花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

秋思のうた

2022-11-11 | 詩歌とともに

春日之社│徳力富吉郎「版画大和路八景」

  秋日   耿湋
返照入閭巷 憂來誰共語 古道少人行 秋風動禾黍
返照閭巷に入る 憂い来りて 誰と共にか語らん 古道人の行くこと少に 秋風禾黍を動かす

いりひさす きびのうらはを ひるがえし かぜこそわたれ ゆくひともなし
   自註鹿鳴集・印象   会津八一

  所思
この道や行くひとなしに秋の暮
   其便   芭蕉


人生 別離足る│于武陵「勧酒」

2021-11-08 | 詩歌とともに


  勧酒   于武陵
勘君金屈巵 君に勧む 金屈巵
満酌不須辞 満酌 辞するを須(もち)いず
花発多風雨 花発けば風雨多く
人生足別離 人生別離足(おお)し
 巻六 五言絶句│「唐詩選 下」, p109-110

       井伏鱒二
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 訳詩 勧酒│「厄除け詩集」, p53


勧酒│「唐詩選畫本」

参考資料:
前野直彬注解:岩波文庫「唐詩選 下」, 岩波書店, 1972
井伏鱒二著:講談社文芸文庫「厄除け詩集」, 講談社, 1994
石峯橘貫書画:「唐詩選畫本 五言絶句五」天明戌申再刻版, 嵩山房
兪平伯 等編:「唐詩鑑賞辞典」, 上海辞書出版, 2013

牀前に月光を看る│李白「靜夜思」

2021-09-24 | 詩歌とともに


  靜夜思  李白
牀前看月光   牀前に月光を看る
疑是地上霜   疑ふらくは是れ地上の霜かと
擧頭望山月   頭を擧げて山月を望み
低頭思故卿   頭を低れて故卿を思ふ
 巻五・楽府│久保天随訳注:「李白全詩集一」, 日本図書センター
 巻之六 楽府三十八首│王琦注:中国古典文学基本叢書「李太白全集二」, 中華書局


「唐詩選畫本」五言絶句一, 石峯橘貫画讃, 東嶽管忠俊書, 嵩山房




名月何ぞ曾て是れ両郷ならん│王昌齢「送柴侍御」

2020-04-01 | 詩歌とともに

團扇畫譜

  送柴侍御  王昌齢
流水通波接武岡  流水は波を通じて 武岡(ぶこう)に接すれば
送君不覚有離傷  君を送るも離傷有るを覚えず
青山一道同雲雨  青山一道なれば 雲雨も同(とも)にし
明月何曾是両郷  名月何ぞ曾て是れ両郷ならん
(兪平伯等編著:「唐詩鑑賞辞典」, 上海辞書, 2013)
(公庄博著:「王昌齢全詩訳注」, ユニプラン, 2016)

沅水(げんすい)の波浪は武岡に続いているのだ
君を見送るこの時 別れゆく悲しみはない
連なる青山がまとう雲雨は何処とても同じである
山河を隔て他郷で見上げる名月とて別ものであろうか
今此処で別れるとも 離れ行くとも
我等を繋ぐ心はひとつである


人間は夢の如し│蘇軾「赤壁懐古」

2020-03-17 | 詩歌とともに


念奴嬌・赤壁懐古│「彩絵宗詞画譜」

  念奴嬌 赤壁懐古   蘇軾
大江東去 浪淘盡 千古風流人物
故壘西邊 人道是 三國周郎赤壁
乱石崩雲 驚涛裂岸 捲起千堆雪
江山如畫 一時多少豪傑
遥想公瑾當年 小喬初嫁了
雄姿英發 羽扇綸巾
談笑間 強虜灰飛煙滅
故國神遊 多情應笑我 早生華髪
人間如夢 一尊還酹江月


大江東に去り 浪は淘(あら)ひ尽くせり 千古の風流人物を
故塁の西辺人は道(い)ふ 是れ 三國 周郎の赤壁なり と
乱れし雲は 空を崩し 驚ける濤は 岸を裂き 千堆の雪を捲き起せり
江山 画けるが如し 一時 多少の豪傑ぞ
遥かに想う 公瑾の当年 小喬 初めて嫁し了(おわ)り 
雄姿 英發なりしを 羽扇(うせん) 綸巾(りんせん)
談笑の間に 強虜(きょうりょう)は灰と飛び煙と滅せり
故国に神(こころ)は遊ぶ 多情(のひと) 
応に我を笑うなるべし我が 早く 華髪を生ぜしを
人間(じんかん)は夢の如し 一尊 還(ま)た 江月に酹(らい)す

大江の水は東へ東へと流れゆき、波は千年の古人---自由不羈のすばらしい人々---のおもかげを洗いつくした。あの石垣の西の方、そこが三国のころの周瑜の古戦場、赤壁だと、ひとはいう。岩石は雲の峰のくずれたにもまがい、おどろしく、さかまく波がしらは岸をつんざき、雪の山にも似たしぶきを飛ばす。画をみるような山と川、あのひととき、ここに出あった英傑の数はいかばかりであったか。
 想いやれば、周瑜はそのとし、美しい小喬を迎えたばかりで、英雄のすがたいさましく、羽うちわと綸子の頭巾(をつけた諸葛孔明との)談笑のしばしのまに、強敵は灰けむりとなって、ついえ去った。ああ、故里へ魂ははせる。心ある人は、私が早くも白髪頭になったと笑うでもあろう。だが、人の世はまことに夢。まずはこの一本の酒を大江の月にささげるとしよう。
(中国詩人選集「蘇軾 下」, 126-130)

*「念奴嬌」:詞牌の名。
*「大江」:長江、揚子江。
*「公瑾」:周瑜の字(あざな)。孫権を補佐し赤壁の戦いで曹操軍を迎撃する。
*「小喬」:周瑜の妻。沈魚落雁閉月羞花の佳人、姉と合わせて二喬と称する。
*「酹」(ライ、そそぐ):その地の土主に酒をそそぐ祭儀。諸神の祭坐を連ねて祀り食を以てする祭祀が「餟」(テツ、まつる)、酒を以てするを「酹」という。(「字通」, p1582)
*版本による相違:
「乱石崩雲 驚濤列岸」(乱石は雲を崩し 驚濤は岸を裂き)
「乱石石穿 驚濤拍岸」(乱石は空を穿(うが)ち 驚ける岸を拍(う)ち)
強虜灰飛煙滅」(強虜は灰と飛び煙と滅びた) 強虜(きょうりょ):野蛮な強敵。
檣櫓灰飛煙滅」(檣櫓は灰と飛び煙と滅びた) 檣櫓(しょうろう):艦船の帆柱(檣)の上にある物見の台。ひいては軍船。
*「多情應笑我 早生華髪」:「應笑我多情」の倒句ととれば、感慨多端なこの私をどうぞ笑ってくだされ、さればこそ、雄姿凛々しい周瑜とは比べようもなく、このような白髪頭になるのだと、の意である。


赤壁2 決戦天下/Red Cliff II 呉宇森監督, 2009年公開

『三国志演義』では、周瑜は何度も怒気で矢傷を破り口吐鮮血(喀血)を繰り返した後に早世する。末期の言葉は「(天は)この周瑜を生まれさせながら、何であの諸葛亮(孔明)めまで生れさせたのか)」(「完訳三国志 四」, p219)、原文は「既生瑜、何生亮」である。怒りは肝を傷つけ(怒傷肝)、肝気鬱結、肝火犯肺を来し、灼熱の火邪は肺を焼灼して喀血に至る。『故事中医』《周瑜是吐血而亡嗎》は「周瑜只知兵家之事、帯兵打仗実為一員猛将、也不乏謀略、可以称為不可多得之将才。而孔明実乃一代師中之師才、他不僅上知天文、下知地理、中通人事、而且精通術数、熟読医理、深諳心理等、実不是周公瑾可比擬的。」(「故事中医」, p48-49)と周瑜と孔明を対比し、世に得難い将ではある周瑜、かたや森羅万象に通暁する孔明との器量の違いを述べている。『三国志演義』でのやたら怒りの沸点が低い将の姿とは全く異なり、映画「レッドクリフ PartII」の周瑜はまさに雄姿英発の快男子である。ラストシーンには、両者が友軍としてかわす最後の交感と、己がじしの道を進み行かんが為の別れが美しく描かれている。

参考資料:
汪氏編:「彩絵宗詞画譜」, 北京大学出版社, 2018
小川環樹編:中国詩人選集二集6「蘇軾 下」、岩波書店, 1962
白川静著:「字通」,平凡社, 1962
小川環樹, 金田純一郎訳:岩波文庫「完訳三国志 四」, 岩波書店, 2012
張景明主編:「故事中医」, 第四軍医大学出版社, 2015






梅雪残岸に乱れ

2019-04-29 | 詩歌とともに

遍地香雲│齊藤拙堂著:「月瀬記勝」坤, 看雲亭蔵板, 1882

  五言 初春侍宴 一首   従二位大納言大伴宿禰旅人
寛政情既遠 迪古道惟新 
穆々四門客 済々三徳人  
梅雪乱残岸 煙霞接早春
共遊聖主沢 同賀撃壌仁


  初春宴に侍す
政を寛(ゆるや)かにして情すでに遠く 古に迪(よ)って道これ新なり
穆々(ぼくぼく)たり四門の客 済々(せいせい)たり三徳の人
梅雪 残岸に乱れ 煙霞 早春に接す
ともに遊ぶ 聖主の沢 同じく賀す 撃壌(げきじょう)の仁
(江口孝夫 全訳注:「懐風藻」、p166-168, 講談社, 2000)

寛大なる政(まつりごと)は、古(いにしえ)のまま道に従いてしかも日々新たである。四門よりかしこみて参内の仕え奉る群臣達は、三徳を備えた者たちが数多である。雪に見紛う梅は岸辺に乱れ散り、霞はけぶり初春の空に満ちている。謹みて聖主の御恩沢を拝し、太平の御代の御仁徳を賀し奉り、益々の弥栄(いやさか)を祈念いたし、いざ御一同、この宴をとことん楽しもうやないですか!





名はしらぬ花

2018-11-03 | 詩歌とともに
  種田山頭火

どこまでも咲いてゐる花の名は知らない  (昭和七年 日記6・4)

たゞ一本の寒菊はみほとけに       (昭和七年 日記11・25)

摘んできて名は知らぬ花をみほとけに   (昭和八年 日記4・6)

咲くより剪られて香のたかい花      (昭和八年 日記4・7)

身のまはりは草だらけみんな咲いている  (昭和十年 日記4・18)

(種田山頭火著:「山頭火全句集」, 春陽堂, 2002)





悠然として南山を見る

2018-10-27 | 詩歌とともに
  飲酒二十首 其五  陶淵明

結盧在人境  盧を結んで人境に在り
而無車馬喧  而も車馬の喧(かまびす)しき無し
問君何能爾  君に問う 何ぞ能く爾(しか)ると
心遠地自偏  心遠ければ地自から偏なり
采菊東籬下  菊を采る東籬の下
悠然見南山  悠然として南山を見る
山氣日夕佳  山気 日夕に佳く
飛鳥相與還  飛鳥 相与(とも)に還る
此中有真意  此の中に真意あり 
欲辨已忘言  弁ぜんと欲して已に言を忘る

人里に庵を結んでいるが車馬の音に乱されることはない。何故ゆえにとお尋ねか。心が俗世にあらねば自ずと此処が遠地になる。東の垣で菊を手折り、悠然と南山(廬山)を眺めて一体となる。山容は夕方が素晴らしく、連れ飛ぶ鳥は巣に還りゆく。この中にこそ大自然の意趣がある。意を得て言を忘る。語ろうとするも言葉などは忘れたよ。



参考資料:
松枝茂夫, 和田武司:「陶淵明全集 上」, 岩波書店, 1990
川合康三編訳:「中国名詩選 上」, 岩波書店, 2015
陶潜著, 龔斌校箋:中国古典文学叢書「陶淵明集校箋」, 上海古籍出版, 2013
金谷治訳注:「荘子」第四冊, 岩波書店, 2012


磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞ

2017-11-10 | 詩歌とともに


  柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に曰はく
葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 言幸(ことさき)く ま幸くませと 障(つつ)みなく 幸くいませば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)しきに 事挙げす我れは 事挙げす我れは


磯城島(しきしま)の 大和の国は 言霊(ことだま)の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
(万葉集・巻第十三 3253, 3254│新潮日本古典集成 萬葉集四, 新潮社, 1981)

この葦原の瑞穂の国は天つ神の御心のままに、人は言挙げをしない国です。しかし私はあえて言挙げをいたします。この言の通りにどうぞ御無事でいて下さいませ。お障りなく御無事にお帰りの時、荒磯に寄せる波のように、変わりのない御姿でお目にかかりましょうと、百重に千重に寄せる繰り返しの波の様に、私は何度も言挙げをいたします。幾度も言挙げをいたします、私は。

我が磯城島の大和の国は言霊が幸いをもたらしてくれる国です。どうか御無事で。



『万葉集』巻十三《相聞》には、葦原の瑞穂の国、日本が事挙げせぬ国である事を謳った長歌二首がおさめられている。また山上憶良の「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり」で始まる好去好来(かうきょかうらい)の歌(無事に渡り無事に帰還することを祈る歌)が巻第五(894)にある。
 「事挙げ」とは言葉に出して事々しく言い立てることを意味する。「言霊」は言葉に宿る霊力である。神代の昔から、磯城島の大和の国、日本は言霊が幸をもたらす国であり、神の意に背いて人という分を越え、軽々しく事挙げを行えば禍を招くと考えられた。ひたすら人を労わり慮る心で祈念すれば、言霊の力が願いを実現させてくれる国である。おのれは天下に並びなき論客だ、言葉で木っ端微塵に論破したなどと驕れば命運は尽きる。さてこの様に書き綴ること自体がすでに「事挙げ」であろうから、此処いらで筆を置こう。現代は個人に優先権が置かれ、個人の自己主張、生活・人生設計が優先事項とされる時代である。その価値観が果たして真に生きやすい世界をもたらしてくれたかどうかは定かでない。

憫農 / 農を憫む

2017-11-09 | 詩歌とともに


  憫農二首 李紳
春種一粒粟, 秋収万顆子。 四海無閑田, 農夫猶餓死。
鋤禾日当午, 汗滴禾下土。 誰知盤中餐, 粒粒皆辛苦。


(愈平伯 他編著:唐詩鑑賞辞典, p996-997, 上海辞書出版社, 2013)

  農を憫(あはれ)む
春に種く一粒の粟、秋に収める万顆の子(み)。
四海に閑田無きも、農夫猶餓死す。
禾(か)を鋤きて日午に当たり、汗は滴る禾下の土。
誰か知らん盤中の餐 粒粒皆辛苦なることを。

春の「一粒粟」、一粒の粟を蒔けば、秋には「万顆子」、何万もの実がみのる。国中の何処にも耕していない田畑がないのに、なお農夫の餓死が後をたたない。真昼の太陽がぎりぎりと照り付ける中、鋤をいれて耕せば汗は田の土に滴り落ちる。誰がうつわの中の餐食が因って来る処を知っているだろう、誰も真に解ってはいない。その一粒一粒が心身を費やし労した辛苦の賜物であり、血と汗の結晶であることを。
 作者の李紳(りしん)(772-846)、字は公垂、中唐の政治家、詩人で、新楽府(新題楽府)運動の提唱者の一人である。





憫農, 范振涯画│趙永芳, 王値西編: 児童版・唐詩三百種, p200-201, 浙江少年児童出版社, 2003