓六腑や組織器官を温め駆動する「腎陽」の陰陽失調を来すと、腎陰虚あるいは腎陽虚の症候が出現することになる。この他にも腎は、骨、歯や毛髪の代謝、耳(西洋医学の解剖学的に申せば、内耳さらに中枢性聴覚経路を含む)や二陰(外生殖器の前陰、肛門の後陰)の機能調節と関連する。また五臓の相互関係からは、冬の飲食では、鹹味(塩からい)を少なく、苦味(にがい)を多くする「少鹹多苦」が望ましい。酸、苦、甘、辛、鹹の五味に関連する五臓は、各々肝、心、脾、肺、腎である。冬に旺盛となる腎が行きすぎないように、また旺盛となる腎が克する(働きを抑えて調節すること)心を養うためである。

山背の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ 秋は散りけり     万葉集 巻第九 鷺坂にして作る一首