清少納言と紫式部は宮仕えの時期が異なり、実際には面識がなかったというのが通説である。『紫式部日記』の清少納言に関する悪罵と冷笑に満ちた一文からは、一筋縄では行かない紫式部の人となりの一端が窺える。ともに誇り高く、御主を守り抜かんという心ばせの両者は、例え一堂に会しても到底相容れる相手ではなかったろう。謡曲<葵上>で、枕に立ち寄りちやうと出小袖を打つのは、瞋恚の炎に身を焦がした六条御息所である。お得意の言葉を刃に敵視する相手を苛むか、それとも扇ではっしと打ち据えるかの違いがあるとも、紫式部と六条御息所の心習ひは何処か似通った所がある。
「我が民族性の持つ一種の淡々たる明るさ、灰汁ぬけのした清楚な好みは、原始的なものながらに既に後世の「潔さ」を尚ぶ道徳の源を遺憾なく暗示してゐるとみられる。つまり毒々しくあくどいもの、しつこいことは初めから嫌ひな國民なので、いかなる意味でもさっぱり、あっさり、すつきりといふことが趣味に合ふのである。」は、長與善郎著『東洋の道と美』の一節である。虚無恬淡には甚だ程遠い我が身であるが、古典に初めて触れた年少から齢重ねた現在に至るまで、紫式部の様なタイプが一番苦手である理由が此処にある。
現在人気を博し放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、原典『源氏物語』の設定と歴史上の登場人物とを相互投影させた演出が光る、通説とは異なった独自の発想による創作ドラマである。勿論、主人公である紫式部最上の主題は揺るぎない。件の一文が誹謗中傷ではなく、確固たる理由に基づく正当な批判と印象づける為なのだろう、第41話では清少納言が藤壺への“殴り込み”をかける場面が創作されていた。もし『清少納言日記』があれば、果たして紫式部を如何様に物しただろう。否否、腹がふくるる思いがあるとも敢えて一切取り上げることはなかったに違いない。そして最後に、素人了見の戯言と御容赦頂きたい。先のシーンは清少納言sageの目標を見事に完遂したに違いない。なれど『枕草子』に表出する清少納言の稟質と颯然とした風姿には最もそぐわない振舞の創出であり、奸策に満ちた演出であった。