花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

断固拒否

2017-09-24 | 日記・エッセイ


我家の飼い犬まるは、本年四月で九歳になった。朝の散歩の途中、彼方の畦道に彼岸花の群生を認めて進もうとしたら、その方向を断固拒否する。こちらも譲らずリードを張りつめたまま五分間程見つめ合っていたら、最後にしょうがないなと言う風に近寄って来た。お利口さんと頭を撫ぜた後は、何も無かったかのようにてくてくと引率する畦道の方向に従ってきた。次回はそちらの道をゆこうねと声を掛けながら、今さかりの曼珠沙華を撮影した。その間はリードを引っ張る訳でもなく、あらぬ方向を眺めて静かに待っている。何としても自分を押し通すということはなく、こちらの言いなりにもならない。適度に押して押され、引いて引かれる呼吸が心地よい。

昨夜は夕飯のドッグフードを勢いよく食べたものの、見れば容器の底に七粒のフードを残している。掌に載せて口元に差し出したが、俺は食べないと顔を背けて断固拒否する。これが人間ならば、折角差し出してくれたのだからこのぐらい食べておこうと忖度することもあろうが、僅か七粒に見向きもしない。天性の気質か、幼い時から掌から食べさせたからか、食事中に容器の中に手をいれても全く動じない。しかし以前、散歩の最中に焼き鳥の串を叢に見出した時はこの限りでなく、《野生は乱調にあり》(2015/4/15)で述べた通りの大騒ぎとなった。彼なりにここからは譲れぬという一線があるらしい。それ以外はどう転んでも大した違いはないのだろう。

今年の酷暑の時候は、日中、表玄関の土間床に張りつめた敷石上でひねもすごろりと横になっていた。時には、庭に出してくれと、こちらが気付くまで黙って網戸に向かって座っている。外に放つと時刻に応じて風通しのよい木蔭をキープしているらしく、我にかまうなとばかり、あちこちで長々と身体を横たえて昼寝をしていた。そして秋風が吹き始めると敷石が冷たくなるのか式台に上がってくる。それ以上は奥には入らせない習慣なのだが、さらに上がり込んで隣接する居間を覗き込むこともある。あらまと声をかけるとてってと遠ざかるのだが、叱られたという風ではなく、見つかったという態で口角を大きく引いて笑った顔を見せる。こちらもそれ以上の事は何も言えず深追いはしない。

改めてこの頃、人も犬も何程の違いがあるのだろうと思うことが多い。こちらの勝手な思い込みが多々あろうが、この九年、本当に色々な事を教えてくれたと感謝している。



紅葉と楓をたずねて│其の九・花の命を見つめる

2017-09-17 | アート・文化


所属する華道大和未生流、創流100周年記念・第二十九回奈良いけばな展が、前期と後期、各々三日間の会期で開催された。華展最終日、後期展示で担当させて頂いた作品の花材、楓と鶏頭を自宅に持って帰り、水きりをした後に丹波焼の丸壺に投入れた。楓、鶏頭ともに生け込んだ日からは三日を経過しているが、会場で眺めた際には左程の変化を感じなかった。ところが改めて床の間に生けてみれば、葉や茎は少しも塩垂れてはいないものの、生気を失いつつある気配がすでに表に現れていた。いわば花の望診である。

切り花の推移として、早々に枯れ萎む花の姿もあれば、生けた時の形は殆ど変わらないまま、照り映える色艶だけが失われてゆく花の姿もある。後者は切花延命剤を溶解した水を満たしている時である。この場合、色合いが褪せるよりも、先に艶の方が失われてゆく。花の命は切花延命剤を用いることにより延びるが、それも早いか遅いかの違いである。最後の時は確実に花に訪れる。華展が終了してはや五日、しばしこのままで置いておこうか、それとも美しい姿を脳裏に留めて有難うと別れを告げるべきかと、今年もまた名残の花を前にして思案の時が来た。

生け花を観賞して下さる方々の御眼には触れることのない花の姿がある。生け込みの際の、怒号こそ飛び交わないが殺気立つ会場に次々と搬入されてくる花。会期が始まった後に、控室の一隅に片寄せられて、大方は陽の目を見ることがない残花。そして宴が果てたのち、それぞれ別の空間で尽きて生涯を終える花である。

人と諍論を好むことなかれ

2017-09-16 | アート・文化


「示して云く、古へに謂ゆる君子の力は牛に勝れり。然あれども牛とあらそはずと。今の学人我が智慧才学人に勝れたりと存ずるとも、人と諍論を好むことなかれ。亦悪口を以て人を呵嘖し、怒目を以て人を見ることなかれ。」(正法眼蔵随聞記・第五・七, p111)

In ancient times it was said: “A gentleman is stronger than an ox, but he does not struggle with an ox.”Students today, even though they feel that their wisdom of talents are superior, should not delight in arguing with others. Do not abuse others with harsh words or glare at them with angry eyes.(A Primer of Soto Zen, p82)

道元禅師様がお教えを賜ったことである。古の言葉に「君子の力は牛に勝るが、君子は牛と争わず」がある。今の学人(がくにん;仏道に参学、修行する者)は自分の知恵、学識が他より優れていようとも好んで諍論(じょうろん;論争)をしてはいけない。また人を罵って責め立てたり、怒りの眼で人を見据えてはいけない。



「学道勤労の志しあらば時光を惜て学道すべし。何の暇まありてか人と諍論すべき。畢竟じて自他共に無益なり。法門すらしかなり。何かに況や世間の事において無益の論をなさんや。君子の力ら牛にも勝れりといへども牛と諍そはず。我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論じて人を掠め難ずべからず。」(正法眼蔵随聞記・第五・七, p112)

If you have the determination to study the Way, You must do so, begrudging any time wasted. When do you have the time to argue with people? It won’t do you or anyone else any good in the long run. If this is so with Buddhist teachings, how much more useless it is to argue about ordinary worldly affairs! “A gentleman is stronger than an ox, but he does not struggle with an ox.” Even if you think that you know the teaching thoroughly and are far superior to your adversary, you should not overwhelm him with argument. (A Primer of Soto Zen, p83)

仏道を学ばんとする志があれば、時を惜しみ一筋に学ばねばならない。人と言い争う閑な時間などがあろうか。つまるところそれは自分にも相手にも無益なことである。仏門の事柄においてもそうであり、ましてやそれ以外の世間の諸々について無益な論争をしてはならない。「君子の力は牛に勝るが、君子は牛とは争わない」である。自分が法を知り彼に勝ると思っても、議論で人を遣り込めてはならない。



「然あるに今の学人僧侶は、智慧法門を以て人に勝べきと思ふなり。必ずしも此を以て憍ることなかれ。我より劣れる人のうへの非義を云ひ、或は先人傍輩等の非義をしりていひ誹謗するは、是れ憍奢のはなはだしきなり。」(正法眼蔵随聞記・第五・二十二, p128)

Students and monks these days think that they excel others because of their knowledge of the teachings. Never take pride in such a thing. It is the height of arrogance to call attention to the errors of those beneath you or to criticize your seniors and colleagues for their mistakes. (A Primer of Soto Zen, p96)

しかるに今の学人、僧侶は知恵、法門の学びが豊かなれば人に勝ると考える。だがその点で自分が優れていると奢りの心を持ってはいけない。自分より劣る人、あるいは先輩、朋輩の誤りを言い立て誹謗するのは、憍奢(きょうしゃ;驕慢)の心甚だしきものである。



法談の次に示して云く、設使我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事を云を、理を攻て云ひ勝つはあしきなり。亦我は現に道理と思へども、我が非にこそと云てはやくまけてのくも、あしばやなり。只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無為にして止みぬるが好きなり。耳に聴入れぬようにして忘るれば、人も忘れて瞋らざるなり。第一の用心なり。(正法眼蔵随聞記・第一・十, p26-27)

Once, after a discussion of the doctrine, Dogen instructed: It is not good to overwhelm another person with argument even when he is wrong and you are right. Yet it is also not right to give up too easily, “I am wrong,” when you have every reason to believe that you yourself are right. The best way is to drop the argument naturally, without pressing the other person or falsely admitting that you yourself are wrong. If you don’t listen his arguments and don’t let them bother you, he will do the same and not become angry. This is something to watch carefully. (A Primer of Soto Zen, p13)

法談をなさった折にお教えを賜ったことである。たとえ自分が道理をもって言うに対し、相手が僻事(ひがごと;間違ったこと)を言っても、理屈で攻め立て言い負かすのは良くない。また確実に自分の方が道理に適うと思っている際に、「私が間違っている」と言って早々に引き下がるのも良くはない。相手を遣り込めず、そして自分の間違いということにもせず、自然に何事もないようにおさめるのがよい。相手の議論が聞こえない風に忘れてしまえば、相手も同様に煩うことなく忘れて怒ることはない。これが第一の心得である。

参考資料:
懐奘編, 和辻哲郎校訂:ワイド版 岩波文庫「正法眼蔵随聞記」, 岩波書店, 1991
Masunaga Reiho (増永霊鳳): A Primer of Soto Zen. A Translation of Dogen's Chobogenzo Zuimonki, East-West Center Press, 1971






それぞれの役割と責任│山本周五郎人情時代劇、第十話「泥棒と若殿」

2017-09-14 | アート・文化


いつか成信は眼を伏せていた。久左衛門は声をやわらげ、そっと息をついて続けた。
-------人間には身分のいかんを問わずそれぞれの責任がある。庶民には庶民の、侍には侍の、そして領主には領主の責任を果してこそ世のなかが動いていく、領主となって一藩の家臣をたばね、領民の生活をやすんずるよき政治を執るということは、市井のひとになるよりは困難で苦しい。しかし大殿も先大殿も、その苦しい困難な責任を果された。-----気まま安楽に生きたいと思うまえに、自分の責任ということも考えねばならぬであろう。われわれ同志ばかりでなく、一藩あげてあなたを待っている。みんな手をさしのべるおもいで待っているのである。
-------久左衛門はこう云って、涙でうるんだ眼でじっとこちらを見まもった。

(泥棒と若殿 /『人情裏長屋』, 191-192)

BSジャパン開局15周年特別企画・火曜スペシャル、山本周五郎人情時代劇、第十話「若殿と泥棒」の放映を8月29日に視聴した。冒頭は、七万五千石某藩、大炊頭成豊の二男に生を受けた若殿・成信が、城にお迎えするべく参上した使者に対峙する場面である。兄の成武が若年に病を得て藩政に耐えうる人材でないのを幸いに、江戸の筆頭家老、滝沢図書助は成武を傀儡藩主に擁し藩を我が物にせむとたくらみ、大炊頭が卒中に倒れた後に成信を化物屋敷同然の廃屋に幽閉した。大炊頭の側用人、梶田重右衛門率いる一派は迫害を受けながらも大炊頭の御意を受けて成信を守り抜き、ついに悪辣な滝沢一党を下して継嗣問題に決着をつけた。やっと巡り来た晴れの日に継嗣を断ると言う成信を拝して、畏れながらと梶田派の重臣・久左衛門が御進言申し上げたのである。
 素直で明朗さを失わない育ちの良さをみせる、若殿・成信(ユキリョウイチ、敬称略、以下同文)と、これまた世間の隅で翻弄されても性根は曲がらない、泥棒・伝九郎(赤井英和)の二人の俳優さんが絡んで醸し出す味は絶妙であり、原作の人物造形をはるかに熟成させた好演である。武士道を絵に書いたような、中老・室久左衛門(佐戸井けん太)の清廉実直な侍のたたずまいも良い。

当初、牢獄さながらの破れ山荘に餓死寸前に放置されたまま、時には襲撃で暗殺の危険にさらされてきた成信は、もはや好きなようにせいと全てを投げ出す気持ちになっていた。なるようになれと腹を括って寝ていたある満月の夜、そのようないわくつきの屋敷とはつゆ知らず、一人の間抜けな泥棒が忍び込んでくる。縁側の広板を踏み鳴らすは、踏み破って怪我をしては大仰に喚くという、プロの盗人にはあるまじき有様である。誰が聞いてもそれはお芝居とばれる様な拙い脅しをして見せた泥棒であったが、本性は心優しく質朴な人柄であったらしく、終いには押し入った先の住人のあまりの生活ぶりに同情する。そして生きる意欲をすっかり失っていた成信は、その泥棒・伝九郎に食事も含めてかいがいしく生活の世話を受けることになる。
 伝九郎は江戸の下町生まれで、「元来、にんげん遊んで食って天道さまに申しわけがねえ」という信条の男である。世間の不人情にいたぶられて多くの職を転々とし、底辺社会の辛酸を舐める内にやけっぱちになり、初めて泥棒に入った屋敷が成信が捉われている廃屋という次第であった。成信と生活するようになり、やがて定職をこの地に得て、彼は彼なりに成信との生活に生きがいを見出してゆく。

一方、権力争いに翻弄されて来た成信は、いつしか信(のぶ)さん、伝九(でんく)と呼び交わして暮らす日々の中で、誰の傀儡にもならず市井の人として、ありのままに過ごすことに希望を見出していた。この様な時に父君の大炊頭が他界し、伝九郎とともにこの地を出奔して何処かで人間らしい慎ましい生活をすることを考え始めていた折、奸臣一派がようやく成敗されたと告げて、梶田派の重臣、室久左衛門が一党を率いて来訪する。
 城へ戻ることをきっぱりと断られても、御家のため、藩内の政治を建てなおすため、領民のため、この日のために身命をなげだして働いて来た者たち全てを見捨てて、おのれ一人の安穏のために生きるのかと、久左衛門は人間のあるべき道を切々と説いて引き下がらない。
 ドラマでは此処は原作と異なり、かつて伝九郎が投げた啖呵を成信が思い起こすシーンが挿入されていた。貧しいが故に幼少時に弟を失わざるを得なかった事に対し、それはもう忘れよと述べた成信に対して、忘れられるものか、食うや食わずの毎日で家族を救えなかった、この様な世の中にしちまったお侍なんかに、俺たちみたいな者の気持ちがわかる訳がないと、伝九郎は血を吐く思いを成信にぶつけたのであった。
 その言葉を上に立つ武士としてふたたび脳裏に深く刻んだ成信は、伏せていた面を挙げて、わかった、城へ帰ろうと静かに答える。九左衛門はじめ平伏していた一同は若殿の御言葉に耐えかねて、感極まり一斉に啜りなく。久左衛門が御進言申し上げた、人が皆、それぞれの責任を果たすが故に世の中が動いてゆくということを、そして自分が果たすべきノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を成信はしかと心に受け止めたのである。



命の恩人というべき伝九郎の行く末を頼み、名残を惜しむために今宵はここに留まると述べて迎えを引き取らせた成信は、その夜、初めて竈で飯を炊いて汁をこしらえ、自分の手で夕飯の準備を仕上げてみせる。帰って来た伝九郎は大いに驚いてその訳を聞くが、たいした訳はない、長く世話になった伝九に一度くらい煮炊きをして食べてもらいたかったからだと成信は告げて、別れの宴という真意は明かさない。
 この時に原作にあってドラマには描かれていない、伝九郎が漏らす感慨が興味深い。武士の世が長く続いたのは、取り締まる御法度があったからではなく、武士がだんびらを帯びていたからでもないことをうかがわせる言葉である。
「お侍は恐えてえことを云うがまったくだな、すまして肩肱を張ってるが、いざとなれあこんなこともできるんだ、やっぱり修業てえものが違うんだな」(同, p194)

そして一夜が明けて朝まだき、いびきをかいて眠り込んでいる伝九郎に一礼し、成信は身支度を整えて前庭に出てゆこうとする。気配を感じて起き出した伝九郎は、信さん、おめえいっちまうのかと声をかける。成信は背をむけたまま、おれは武士として精一杯生きたいと思った、人間生きているうちはどんなことをしても精一杯いきなければならんと、生きる力を教えてくれたおまえのお蔭だと礼を言う。
 そうか、それならもう止めねえよ、いつかこんな日が来ると思っていた、どうか立派に出世してくんな、と静かに述べた後、伝九郎はさらに訥々と成信の背に話しかける。ここは原作よりもはるかに成信に呼びかける言葉が増えている。弟に対して抱く兄の思いに近寄せて描かれた、身分を越えて伝九郎が成信に抱いた惻隠の情が胸を打つ。

------ちっとやそっとで弱音をはくんじゃねえよ、もうおまえの話を聞いてやれねえのだからな。
------魚ばっかりじゃなくて菜っ葉もたくさん食えよ、身体によくないからな。
------どうしようもなく寂しい時があったら何時でも帰ってきてくんな。おれは待ってからよ。

 成信は振り返らぬまま、これらに逐一おうと答えるのだが、次第に胸に迫り言葉に詰まり、少しずつ返答が遅れてくる。やがて思いを振り切り返り見ることなく、二度と戻らない屋敷の門を出てゆく成信、そして再びまみえることのない姿を、涙をこらえ万感の思いで見送る伝九郎である。



ドラマの最終シーンは、前夜から控えていたらしい若侍とともに、成信が堤を歩き去る姿の遠景である。朝焼けの空を見上げる成信、そして空には三日月が掛かっている。原作では成信が屋敷を後にするのはその日の真夜中であるが、若殿の新たな旅立ちは、ドラマに描かれた様に朝がむしろ相応しいと感じた。だが明け方の空に三日月が出ているだろうか。それも承知の上で、満月に向かい成長してゆく三日月に設定なさった気がしている。
 武士と三日月と云えば、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈った山中鹿之助である。若殿・成信は伝九郎との生活を通して人情、世情の機微を知り、行路の艱難を自らの役割、責任と引き受けて帰城を選びとった。この後、若殿は世に秀でた名藩主になられたに違いない。

参考資料:山本周五郎:新潮文庫『人情裏長屋』, 新潮社, 1977


花は盛りに月は隈なきを

2017-09-08 | 日記・エッセイ


私が末席に連なる華道大和未生流では、満開の花を生けることはない。この後、万朶の花咲き誇る時、散りゆく時は鑑賞者の心の内に委ねるのである。『徒然草』第百三十七段の冒頭、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛(ゆくへ)知らぬも、なほ、あはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。」の精神であり、日本の美意識における未完の美を知るからである。

また同じ開き具合の花を並べる事も良しとしない。動かぬもの、移りゆかぬものは生命のダイナミズムからは程遠い。生きとし生けるもののゆらぎ、不確実性を失わせた花は、花の色とかたちを借りただけの造形である。表面的には何も変わらない恒常性を維持する為に、生体内部ではひと時も止まることなく生々流転の変化が生じている。花を生けた者と花を見る鑑賞者が渾然一体となり、悠久の自然がその一刹那、深層を貫き流れゆく気配を感取することが出来なければ、例え色鮮やかにかたち面白く形作られていようとも、それは流派の生け花とは志向を異とするものである。

読書感想文

2017-09-07 | 日記・エッセイ


小学校時代の宿題の一つ、課題図書の読書感想文が、昨今ではネットで売買されているらしい。元来本好きの私も御多分に漏れず、強制的に読まされる課題図書が大の苦手であった。とはいうものの、感想文を書かねばならない時はどのように凌げばよいのだろうか。 

まずは本書の筋書、主人公の概要から始める。これは初めから終わりまでちゃんと読んでいますという宣言である。次には読み始めた最初の時点での感想を書く。走り始めは焦点の呆けた感慨でいい。むしろ中盤との落差が効果的となる。とは申せ、読み始めた時は全然面白くなかったので別の本に変えようと思いました、などという様な生々しい本音を書いてはいけない。これに続いて、読み進むうちに当初の印象が変化、逆転、さらには新たに想起したことを大げさに記してゆく。車窓からの景色が次々と変わるようにこれらを書き並べてゆき、いかにも気を入れて読み進めているかのように臨場感を出す。その中でも、本書の臍はこれと考えた所は一つに絞り、強調してめりはりをつける。そして最後は、読み手の今の自分に引き寄せて文を締めることが大切である。このような時に私ならばどうした、そしてこれからはこうしたいと考えるという風に、等身大の自分を熱く語ってみせることが読書感想文では必須である。それがこの本を読ませてよかったと大人を満足させる、子供からのラブメッセージとなる。

小学校の頃、まさか上の様に考えていた訳ではないけれど、どのように書くことが求められているのかと、結構したたかに考えを巡らせていた小賢しい子供であったことは否めない。毎年、課題図書で挙げられていた本は、生意気にもほとんどが面白いとは思えなかった。子供に食べさせたい(教えたい、伝えたい、心に刻みたい)事を盛り込み過ぎなのか。はたまた子供が好むだろうと大人が大人の頭で計略を練った料理(本)の味付け(登場人物の肉付け、プロット展開等々)が何処か的外れだったのか。
 ところで今は子供がどうあれ何をしても、日常診療の場においても、子供さんを唯々褒めちぎる親御さんが主流である。それに比して、これはいけない、あれは駄目と言われるような、守るべき行動規範がひと昔前の子供には実に多かった。だからこそ、せめて本を読んだ時くらい、好きに感じて好きに考えたいという思いが切実であったのかもしれない。今この齢になって思えば、この教訓、その感動話に追い込みたいのだなという予定調和の枠が見えて来た時、またかよと子供心が萎えていたのである。
 その頃の自分の願いは、大人になったら好きな本しか読まないという真にささやかな、されど切実なものであった。そしてその願いは今だにかなえられそうもない。さすがに学校指定の課題図書からは解き放たれたが、形を変えて読まねばならない本が次々と増えてゆき、本当に私が読みたい本よりもはるかに多くなっている。