花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

或る日の待合室│花信

2024-11-10 | アート・文化

はや立冬過ぎるも暫し晩秋を惜しんで

一年にふたたび行かぬ 秋山を心に飽かず過ぐしつるかも
   万葉集・巻第十  

桂の黄葉

2024-11-09 | 日記・エッセイ

当院玄関横の黄葉(もみぢ)した桂の木、落葉は芳香を放つ。今宵は上弦の半月

黄葉する時になるらし 月人の桂の枝の色づく見れば        
   万葉集・巻第十 



清少納言と紫式部

2024-11-01 | 日記・エッセイ


清少納言と紫式部は宮仕えの時期が異なり、実際には面識がなかったというのが通説である。『紫式部日記』の清少納言に関する悪罵と冷笑に満ちた一文からは、一筋縄では行かない紫式部の人となりの一端が窺える。ともに誇り高く、御主を守り抜かんという心ばせの両者は、例え一堂に会しても到底相容れる相手ではなかったろう。謡曲<葵上>で、枕に立ち寄りちやうと出小袖を打つのは、瞋恚の炎に身を焦がした六条御息所である。お得意の言葉を刃に敵視する相手を苛むか、それとも扇ではっしと打ち据えるかの違いがあるとも、紫式部と六条御息所の心習ひは何処か似通った所がある。

「我が民族性の持つ一種の淡々たる明るさ、灰汁ぬけのした清楚な好みは、原始的なものながらに既に後世の「潔さ」を尚ぶ道徳の源を遺憾なく暗示してゐるとみられる。つまり毒々しくあくどいもの、しつこいことは初めから嫌ひな國民なので、いかなる意味でもさっぱり、あっさり、すつきりといふことが趣味に合ふのである。」は、長與善郎著『東洋の道と美』の一節である。虚無恬淡には甚だ程遠い我が身であるが、古典に初めて触れた年少から齢重ねた現在に至るまで、紫式部の様なタイプが一番苦手である理由が此処にある。

現在人気を博し放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、原典『源氏物語』の設定と歴史上の登場人物とを相互投影させた演出が光る、通説とは異なった独自の発想による創作ドラマである。勿論、主人公である紫式部最上の主題は揺るぎない。件の一文が誹謗中傷ではなく、確固たる理由に基づく正当な批判と印象づける為なのだろう、第41話では清少納言が藤壺への“殴り込み”をかける場面が創作されていた。もし『清少納言日記』があれば、果たして紫式部を如何様に物しただろう。否否、腹がふくるる思いがあるとも敢えて一切取り上げることはなかったのではないか。そして最後に、素人了見の戯言と御容赦頂きたい。先のシーンは清少納言sageの目標を見事に完遂したに違いない。なれど『枕草子』に表出する清少納言の稟質と颯然とした風姿には最もそぐわない振舞の創出であり、奸策に満ちた演出であった。

藤袴にほふ│花信

2024-10-13 | アート・文化


  ふぢばかまをよめる
主しらぬ香こそにほへれ 秋の野に誰ぬぎかけし藤袴ぞも
   古今和歌集・巻第四 秋上   素性法師

  蘭をよめる
ふぢばかま主はたれともしら露の こぼれてにほふ野辺の秋風
   新古今和歌集・巻第四 秋歌上   公猷法師




亢龍悔い有り

2024-10-12 | 日記・エッセイ


豊臣秀吉が、織田信長や徳川家康等、継嗣の若様育ちの武将と決定的に異なるのは、下積時代の生活環境である。碌な装備もないままに酷暑、極寒下の野営や夜駆けもあったろう。”ブラック企業“で長年にわたり心身を酷使した生活習慣が、生来蒲柳の質でなかろうと、後年、他者に先んじ腎虚を発症する要因となったことは想像に難くない。亢龍悔い有り。位人臣を極める頃に躰が容赦なく衰え潰える不安と恐怖。晩期の無慙な闇堕ちには、其の身から失われる性命への渇仰と、いまや躍りて淵に在るわかうどに向けた遺恨が、一筋の黯い底流として流れてはいなかったか。
南無阿弥陀仏。合掌。

群馬県六合村の秋草│花信

2024-10-04 | アート・文化

ホトトギス(杜鵑草)、フジバカマ(藤袴、紫紅と白)、ハゴロモフジバカマ(羽衣藤袴)、ショウジョウソウ(猩生草)、ダリア(天竺牡丹)、シュウメイギク(秋明菊)、コスモス(秋桜)

秋の野を分けゆく露にうつりつつ わが衣手は花の香ぞする
   新古今和歌集・巻第四 秋歌上   凡河内躬恒








老驥伏櫪 志在千里│曹操孟徳

2024-09-29 | アート・文化

南屏山昇月 曹操/月岡芳年「月百姿」
3 Rising moon over Mount Nanping --- Cao Cao


  歩出夏門行(神龜雖壽)  曹操孟徳
神龜雖壽 猶有竟時  神亀 壽なりと雖も 猶お竟くる時有り
騰蛇乘霧 終爲土灰  騰蛇 霧に乗るも 終には土灰と為る
老驥伏櫪 志在千里  老驥 櫪に伏するも 志は千里に在り
烈士暮年 壯心不已  烈士の暮年 壮心 已まず
盈縮之期 不但在天  盈縮の期は 但だ天に在るのみならず
養怡之福 可得永年  養怡の福 永年を得可し
幸甚至哉 歌以詠志  幸甚 至れる哉 歌いて以て志を詠ぜん
 楽府詩集│「曹操・曹丕・曹植詩文選」, p61-63

*蛇足の独り言:魏の曹操孟徳は群雄割拠の後漢末期における、慧眼無双、文武両道の覇者である。『三国志演義』を基本に制作されたテレビドラマ「三国志 Three Kingdoms」のDVDを毎日一話ずつ視聴していた頃、桃園の誓いや三顧之礼、単騎救主、出師の表等々が偲ばれる蜀の英雄群像推しの眼には、第84話「麦城に敗走す」以降の蜀の落日が甚だ傷ましく、未だに全てを見終わっていない。
 「おごれる人も久しからず、唯春の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」は『平家物語』の冒頭である。風塵の如く歴史の彼方に消えゆくとも、其の上には時世に挑み力の限り生きた烈士達がいた。両書はともに私の愛読書である。自らの人生は清淡虚無には程遠いが、卑怯陋劣とは無縁でありたいと切に思う。

参考資料:
川合康三編訳:「曹操・曹丕・曹植詩文選」, 岩波書店, 2024
吉川英治著:吉川英治歴史時代文庫「三国志」, 講談社, 2012
落合清彦校注:「完本三国志」絵本通俗三国志, ガウスジャパン, 2006
井波律子訳:講談社学術文庫「三国志演義」, 講談社, 2019
小川環樹, 金田純一郎訳:岩波文庫「完訳三国志」, 岩波書店, 2012
羅貫中著:中国古典文学読本叢書「三国演義 」, 人民文学出版, 2019
Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001
市古貞次校注・訳:日本古典文学全集「平家物語」, 小学館, 2014




男と女のこと│「源氏物語」と「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」

2024-09-21 | 日記・エッセイ


古今、セーフティーネットがなければ、堕ち行く先は奈落の底である。駿馬の骨やら卒都婆小町等々は、袖にされた野郎共や政敵がざまあ見ろと噂したであろう老残の風姿である。(尤も貶めたつもりが、描かれた彼女等は老驥櫪に伏すともの気概に満ちる。)それでも有力な後見がない桐壺更衣や生家没落後の定子皇后には、桐壺帝、一条天皇からの真摯な寵愛があった。光源氏が関係を結んだ女性陣を同居させた六条院はさしずめ高級介護施設である。「つれなき人の御心をば、何とか見たてまつりとがめん。そのほかの心もとなくさびしきこと、はた、なければ」(君の情けは薄いが、ほかに不安で心細いことは何もないから)(「源氏物語」三、初音)は、この時代の現実を見据えた紫式部の本音だろう。かばかりの御心にすがって年経るしかなかった女性陣の心中は果たして如何なるものであったか。

時代が下るが、大家池波正太郎著、鬼平犯科帳「本所・桜屋敷」は、ドラマや劇場版に繰り返し映像化された名作である。長谷川平蔵が盟友、岸井左馬之助と若かりし頃に通った道場の隣家、桜屋敷の純真無垢な娘、おふさが、時世に翻弄され悪意に晒された挙句、荒み切った姿で白洲に引き出されてくる。
 「女という生き物には、過去(むかし)もなく、さらに将来(ゆくすえ)もなく、ただ一つ、現在(いま)のわが身あるのみ-----ということを、おれたちは忘れていたようだな」(「鬼平犯科帳1」, 本所・桜屋敷)は、平蔵や左馬之助を忘れ去ったおふさを見送った後の平蔵の述懐である。真に気骨と力量がなければ、来し方を今に今を行く末に繋げる事は出来ない。後味の苦さとして残るのは、自暴自棄になり堕ちていった女の無力であり、そして二十数年間憧れただけに終わり、かつて身分の差を越えて女の窮地を救えなかった男の無力である。しづやしづのおだまき繰り返し、昔を今になすよしもがな。今年もまた独り佇み、万朶の桜を見上げる左馬之助の姿は傷ましく悲哀に満ちる。さりながらその後姿は、光芒と希望に満ち憧憬に彩られた自らの青春を懐かしみ、脳裏に蘇る残映に慰撫されているだけにも見える。 

参考資料:
阿部秋生, 秋山 虔, 今井 源衛, 鈴木日出男校注・訳:新編日本古典文学全集22「源氏物語」三, 小学館, 1996
池波正太郎著:文春文庫「鬼平犯科帳1」, 文藝春秋, 2016


十六夜の月│頂いたお花を生ける

2024-09-18 | 日記・エッセイ


もろともに大内山は出でつれど入る方見せぬいさよひの月
   源氏物語・末摘花   頭中将

今宵は中秋の名月│頂いたお花を生ける

2024-09-17 | 日記・エッセイ


  百首歌奉りし時、月歌
いつまでか涙曇らで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき
   新古今和歌集・巻第四 秋歌上   前大僧正慈円