花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

人それぞれの心

2020-11-29 | アート・文化


人それぞれの心は、とうていはたからはうかがい知れぬものである。笑う者はどこまでも笑うがよい。幕府の仮借ない政略のため罪なくして主家を亡ぼされ、奈落の底にうごめいている浪人者の悲哀は、衣食に憂いのない人々には、しょせんわかってもらえることではなかった。血迷った求女のみれんをあざけり笑ったその人々が、同じ立場に立たされた時、どれほどのことができるというのか-----。

(異聞浪人記│滝口康彦著:講談社文庫「一命」、p34, 講談社, 2011)

藤沢周平原作・映画「花のあと」

2020-11-28 | アート・文化


「その時の二の丸の花はいまもありありと目に残るほどじゃが、花は盛りというのに、それはそれはさびしい色じゃった。祖母(ばば)の花の季節も終わったせいであったろうかのう。そしてそれっきりもう花見には行かなんだ。」

2010年に公開された映画「花のあと」(監督:中西健二、敬称略、以下同文)の原作は、藤井周平著「花のあと-----以登女お物語」(1985)である。海坂藩、組頭五百石を務める武家の一人娘、寺井以登(北川恵子)は夕雲流の達人である父親の甚左衛門(國村隼)から剣術の指導を受けて、並みの男には引けをとらない腕を持つ。満開の桜の下で出逢った羽賀道場筆頭の遣い手、江口孫四郎(宮尾俊太郎)との手合わせを父に懇願し、真摯に立ち会ってくれた孫四郎に惹かれるが、許嫁、郡代片桐家の五男、才助(甲本雅裕)を迎える身を弁え思慕を封印する。
 やがて勘定組の三男であった孫四郎は、三百石の奏者番、内藤家の女婿となり家督を継ぐ。しかし妻が娘時代から密通する重臣、藤井勘解由(市川亀次郎、現・四代目市川猿之助)の謀略に落ち、江戸城内で恥辱を被り自裁する。事の真相を知った以登は藤井に詰問状を送り、奸臣藤井一党が返り討ちを計り待ち構える場に単身で乗り込む。そして手傷を負い長刀を失うも、終に無楽流居合達人の藤井を懐剣の一刺しで討ち果たす。

外道の姦計に落ちた藩内随一の剣士の予想だにしない悲報に接し、志同じく此道に切磋琢磨せし者として屈辱と義憤を抱き決起した以登は、助太刀を頼まず誰にも告げず、不義不忠の奸との闘いに挑む。何ら恐れることなく一味を斃しゆく以登の姿は、若気ならではの一途な無謀さに満ち満ちた“時分の花”を見せる。匂い立つような女丈夫が揮う精神一到の刃には、雪裏の梅華のごとき清冽な気迫がある。



冒頭の言葉は、今や祖母(ばば)様となり、孫達に若き日の恋物語を明朗快活に語ってみせる以登の述懐である(ナレーションは藤村志保)。いまだ世を知らない武家娘の生涯唯一度の恋は昔話となった。祖母になった姿は映画に現れないが、以登は七人の子供を育て伴侶を野辺送りし、武家の女としての生涯を全うする。原作では以登は美貌ではなかったとの無粋な設定である。さらに藤井が放った郎党三人との死闘もなく、かすり傷一つ負わず、藤井の刀が鞘走る寸前一息に懐剣で誅戮する。
 望めなかった嫡男の代わりに父親に竹刀を持たされて以来、「以登が父から学んだ剣は、打って打たせ、打たせて打つその一瞬の遅速の間に勝敗を賭ける攻撃の剣である。」との記述を見れば、これら単純直截、首尾一貫して無駄の無いドライでクールな行動原理が生来の性(さが)であり、さらに剣術の修練を経て鍛え抜かれたものなのだろう。さらに原作において「その折に、生まれて来たのが女子だとわかって、くやしさに男泣きに泣いたというのはわが父ながら怪しからぬ話よの、祖母の知ったことかや。」と孫達を前に啖呵をきる以登は、女大学でいいね!と推奨される女性像には程遠い。(なお「男泣きに泣いた」のくだりを映画では、女子と知った時に一瞬顔がこわばったとさりげなく母に語らせている。)

以登は万朶の桜の下で孫四郎と出会い、エンディングでは再び巡り来た桜花の季節を許嫁の才助とともに歩き行く。剣の道に青春を懸けた以登にとり“初恋の人の敵討”は栄えある終章となった。そして若き花が失せた後は、老骨に散らで残りし“眞の花”の人生を貫いたのである。



そして以登と好一対の、原作では些か影薄く記された才助が映画の中でみせる風貌が絶妙である。昼行燈とも称され大喰らいで温和な笑顔を絶やさない男は、孫四郎事件の真相探索を以登に依頼された後、様々な人脈から裏事情を引き出し、君側之奸が関わる賄賂汚職の全容を掴み、事件渦中の当事者の関係、背後にある動作原理を諄々と以登に説く。以登が探らんとする理由を尋ねた折には、一度立ち合って頂きましたとの返答に、そうだと思ったと普段の笑顔を返して帰りゆく。そして手傷を負った以登に迅速な手当を施し、人目につかない帰路を教え、藩の詮索が及ばぬ様に事の全始末をつける。これら一連の心習いと手腕は、藩の吏僚として中老やがては筆頭家老にまで登り詰めた男の端倪すべからざる本領を窺わせる。
 果し合いの場から遠ざかりゆく以登の後姿を静かに見守る才助の顔は、映画の中で唯一の万感こもる真顔である。それは恐らく終生、藩内の誰にも晒すことがなかった顔に違いない。

この才助は父親甚左衛門が婿にと見込んだ男であり、以登の生涯の守り刀となった。そしてもう一つの、祝言を控えた娘に武士の妻女の覚悟にとかつて授けた懐剣が、その後の果し合いでの一刀である。一礼し懐剣を抱いて居室を退く以登を座して見送る父親の眼には涙が浮かぶ。その背後にかかる掛軸は張継の《楓橋夜泊》である。甚左衛門は江戸詰めの折、夕雲流に傾倒するも上士の家職を棄て得ず、晩年名人と称されるも国元を留守にした空白に祟られ立身の道からは遠かった。そして原作にない登場人物、平藩士の二男に生まれた医家の永井宗庵(柄本明)と碁を打ち互いの来し方を想う場には、杜牧の《寄揚州韓綽判官》の勝手屏風が置かれている。秋が盡きて霜天に満ち、彼等も老木に残りし花を知る男達であった。


藤沢周平著:文春文庫「花のあと」, 文藝春秋, 2019

物盛りにしては衰ふ

2020-11-20 | アート・文化


「竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、「珍しげなし。一上(いちのかみ)にて止やみなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心(かんしん)し給ひて、相国の望みおはせざりけり。「亢竜の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。」(第八十三段│「徒然草」,145-146)

竹林入道、西園寺公衡殿は、太政大臣になられるのに何の支障もおありでなかったのだが、「何も変わりは無いだろうからこの位で止めよう」と御出家なさった。これに感服なさった洞院左大臣、藤原実泰殿も太政大臣になる望みをお持ちにはならなかった。「亢竜有悔」ともいうではないか。月は満ちれば欠け、物は盛を極めては衰える。行先が詰めば破綻に近づいているという道理なのである。

*「亢龍有悔」(亢龍悔あり):『易経』乾卦・上九、天に昇りつめて降りることを忘れた龍。登り詰めた龍は下に降るほかはない。極みに奢り亢(たか)ぶればやがて悔いを残すことにもなる。盈(み)つればやがて虧(か)けゆくが道理であり、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の状態を永遠に保つことは出来ない。
*「月満則虧。物盛則衰」(月満つれば則ち虧く、物盛んなれば則ち衰ふ):
『史記』蔡沢列伝「語曰、日中則移、月滿則虧。物盛則衰、天地之常數也。進退盈縮、與時變化。聖人之常道也。」
春秋時代、後に秦の宰相となった蔡沢(さいたく)が、讒言によって応侯范雎(はんしょ)に召喚された際の言上。その意は、太陽が南中した後は西へと移り、月は満ちれば欠けゆき、物が頂点を極めれば後は衰退する。これが天地の数(さだ)めであり、これに応じて出処進退を変えゆくのが聖人の道である。

参考資料:
西尾実, 安良岡康校注:岩波文庫 新訂「徒然草」, 岩波書店, 1991
高田真治, 後藤基巳訳:岩波文庫「易経 上」、岩波書店, 1993
小川環樹, 今鷹真, 福島吉彦訳:岩波文庫「史記列伝(二)」, 岩波書店, 2015
馮国超著:「図説周易」, 華夏出版社, 2007



鬼と化した男の話│NHK「こわでん~怖い伝説~」と「青頭巾」

2020-11-08 | アート・文化


大きな川の流れを月が照らし
川岸の松が風に吹かれて枝をならしている
その清らかな夜は一体何のためにあるのか


   人は生きておったら大きな悲しみにとらわれることがある
   しかしとどまれば濁るのが世の常
   流れる川、吹きゆく風のように
   人も清らかに進んでゆかねばならぬのじゃ


NHK・BSプレミアム《こわでん~怖い伝説~》は、日本各地に伝わる怖い昔話を再現ドラマ仕立てで紹介する番組である。語り継がれた「怖い伝説」はおどろおどろしい怪異譚であるが、其処には後世に伝えるべき数多くの教訓が含まれ、長い歴史の中で培われた日本人の道徳観や死生観を色濃く反映している。
 第二弾(初回放送、2020年9月11日)で取り上げられた四話の内、栃木県栃木市の「屍肉を喰らう男」は上田秋成の『雨月物語』巻之五、「青頭巾」に拠る。冒頭はドラマの中で旅僧が述べた言葉である。客僧は浅ましき鬼と化した男の肩に青衣を掛けて、「この句の意味がわかった時に、其方はもとの人間に戻ることができるじゃろう」と証道歌の句を授け、そして一年後再び、妄執を離れ草葉の下に朽ちた男の姿に向かい語りかける。
 「青頭巾」では鬼と化すのは俗世の男ではなく山寺の院主である。禅師が「この意(こころ)解けぬる則(とき)はおのづから本来の仏心に会ふなるは」と、妖魔に堕ちた院主を教化し本源(もと)の心にかえらしむる顛末の結末は、本記事の最後に掲げた通りドラマとは些か異なる。

ところで「青頭巾」には、
「されどこれらは皆女子にて、男たるもののかゝるためしを聞かず。凡そ女の性(さが)の慳(かだま)しきには、さる浅ましき鬼にも化するなり。」(青頭巾│「雨月物語」, p150)
と記され、『鉄輪』の女や『葵上』の御息所しかり、鬼と化す人間は元来「慳しき」(心がねじけている)女の専売特許と相場が決められている。
 一方、このたびの男はと申せば、
「一たび愛欲の迷路に入りて、無明の業火の熾(さかん)なるより鬼と化したるも、ひとへに直くたくましき性(さが)のなす所なるぞか。心放(ゆる)せば妖魔となり、収むる則(とき)は仏果を得るとは、此の法師がためしなりける。」(青頭巾│「雨月物語」, p150)
とあり、斯界でそれ相当の篤学修行を経た院主が鬼と化した要因として、その根底に「ひとへに直くたくましき性(さが)のなす所なるぞか」(真っ直ぐで強い本性のなせる所である)との解析である。
 鬼になる病態にも男女差があるとの見解であるが、時代とともにこうあるべしという社会通念としての男女差の定義は変遷する。さらに性差における個別性は大きく、人が鬼と化す病因や病機もcase by caseであろう。心の欲する所に従っても矩を踰えない境地に至ることは決して容易ではない。古人のみならず図らずも鬼と化す陥穽は、むしろ吾我に執われる現代において、此処彼処に闇(くら)い深淵を覗かせている。




さてかの僧を座らしめたる簀子のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわからぬまでに髭髪もみだれしに、葎むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊の鳴くばかりのほそき音して、物ともきこえぬやうにまれまれ唱ふるを聞けば、

   江月照松風吹 永夜清宵何所為

禅師見給ひて、やがて禅杖を拿りなほし、「作麼生何所爲(そもさんなんのしょゐ)ぞ」と、一喝して他が頭を撃ち給へば、忽ち氷の朝日にあふがごとくきえうせて、かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとゞまりける。現にも久しき念のこゝに消じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。
 されば禅師の大徳雲の裏海の外にも聞こえて、初祖の肉今だ乾かずとぞ称歎しけるとなり。かくて里人あつまりて、寺内を清め、修理をもよほし、禅師を推したふとみてこゝに住ましめけるより、故の密宗をあらためて、曹洞の霊場をひらき給ふ。今なほ御寺はたふとく栄へてありけるとなり。

(青頭巾│「雨月物語」, p156-157)

*禅師:快庵妙慶禅師、曹洞宗関三刹・大平山大中寺の御開祖
*証道歌:唐代・永嘉真覚大師御作の247句より成る偈頌
*我今解此如意珠 自利利他終不竭 江月照松松風吹 永夜清宵何所為:
我れ今此の如意珠を解す 自利利多終に竭(つ)きず 江月照(てら)し松風吹く 永夜(えいや)の清宵(せいしょう)何の所為(しょい)ぞ

参考資料:
永野稔著:校注古典叢書「雨月物語」,明治書院, 1977
柴山全慶編:「禅林句集」, 其中堂, 1972
山田無文著:「証道歌」, 禅文化研究所, 1985
澤木興道著:「澤木興道全集 第一巻 証道歌を語る」, 大法輪閣, 1962
ラフカディオ・ハーン著, 平井呈一訳:岩波文庫「怪談」, 岩波書店, 2011