花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

令和二年歳暮の御挨拶

2020-12-30 | 日記・エッセイ
激動と混乱の令和二年もはや余すところ二日となりました。本年、全国津々浦々で御健闘の諸賢に感謝を申し上げるとともに、不帰の旅路に出立なさった御方に謹んで哀悼の意を捧げます。新たな令和三年を迎えるにあたり、来る年の御多幸と御健勝を心よりお祈り申し上げます。

   題知らず    在原元方
春秋もしらぬときはの山里は 住む人さへや面変りせぬ
     新古今和歌集・巻第十七 雑歌中







その場に座る

2020-12-24 | 日記・エッセイ
その立場に身を置いて初めて見えるものがある。限りなく近場で視界を共有しようとも、対象を捉える視軸は重ならない。町医者、医院の管理者となり多くの御方に支えられて十数年が過ぎた。何かの折に、先代はこのような眼で見ていたに違いないと思うことがある。あまつさえ、あたかも数多の先達が乗り移ったかの如く、遥か昔にこの位置からこれを見たという不思議な既視感が起こる。何時になれば、見るべきほどのことは見つと思えるのだろう。そしてその時を迎えるまでに果たさねばならないことはと何時も考える。




我が一身を養ふとは

2020-12-05 | 日記・エッセイ


嘗(かつて)北斎が母の年回に、馬琴其の困窮を察し、香奠許干金を紙に包みて与へたり。其の夕、北斎帰り来りて、談笑の間、袂より紙を出だし、鼻をかみて投げ出しけるを、馬琴見て大に憤りて曰く、これはこれ今朝与へし、香奠包の紙にあらずや、此の中にありし金円は、かならず仏事に供せずして、他に消費せしならん。不幸の奴めと罵りければ、北斎笑て曰く、「君の言のごとく、賜ふ所の金は、我れこれを口中にせり。かの精進物を仏前に供し、僧侶を雇ひ、読経せしむるが如きは、これ世俗の虚礼なり。しかず父母の遺体、即我が一身を養はんには。一身を養ひ、百歳の寿を有(たも)つは、是れ父母に孝なるにあらずや」と。馬琴黙然たりしと。
(巻上│飯島虚心著, 鈴木重三校注:岩波文庫「葛飾北斎伝」, p99-100, 岩波書店, 1999)

身體髪膚。受于父母。弗敢毀傷、孝之始也。立身行道、揚名於後世。以顯父母、孝之終也。
身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顯はすは、孝の終りなり。
(開宗明義章 第一│栗原圭介著:新釈漢文大系「孝経」, p78-83, 明治書院, 1986)  

<蛇足の独り言> 破天荒な天才絵師の面目躍如である。草葉の陰から見守る御両親は、それで上等、それでこそ我が子なりとお褒めになるだろう。わが身体は一切父母から戴いたもの(父母がこの世に遺した身体)であり、善く守り傷めぬようにするのが孝行の始めと『孝経』にある。幾つになろうと親は親。子が日々明朗闊達に人生を全うしてくれること、それこそが何ものにも代えがたい孝行である。

残菊│花便り

2020-12-01 | アート・文化


   しらぎくの花をよめる
心あてに 折らばや折らん 初霜の おきまどはせる しらぎくの花
       古今和歌集・巻第五 秋歌下 凡河内躬恒