花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

人生意気に感ず│花信

2023-01-28 | アート・文化


  述懐  魏徴 
中原還逐鹿 筆投事戎軒 縦横計不就 慷慨志猶存
杖策謁天子 驅馬出關門 請纓繋南粤 憑軾下東藩
鬱紆陟高岫 出没望平原 古木鳴寒鳥 空山啼夜猿
既傷千里目 還驚九逝魂 豈不憚艱険 深懐國士恩
季布無二諾 候嬴重一言 人生感意氣 功名誰復論


中原還た鹿を逐い、筆を投じて戎軒を事とす。縦横の計(はかりごと)は就らざれども、慷慨の志は猶お存せり。策に杖りて天子に謁し、馬を駆りて関門を出づ。纓(えい)を請うて南粤(なんえつ)を繋ぎ、軾(しょく)に憑りて東藩を下さん。鬱紆(うつう)高岫(こうしゅう)に陟(のぼ)り、出没平原を望む。古木に寒鳥鳴き、空山に夜猿啼く。既に千里の目を傷ましめ、還た九逝の魂を驚かす。豈に艱険を憚らざらんや、深く国士の恩を懐う。季布に二諾無く、候嬴(こうえい)は一言を重んず。人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜん。

 前野直彬注解:「唐詩選 上」, 岩波書店, p22-26, 岩波書店, 1972


高蘭山著, 翠溪画:「唐詩選畫本 五言古詩一」天明四年癸巳, 嵩山房





族類を以て賢を求むるを請ふ│2023年度大学入学共通テスト「白氏文集」

2023-01-15 | 日記・エッセイ


《二十七、請以続類求賢》
問、自古以來、君者無不思求其賢、賢者罔不思效其用。然兩不相遇、其故何哉。今欲求之、其術安在。

臣聞、人君者無不思求其賢、人臣者無不思効其用。然而君求賢而不得、臣效用而無由者、豈不以貴賤相懸、朝野相隔、堂遠於千里、門深於九重。雖臣有慺慺之誠、何由上達、雖君有孜孜之念、無因下知。上下茫然、兩不相遇。如此、則豈唯賢者不用、矧又用者不賢。所以從古已來、亂多而理少者、職此之由也。
臣以為、求賢有術、辨賢有方。方術者、各審其族類、使之推薦而已。近取諸喩、其猶線與矢也。線因針而入、矢待弦而發。雖有線矢、苟無針弦、求自致焉、不可得也。夫必以族類者、盖賢愚有貫、善惡有倫、若以類求、必以類至。此亦由水流濕、火就燥、自然之理也。何則、夫以德義立身者、必交於德義、不交於險僻、以正直克己者、必朋於正直、不朋於頗邪、以貪冒為意者、必比於貪冒、不比於貞廉、以悖慢肆心者、必狎於悖慢、不狎於恭謹。何者、事相害而不相利、性相戾而不相從。此乃天地常倫、人物常理、必然之勢也。則賢與不肖、以此知之。伏惟、陛下欲求而致之也、則思因針待弦之勢、欲辨而別之也、則察流濕就燥之徒。得其勢、必彙征而自來、審其徒、必群分而自見。求人之術、辨人之方、於是乎在此矣。」

問ふ、古より以來、君者は其の賢を求むるを思はざる無く、賢者は其の用を效(いた)すを思はざる罔(な)し。然れども兩つながら相遇はざるは、其の故何ぞや。今之を求めんと欲するに、其の術安(いず)くに在るや。

臣聞く、人君は其の賢を求むるを思はざる無く、人臣は其の用を效すを思はざる無しと。然れども君は賢を求めて得ず、臣は用を効すに由無きは、豈に貴賤相懸て、朝野相隔て、堂は千里より遠く、門は九重より深きを以てならずや。臣に慺慺(るる)の誠有りと雖も、何に由りて上達せん、君に孜孜(しし)の念有りと雖も、下知するに因無し。上下茫然とし、兩つながら相遇はず。此くの如ければ、則ち豈に唯に賢者の用ひられざるのみならん、矧んや又用者の賢ならざるをや。古より已來、亂多くして理少なき所以の者は、職ら此に之れ由るるなり。
臣以為へらく、賢を求むるに術有り、賢を辨ずるに方あり。方術とは、各々其の族類を審らかにし、之をして推薦せしむるのみ。近く諸を喩へに取れば、其れ猶ほ線(いと)と矢とのごとし。線は針に因りて入り、矢は弦(つる)を待ちて發す。線矢有りと雖も、苟くも針弦無くんば、自ら致すを求むるも、得べからざるなり。夫れ必ず族類を以てするは、盖し賢愚貫ぬる有り、善惡倫(ともがら)有り、若し類を以て求むれば、必ず類を以て至る。此れ亦た由ほ水の濕に流れ、火の燥に就くがごとく、自然の理なり。何となれば則ち、夫れ德義を以て身を立つる者は、必ず德義に交はり、險僻(けんぺき)に交はらず、正直を以て己に克つ者は、必ず正直を朋とし、頗邪(はじゃ)を朋とせず、貪冒(たんぼう)を以て意と爲す者は、必ず貪冒に比(なら)び、貞廉(ていれん)に比ばず、悖慢(ぼつまん)を以て心を肆(ほしいまま)にする者は、必ず悖慢に狎れ、恭謹に狎れず。何となれば、事相害して相利せず、性相戾(もと)りて相從はざればなり。此れ乃ち天地の常倫、人物の常理にして、必然の勢なり。則ち賢と不肖とは、此を以て之を知る。伏して惟ふに、陛下求めて之を致さんと欲すれば、則ち針に由り弦を待つの勢を思ひ、辨じて之を別たんと欲すれば、則ち濕に流れ燥に就くの徒を察せよ。其の勢を得れば、必ず彙征(ゐせい)して自ら來り、其の徒を審らかにすれば、必ず群分して自ら見れん。人を求むるの術、人を辨ずるの方、是に於てや此に在らん。
(白氏文集・巻四十六 策林二│岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 八」, p159-163, 明治書院, 2006)

以上は、1月14日の漢文問題設問(太字部分)に採択された白氏文集の全文である。君が賢者を求め、賢者は君の御役に立たんと願うも、両者のマッチングは容易ではない。水が湿に流れ火が燥に広がる様に、賢者は賢者、善人は善人同志で親交を深め、一方愚者は愚者、悪人は悪人仲間でつるむのであり、類は類を呼ぶ、同じ羽の鳥は集まるのが自然の理である。そして糸は針穴に入り、矢は弦があってこそ己の力量を発揮できる。水や火の性の如く自然に道理を重んじ徳を積む方に寄る人間かを見極め、その良材が志を同じくする同類の新たな良材を推挙し導いてくる体制を整える事こそ、天下の逸材発掘の要であるとの結論である。

優れた人間の同類が呼び集まり、其処からそうでない人間は遠ざかる、いわば無限の自浄刷新作用を備えたダイナミックな組織集団の成立である。
-----名ならぬ人脈は体を表す。例えどのような立場や境遇であるとも、良質な縁を紡ぐには、まずは自分自身を律して高めておかねばならない。





肉付きの鎧

2023-01-12 | 日記・エッセイ


芭蕉はなぜ傍らに眠らんと望むまで義仲に心をお寄せになったのか。諸兄諸姉の御見解は渉猟した限り様々である。伊勢物語や平家物語を初めて学んだ時、義仲あるいは高安の女が辿る運命には似通った不条理を感じた。衒いのない生一本な魂の真意は顧みられることなく、彼等は弊履の如く打棄てられる。「日来はなにともおぼえぬ鎧が今日は重うなつたるぞや」は、粟津の松原で非業の最期を遂げる義仲が乳兄弟の兼平に吐露した言葉である。そして百代の後、尋常の我等各自にも縁あって身に纏うたら、もはや分かつことが叶わない肉付きの鎧がある。 


梅渓の游│花信

2023-01-08 | アート・文化

竹陰待渡│月瀬記勝・坤

月瀬梅芲之勝耳之久矣 、今玆糾諸友往観、得六絶句   頼山陽
月瀬の梅花の勝之を耳にすること久し、今玆諸友を糾(あつ)め往きて観る。六絶句を得たり。
  四
兩山相蹙一渓明  両山相蹙(せま)り一渓明なり
路斷遊人呼渡行  路は断えて遊人渡を呼んで行く
水與梅芲争隙地  水と梅花と隙地を争ふ
倒涵萬玉影斜横  倒(さかしま)に万玉を涵(ひた)し影斜横

 齋藤拙堂著:「月瀬記勝 乾・坤」看雲亭蔵版, 明治14年
 入谷仙介注:江戸詩人選集「頼山陽 梁川星巌」, p152, 岩波書店, 2001
 村田榮三郎著:「江戸後期 月瀬観梅漢詩文の研究」, p150, 汲古書院, 2002





七種(ななくさ)│令和五年睦月七日

2023-01-07 | 日記・エッセイ

春の七草、JA糸島・福岡県産

七くさや袴の紐の片むすび    句帳 蕪村
七草や跡にうかるゝ朝がらす   猿蓑 其角
七草や粧ひしかけて切刻み    炭俵 野坡
七草や唱哥ふくめる口のうち   有磯海 北枝

 清水孝之校注:新潮日本古典集成「与謝蕪村集」, 新潮社, 1950
 堀切実編注:「蕉門名家句選(上・下)」, 岩波書店, 2010

青松│花信

2023-01-04 | アート・文化


  飲酒 其八   陶淵明
青松在東園  青松 東園に在り
衆草沒其姿  衆草 其の姿を沒す
凝霜殄異類  凝霜の異類を殄(つ)くすとき
卓然見高枝  卓然として高枝を見(あら)わす
連林人不覚  林に連なるときは人覚らず
独樹衆乃奇  独樹にして衆乃ち奇とす
提壺挂寒柯  提げたる壺を寒柯に挂け
遠望時復為  遠望を時に復た為す
吾生夢幻間  吾が生は夢幻の間
何事紲塵羈  何事ぞ塵羈(じんき)に紲(つな)がる

 一海知義注:中国詩人選集「陶淵明」, p50,岩波書店, 1990
 松枝茂夫, 和田武司訳注:「陶淵明全集(上)」, p212, 岩波書店, 1990
 陶潜著, 龔斌校箋:中国古典文学叢書「陶淵明集校箋」, p241, 上海古籍出版, 2013




令和五年癸卯元旦

2023-01-01 | 日記・エッセイ


東坡 廬山に遊びて東林に至る。ニ偈を作りて曰く、
渓聲すなわち是れ広長舌、山色豈清浄身にあらざらんや。夜来八万四千の偈、他日如何が人に挙似(こじ)せん。横(よこざま)に看れば嶺となり、側(そばだ)たば、峯となる。遠近に山を看るも了(つい)に同じからず、識(し)らず廬山の真面目。ただ身の此の山中に在るに縁(よ)るのみ、と。

東坡遊廬山至東林、二偈曰、
渓聲便是広長舌、山色豈非清浄身、夜来八万四千偈、他日如何挙似人、
横看成嶺側成峯、遠近看山了不同、不識廬山真面目、只縁身在此山中
 (蘇東坡著, 飯田利行編訳:「禅喜集(下)」, p144-146, 国書刊行会, 2003)

新年の御多幸を謹んでお祈り申し上げます。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。