嘗(かつて)北斎が母の年回に、馬琴其の困窮を察し、香奠許干金を紙に包みて与へたり。其の夕、北斎帰り来りて、談笑の間、袂より紙を出だし、鼻をかみて投げ出しけるを、馬琴見て大に憤りて曰く、これはこれ今朝与へし、香奠包の紙にあらずや、此の中にありし金円は、かならず仏事に供せずして、他に消費せしならん。不幸の奴めと罵りければ、北斎笑て曰く、「君の言のごとく、賜ふ所の金は、我れこれを口中にせり。かの精進物を仏前に供し、僧侶を雇ひ、読経せしむるが如きは、これ世俗の虚礼なり。しかず父母の遺体、即我が一身を養はんには。一身を養ひ、百歳の寿を有(たも)つは、是れ父母に孝なるにあらずや」と。馬琴黙然たりしと。
(巻上│飯島虚心著, 鈴木重三校注:岩波文庫「葛飾北斎伝」, p99-100, 岩波書店, 1999)
身體髪膚。受于父母。弗敢毀傷、孝之始也。立身行道、揚名於後世。以顯父母、孝之終也。
身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顯はすは、孝の終りなり。
(開宗明義章 第一│栗原圭介著:新釈漢文大系「孝経」, p78-83, 明治書院, 1986)
<蛇足の独り言> 破天荒な天才絵師の面目躍如である。草葉の陰から見守る御両親は、それで上等、それでこそ我が子なりとお褒めになるだろう。わが身体は一切父母から戴いたもの(父母がこの世に遺した身体)であり、善く守り傷めぬようにするのが孝行の始めと『孝経』にある。幾つになろうと親は親。子が日々明朗闊達に人生を全うしてくれること、それこそが何ものにも代えがたい孝行である。