花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

新型コロナウイルス(2019-nCoV)感染症の臨床像を知る

2020-01-30 | 医学あれこれ
1月30日現在、PubMedで“novel coronavirus pneumonia”を検索すると、2020年の論文が8例ヒットする。下記は新型コロナウイルス(2019-nCoV;novel betacoronavirus)感染症の臨床像に関する詳細な報告で、Lancet誌のWebで公開されている。
Huang C.et al.: Clinical features of patients infected with 2019 novel coronavirus in Wuhan, China. Lancet, 2020

本論文は、2019-nCoV感染症と診断された、1月2日までの武漢の入院患者41例の解析報告である。性別は男性30例(73%)、年齢の中央値は49歳、華南海産物市場(Huanann seafood market)での暴露感染が27例(66%)、家族内感染1例、13例(32%)が糖尿病、高血圧症、心血管疾患などの基礎疾患を有する。
 主症状は発熱40例(98%)、咳嗽31例(76%)、筋肉痛・疲労18例(44%)、喀痰、頭痛、喀血、下痢がこれに続く。呼吸困難に至った症例は22例(55%)、呼吸困難出現までの期間は8日。殆どの症例が鼻漏、くしゃみ、咽頭痛などの上気道症状は示さず、感染の標的となる細胞が下気道にあることを示唆した。
 著者らは考察において、41例の検討が下気道から得られた検体によりなされ、同時に鼻咽腔ぬぐい液が採取されていないこと、従って上・下気道における2019-nCoV検出の差異を今後の検討課題の一つとして挙げている。この点は耳鼻咽喉科医の一人として特に関心がある。

肺炎は全例に認められ、観察された胸部CTの異常所見は、40例(98%)に両側性肺病変あり。ICU入室患者入院時の典型的画像は、両側性多発性の小葉・亜区域の浸潤影(bilateral multiple lobular and subsegmental areas of consolidation)、非ICU患者は、両側のすりガラス状混濁、亜区域の浸潤影(bilateral ground-glass opacity and subsegmental areas of consolidation)。である。
 合併症は、急性呼吸窮迫症候群(acute respiratory distress syndrome;ARDS)12例(29%)、RNAaemia6例(15%)、急性心障害5例(12%)、二次感染4例(10%)。集中治療室(ICU)での加療を要した13例(32%)、6例(15%)が不幸な転帰をとり、1月22日現在で28例が退院基準に達した。
 SARS(severe acute respiratory symdrome;重症急性呼吸器症候群)やMERS(middle east respiratory syndrome;中東呼吸器症候群)と同様に血清サイトカイン上昇が観察され、本症例群ではIL1B、IFNγ、IP10、MCP1が高値で、さらにICU入室患者は非ICU群に比してGSCF、IP10、MCP1、MIP1A、TNFαが高値を示し、サイトカインストーム(cytokine storm;サイトカイン放出症候群;高サイトカイン血症による免疫系の過剰な全身性炎症反応で、ショック、播種性血管内症候群、多臓器不全など致死的な状態に至ることがある。)が重症度に深く関連することが示唆される。そしてTh1細胞(細胞性免疫応答に関与する)サイトカイン、Th2細胞(液性免疫応答に関与)サイトカイン(IL4、IL10)の反応解析が病態生理の解明に必要と結ばれている。

治療薬は、診断を確定する前の抗菌薬投与(empirical antibiotic treatment)が行われ、38例(93%)にオセルタミビル(oseltamivir)、9例(22%)にコルチコステロイド(corticosteroid)の全身投与が行われている。コルチコステロイド投与はSARS、MERSに対し炎症反応抑制の目的で用いられたが、ウイルス排出抑制を惹起する問題が残り、2019-nCoV感染症における有効性についてはさらなる解析が必要と論じられている。現時点で2019-nCoV感染症に対する有効な抗ウイルス治療法の報告はないが、著者等はロピナビル(lopinavir;HIV感染症治療に用いるプロテアーゼ阻害薬)とリトナビル(ritonavir;同じくプロテアーゼ阻害薬)の併用療法の確立に向けた、無作為化対照試験の開始を紹介している。



列列椿(つらつらつばき)

2020-01-25 | アート・文化


 大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌
巨勢山乃 列列椿    巨勢山の つらつら椿
都良都良尓 見乍思奈  つらつらに 見つゝ偲はな
許湍乃春野乎      巨勢の春野を


坂門人足(さかとのひとたり)の一首(万葉集巻第一・五四)に詠まれた「つらつら」とは何を意味するのか。澤瀉久孝博士は御著『萬葉集注釋』において、「椿の植ゑ列ねられた」という椿の並木説、「椿の葉の、すべらかに、つやめきたる」という葉の光澤説があることを例示された後に、「つら」は原文に用いられた「列」、「連」にとるのが穏やかであること、葉叢に連なり咲く花が椿の特色をあらわし、「椿」といへば「つらつら」という事が連想されるものであったことを論述なさっている。

「「葉廣ゆつま椿 しが花の 照りいまし」(仁徳記)といひ「その花の 照りいます」(雄略記)ともくりかへされてゐるやうに、目につきやすい、その赤い花の、繁つた葉の間に點々と連なつてゐる椿を、海上に點々と浮ぶ小舟をつららにといふに同じく、つらつら椿といふ事は、極めてすなほにうなづける形容であり、椿の特色を最も適切に表現した言葉といへるのではなからうか。」
(「萬葉集注釋 巻第一」, p363-366,)

参考文献:澤瀉久孝著:「萬葉集注釋 巻第一」, 中央公論社, 1955

曉露(あかときつゆ)

2020-01-23 | アート・文化


「(前略)「あかとき」は曉ですが、萬葉では「安香等吉」、「阿加登吉」などと書かれてゐてアカツキと訓まれる例はありません。明時の意だと思ひますが、まだ夜が明けない前の事で、集中、「曉」の文字を用ゐたところが多いけれど、「五更」の文字を用ゐたころが四つ、今は「鶏鳴」とあり、これによつて凡の時間が推定せられませう。「あかとき」と「あけぼの」とが區別せられて用ゐられてゐた事を、小島憲之君が日本書紀の用例で訓べた事は、別著「玄米の味」の中に書いておきましたが、こゝにも「さ夜ふけて」とつづき用ゐられてゐて、その頃の曉がまだ夜深い時刻であった事が察せられます。從ってその「あかとき露」といふのは今日の言葉ではむしろ夜露といふ方があたつてゐると申せます。遠く大和へ歸つてゆかれる弟皇子をまだ夜深いうちに見送られようとして戸外に立つて夜露にぬれたとおつしやつたので、「さ夜ふけて」からつづいて、そこに時間の經過がふくまれ、別れを惜しんで立ちつくしてをられるお姿が想像せられます。萬葉には「朝何」といふ言葉が多く、そこに「生活の健康さ」があると書きましたが、これは朝露よりももつと早い曉の露で、集中には
 この頃の曉露にわがやどの萩の下葉は色づきにけり(巻十、二一八二)
など曉露の語はなほ二三見えてゐます。」

(「萬葉集講話」, p50-51)

萬葉集研究の大家、澤瀉久孝博士著『萬葉集講話』、《わが背子を大和へやると》の章の一節である。本章は大伯皇女の御歌、
 わが背子を大和へやるとさ夜更けてあかとき露にわが立ちぬれし(巻二、一〇五)
についての談議で、以下の感慨深い御言葉が記されている。

「この敗戦を機として、もう一度都會の人も大自然の子に歸るべきではなかろうか、曉露といふやうな言葉をもつと身近に感じられるやうな生活に歸るべきではなからうかとしみじみ思はれた事でありました。」(同, p51)

蛇足であるが、「五更瀉」、「五更泄」は夜明け(寅卯時、午前3~7時)に起こる慢性の水様性下痢の病証で、別名「鶏鳴下痢」と称する。一般に病機は脾腎陽虚であり、治法は温腎健脾止瀉である。

参考文献:澤瀉久孝著:「萬葉集講話」, p50-51, 出来島書店, 1947


妙善の道┃田南樹園激流植援 謝霊運

2020-01-19 | アート・文化


 田南樹園、激流植援   謝霊運
樵隠倶在山 由來事不同
不同非一事 養痾亦園中
中園屏氛雑 清曠招遠風
卜室倚北阜 啓扉面南江
激澗代汲井 挿槿當列墉
羣木既羅戸 衆山亦對窓
靡迤趨下田 迢遞瞰高峯
寡欲不期勞 卽事罕人功
唯開蔣生逕 永懐求羊蹤
賞心不可忘 妙善冀能同


 田南に園を樹(た)て、流を激し援を植う
樵隠(せういん)は倶に山に在るも、由來事は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾(やまひ)を養うて亦園中にあり。
中園にて氛雑(ふんざつ)を屏(しりぞ)け、清曠(せいくわう)にて遠風を招く。
室を卜して北阜(ほくふ)に倚り、扉(ひ)を啓いて南江に面す。
澗(たに)を激して汲井(きふせい)に代へ、槿(むくげ)を挿して列墉(れつよう)に當つ。
羣木(ぐんぼく)は既に戸に羅(つらな)り、衆山も亦窓に對す。
靡迤(ひい)たる下田に趨(おもむ)き、迢遞(てうてい)たる高峯を瞰(み)る。
欲を寡くして勞を期せず、事に卽(つ)いて人功罕(まれ)なり。
唯蔣生(しやうせい)の逕(こみち)を開き、永く求羊の蹤(あと)を懐ふ。
賞心をば忘る可からず、妙善をば冀(こひねが)はくは能く同(とも)にせんことを。

きこりと隠者とは、いずれもみな山にいるが、元来そのなす所は同じでない。形は似て実質が同じでないのは、一事でなくて多く、わが病を養うて山中の園に在るごときもそれであって、この園中にいてわづらわしい俗気を去り、この清く広い所では遠くより吹きくる風を招きよせる。ここでは北方の岡によりそうた処に室をうらない定め、南方の江に向かって門扉をひらき、谷川の水を引きあげて、汲み井戸の代わりとし、むくげを植えめぐらして墻の代りとする。多くの樹木が戸の前につらなっている上に、山々もまた窓に対してそびえている。時にはゆるやかに長くのびた山下の田に行ったり、遠くの高い峰をながめたりする。われは欲望がすくなく、労役を希わぬので、このたびの造営をなすにも人の力を用いたことがまれである(修築ぐらいにとどめた)。ただ蔣君のごとき逕を開いて、いつも求仲・羊仲のごとき人が訪ねてくることを慕い思う。わが心にかなう友のことが忘れられず、妙善の道をともにしたいものである。
(内田泉之助, 網祐次著:新釈漢文大系15「文選(詩篇)」下, p637-639, 明治書院, 1964)




高崎だるまジャンボ梨

2020-01-18 | 日記・エッセイ


三連続きの縁起のよいだるまの話である。二十世紀梨と今村秋との間に生まれた大粒の「愛宕梨」が高崎だるまの包み紙で包まれた、カネカ果樹園「だるまジャンボ梨」を頂戴した。大安日の今日、各地でお慶びの祝典をお迎えになった方々が大勢いらっしゃることだろう。また本日から二日間、本年で最後となった大学入試センター試験が行われる。人事を尽くして天命を待つ。御武運をお祈り申し上げる。

謝公以宗社存亡決之、盡人事、聴天命、盖無遺策矣。 (胡寅著『読史管見』巻第八)
人事を盡くして天命に聴(まか)す。恬然と悠揚迫らぬ器量と讃えられた、東晋の名宰相、謝安の淝水の戦いにおける心情である。



庚子歳を寿ぐ│大和未生流の花

2020-01-13 | アート・文化


大安吉日、大和未生流の新年祝賀会が奈良ホテルで開催された。須山法香斎御家元夫妻、次期若御家元夫妻、流派一門がうち揃い、御多忙の中を御来場賜った東大寺・筒井寛昭御長老様をはじめ御来賓の御方々をお迎し、新師範の初生け披露、熟練の音楽演奏が続き、令和になり初めての花の宴らしく厳粛かつ和やかな新年会であった。御長老様は来賓祝辞にあたりお持ちのノートパソコンをお手ずから操作なさって、御作詞の「奈良におもえば」を御披露下さった。

今月26日、須山御家元の御講演「万葉集に見る花~日本人の美意識」が奈良まほろば館(東京日本橋)で行われる。万葉の人々がいかなる感性と美意識でこれらの花を見ていたかという観点が講演の主題と、朝の受付に控えていた我等にお聞かせ下さった。同時期に奈良まほろば館では、東京支部の尽力で流派の生け花が展示(1月24日(金)~26日(日))される。

ところで、新年会会場に向かう近鉄電車に乗り込んだ早朝、またもや赤いダルマの「合格祈願吊り革」に遭遇した。公私ともに何事も最後まで粘り強く努力せよ、との有難い激励の啓示であると拝した。
令和二年庚子歳が、津々浦々の皆々様におかれまして幸多き一年でありますように。


柴犬の見合い

2020-01-07 | 日記・エッセイ


飼い犬のまるを伴い、家族連れで某所に出向いた時のことである。用事が済み建物の外に出ると、外に待たせていた家族に初老の男性が何やら話しかけておられた。歩み寄れば、立派な雄犬だと褒めて下さっていて、さらには是非ともうちの犬と“結婚させたい”とのお申し出であった。なんとも急な展開に驚いていたら、御主人は此処で待っていて下さいと言い残してその場を去り、しばらくして近隣の御自宅から一匹の小柄な柴犬を率いて来られた。
 ところが、まるを見るなり“彼女”が吠えること吠えること。全身の毛が逆立つばかりに憤怒の気を漲らせ、踏ん張った足は絶え間なくぶるぶると震えている。相手の勢いに駆られて暴走させてはならないとすばやく手繰り寄せると、事態の急変に虚を衝かれたのか、まるは黙したまま足元で立ち尽くしている。

そのうちに今度は、うちの“愛嬢”に何をしたとばかりに、こわばった御顔の奥様らしき女性が早足で近づいて来られた。冤罪ですと申し上げたいものの、けたたましい鳴き声を心配なさり駆けてこられた心中は察するに余りある。最後にようやく誤解は解けたが、なんとも気まずい空気が漂う。お互い挨拶もそこそこに、そそくさと散会となった。
 最大の関門である御父上に気に入られようとも、肝腎の当人に嫌われたなら意味がない。それにしても一回り以上も小さい“彼女”が見せた気骨はなかなかのものである。守るべき領域への闖入者を撃退する行動であったのだろう。内なる恐怖をねじ伏せて一歩も引かずに立ち向かう姿勢は、種は違えども同性としてまことあっぱれと評したい。フレンドリーな愛玩犬が外飼いの番犬よりも多い時代であるが、”彼女”は彼女なりの立場を立派に貫いた。

さて家路を辿る道すがら、ひたすら吠えられ嫌われて傷心モードに陥ってやしないかと、過保護な飼い主はちらりと傍らを見た。全く無用の心配である。まるは何時もと何ら変わらぬ元気な足取りでどんどんと前へ進み行く。売られし喧嘩を買ふは時にとりて一興と思ふもあり、されど畢竟じて自他共に無益なり。晴天の霹靂の挑発にのらずにおまえは本当に偉かったぞ、などと思ったのは、何処までもお目出度い飼い主の贔屓目であった。

近鉄電車「合格祈願吊り革」

2020-01-05 | 日記・エッセイ


近鉄電車の「幸せを運ぶ、きんてつの吊り革」(2019/12/1~2020/3/14)である。昨年、医師会の会合からの帰宅路、お仲間の先生にこれが話題の吊り革だと教えて頂き、しっかり両手で握りしめてきた。その後に近鉄電車のホームページにて、吊り革に遭遇できる列車の運行エリアは大阪府、奈良県、京都府、さらに今回からは三重県、愛知県に拡大し、設置本数は「合格祈願吊り革」99本、「恋愛成就吊り革」3本、「金運招福」1本、「開運祈願吊り革」4本であると知った。「合格祈願吊り革」の本数には、最後まで諦めず、あと一歩の努力で合格を掴んでいただきたい、との願いが込められていますとのことである。

試験といえば、数十年が経過してもいまだに入試や国家試験の夢をみる。学生に戻った身で、正念場の夏が過ぎるのに西洋史の問題集が終わっていないだの、外科の講義録が見当たらないだの、試験勉強に追い立てられる類の夢である。鈍根の私らしく、時にはこれは夢か現か、しかし何かおかしいぞ、遥か以前に終わった筈だが、と自問自答している夢まである。もっともこれらの試験は突破しても単なる通過点に過ぎず、その後にも専門医や認定医試験等々を含め、試験や勉学からは終生離れることは出来ない生業である。

ところで当時、大学入試の理科二科目の選択では物理、化学を選択した。何の因果か、既に申し込みを行った医学関連の学会演題に関して、その頃から大の苦手の物理学の基礎をまた勉強せねばならない必要が生じた。購入した真新しい物理学入門書を相手に悪戦苦闘、また一から学び直している最中である。

さて年が明けた令和二年、各種の試験に臨む多くの御方が津々浦々にいらっしゃることだろう。もしそのような御方が今、この「合格祈願吊り革」の写真を御覧になっていたならば、
合格必勝うたがいなし。時節柄、何卒くれぐれも御自愛下さい。