花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

大晦日の御挨拶

2015-12-31 | 日記・エッセイ
大晦日にあたり、本年御縁を結ばせて頂きました多くの方々に、そしてこの時も社会の様々な分野の第一線で職務を全うすべく御活躍の方々に御礼と感謝を申し上げます。
平成28年、丙申の年はもう其処まで来ております。来る年の皆々様の御健勝とともに、ますます幸多き一年をお迎えになられますことを心よりお祈り申し上げます。








冬の養生│冬のように生きる

2015-12-27 | 二十四節気の養生


冬は立冬から小雪、大雪、冬至、小寒、大寒までの六節気である。本年の立春に始めた《二十四節気の養生》は一巡まで残すところ二節気となった。さて四季を通して養生で一番重点を置くべきことは何だろう。それは「養神」であって「養形」ではないと、中国前漢時代の思想書『淮南子』は述べる。以下はその泰族訓における一節である。
「治身, 太上養神,其次養形; 治國,太上養化,其次正法。神清志平,百節皆寧,養性之本也; 肥肌膚,充腸腹,供嗜欲養生之末也。」
(養生の方法として最上は精神の修養にあり、次に問うべきが身体の保養である。国家を治めるにあたり人の心を教化することが最上の策で、次が法律での統治となる。精神が清らかで志が穏やかであれば、全身の節々が安らかになる。これが養生の根本原理なのだ。肌をふくよかに、腹を一杯に、欲望を満足させることは養生の末節にすぎない。)

心と身体の問題を考える時、形と神、物質(肉体)と精神は不可分の相互関係にある。形を否定して生命の存続は有り得ない。従ってハードの保守(養形)は大切である。そしてそれ以上に、システム全体の管理を行うオペレーティングシステム(OS)のデバッグ(養神)が重要である。これが出来てこそ、コンピュータは支障なく動作する。すなわち《小雪の養生》で触れた「恬惔虚無, 眞気従之, 精神内守, 病安従来。」(物事にこだわらず心安らかであれば、充実した生命力はおのずから付いて来る。心身を充実させて内部にゆるぎなく保持していれば、病気など入り込む余地はない。)である。栄養素摂取や身体鍛錬、睡眠の工夫などは、OS上で動く養形のためのアプリケーションソフトである。これらが不具合なく動くかどうかは基盤となるOSの安定性にかかっている。

心神を守り養い安寧に保ってゆくことは決して容易ではない。ともすれば世俗の物事や人事での葛藤に巻き込まれ、七情内傷(喜、怒、憂、思、悲、恐、驚など七種類の過ぎた感情が、全身・臓腑・器官の機能活動に影響を与えて疾病を発症させること)に陥ることになる。今一度「恬惔虚無」あるいは「恬惔寂漠、虚無無為」の意味を踏まえ、何事にもこだわらず執着からは離れた静けさに身をおいて、心を空っぽにしてことさらな作為をしないことが肝要となる。《冬の詩》に歌われた如く、冬は今こそ賢しらな我(が)は捨てよと我々に迫っている。



「冬三月, 此謂閉蔵, 水冰地拆, 無擾乎陽, 地気以明, 早臥晩起, 必待日光, 使志若伏若匿, 若有私意, 若已有得, 去寒就温, 無泄皮膚, 使気亟奪, 此冬気之応, 養蔵之道也。逆之則傷腎, 春為痿蹶, 奉生者少。」(『黄帝内経』素問・四気調神大論篇第二) 
(冬、三月、此れを閉蔵(へいぞう)と謂う。水は冰り地は拆(さ)く、陽に擾わされること無れ。早に臥せ晩に起き、必ず日光を待つ。志をして伏するが若く匿すが若く、私意有るが若く、已に得る有るが若くならしむ。寒を去り温に就き、皮膚より泄し、気を亟奪(きょくだつ)せしむること無れ。此れ冬気の応にして蔵を養うの道なり。之に逆うときは則ち腎を傷め、春痿厥を為す。生を奉ける者少なし。)

『黄帝内経』が説く季節の養生において、生長収蔵の四文字で表される四季の属性の中で、冬は貯蔵の「蔵」であり、冬の三か月は「閉蔵」と名付けられる。「閉」はとじる、しめる、「蔵」はおさめる、かくすを意味する。寒冷気候の下、水は氷となり凍てついた大地はひび割れる。草花はすっかり枯れ果てて、種子は土中に埋もれて時を待ち、冬眠する動物は身を隠して冬越しの態勢に入る。冬は木、火、土、金、水の五行の中では「水」にあたる。水が低きに流れ込み、地中深くに地下水源として蓄えられる様に、大自然の陽気は潜降し伏蔵される。そして五臓の中では、封蔵之本とされる「腎」が冬の臓である。

寝起きに関し、春と夏は「夜臥早起」、秋は「早臥早起」であったが、冬には「早臥晩起」となる。朝は秋よりもゆっくりと、必ず日が昇るのを待って起床する。そして夕方になれば活動を控え身体を休めて、他の季節よりも睡眠時間を増加させる必要がある。春と夏は陽を養い、秋と冬は陰を養う時期であり、さらに昼間の陽の時間(交感神経優位)を減らし、陽気が内に収束する夜間の陰の時間(副交感神経優位)を増やすのである。起床後は、体内の陽気を妄動し散失しない為に、身を伏せて隠れる様に、隠し事がある様に、そしてすでに物事を得てしまった時の様に、気持ちを収めて表立った積極的な行動はとらない。冬は秋とともに、もはや志を外に盛んに発信して外界で大いに活動する季節ではない。そして寒冷を避けて温暖につとめ、運動で大いに発汗し陽気を散逸させることは避けねばならない。

以上が冬の気候や地象など天地の動態に対応した、閉蔵の働きを助け養う仕方である。これらに反すれば、冬に働きが旺盛となる腎を障害して、春になって痿厥(いけつ)の病変がおこる。すなわち冬の閉蔵で蓄えるべき力が妨げられ、春の生長の力に引き継ぐことができずに病を発症すると警告がなされる。痿厥は、下肢が委縮して歩行困難が主症状となる痿病(下肢の神経麻痺、筋肉委縮による運動麻痺を主症とする疾患群)に気血厥逆(血行障害)を兼ねた病証である。またさらに陰陽応象大論篇や生気通天論篇では「冬傷於寒, 春必温病」(冬、寒に傷られ、春必ず温病となる)と、冬に遭遇する寒邪を感受して、春に至って伏寒化熱により生じる急性熱病の伏気温病「春温」に対する警鐘が述べられている。春温については《春の養生│春のように生きる》を御参照されたい。



上つ方とは│第29回日本医学会総会にて

2015-12-25 | 日記・エッセイ


第29回日本医学会総会2015関西が、本年4月に京都市で開催された。京都国際会館での開会式に参加するため2時間前に会場に到着したのだが、すでに受付エリアは参加者で溢れている。当日は皇太子殿下の御臨席があり、入館に際しては身体および手荷物の厳しいチェックが行われ、小雨が降っていたために持参した折り畳み傘も持ち込み不可であった。

長い列をなして大ホールへと進む。ようやくたどり着いた事前登録の一般席は、学生時代の階段教室よりもはるかに高くせり上がった最後方の座席である。最前列から中央の席まではテープで結界された招待席である。前方の壇上には、会長始め錚々たる重鎮の先生方が次々と着席してゆかれた。これが医学界のヒエラルキーである。

やがて皇太子殿下の御入場となり、上座に御着席になった。その後時間が経過しても、御首を少し左右にお向けになる以外は御身体が揺れない。壇上に御列席の先生方は、勿論威儀を正して座っておられるのだが、微妙に身体の向きをお変えになったり頭が動いたり、其処には歴然と差がある。

すでに他界した母方の祖父は若き頃、奈良県内で選抜された内の一人として、近衛騎兵のお勤めを奉じたことがある。その祖父が母に語った思い出であるが、昭和天皇が摂政宮でいらした頃、観兵式にお臨みになった時の話である。雨が降り出してしとど濡れる中、白馬の騎上の御姿は最後まで微動だになさらなかったという。さらに御退場の跡を見れば、馬の蹄の形に下の土が濡れてなかったそうである。馬もまた並の馬などではない。





名もあらたまる│當る申歳「吉例顔見世興行」

2015-12-24 | アート・文化


京都河原町四条、南座にまねきが掲がり、當る申歳、吉例顔見世興行、東西合同大歌舞伎が始まった。今年も師走の吉日、観劇の機会を得た夜の部の演目は、第一「信州川中島合戦、輝虎配膳」、第二「四代目中村鴈治郎襲名披露口上」、第三「玩辞楼十二曲の内、土屋主税」、第四「歌舞伎十八番の内、勧進帳」である。(以下敬称略)

「信州川中島合戦、輝虎配膳」 母親を篭絡して山本勘助を寝返らせようと画策する長尾輝虎(中村梅玉)に対し、勘助の老母越路(片岡秀太郎)は、息子に筋を通させ義を貫かせんがため一歩も譲らない。将軍家から拝領した小袖の進呈も古着など着るかと言い捨てる。大将自らが運んだ膳をも蹴っ飛ばす。かくして釣り針付の接待を嘲笑い、駿馬の老骨にみなぎる気概をみせて、最後は勘助の妻、お勝(中村時蔵)の身を挺した機転に救われ無事に館を後にする。幕外の引込みで城に向かい無礼を心で詫びて手を合わそうとするが、それも途中でやめにする。その風姿は、卒塔婆に腰掛ける姿を咎めた僧を相手に丁々発止の問答を展開する《卒塔婆小町》の百歳の姥となった小町に似通う。身体は円背になろうとも、心根の背筋がぴんと張られた老いは美しい。

「四代目中村鴈治郎襲名披露口上」 幹部俳優総出演で、後見人の片岡仁左衛門の襲名披露口上から始まり、舞台上手下手に列座する役者の口上が続く。御父君の坂田藤十郎の後で、四代目が面を上げて翫雀改め鴈治郎襲名の挨拶となった。二階の最前列から見下ろしながらは甚だおこがましいが、この一刻、襲名披露に遭遇させて頂いたのを御縁と感じ、ますますの御活躍をと願う気持ちが自然に湧いて来る。通りすがりの烏合の衆に過ぎない私がそう思ったのだから、初舞台の子供の頃からずっと見守ってこられた御贔屓筋の感慨はひとしおであろう。

「玩辞楼十二曲の内、土屋主税」 吉良邸隣家の御大身旗本、土屋主税(中村鴈治郎)が主人公である。山鹿流陣太鼓は真の武士の耳にしか届かず、武士の心は武士にしか解らない。礼を尽くして土屋邸を辞した大高源吾(片岡仁左衛門)を見送った後の、「浅野殿はよい家来をもたれた」という土屋候の詠嘆は、事が起こった元禄十五年、殿様と名の付く多くの主人達の心底と同じであったろう。眼前に控える家来達をずいと眺めて、彼等なら如何にと殿様連は思いを馳せたに違いない。それにしても芝居中の晋其角(市川左團次)の描かれ方は軽い。人の機微を知るべき俳人が大高源吾の真意を読み取れず、勝田新左衛門の妹お園(片岡孝太郎)を馘首せよと土屋邸に慌ただしく御注進の挙句に、討入ったと知るや松の木に登り野次馬見物をする。この作とは関係はないが、「かれは定家の卿也。さしてもなき事をことごとしくいひつらね侍る、ときこへし評に似たり。」というのが松尾芭蕉が残した宝井其角評である。

「歌舞伎十八番の内、勧進帳」
 《安宅》を踏まえた松羽目物の演出で、勧進帳の読み上げから、緊迫した山伏問答、四天王を金剛杖で押しとどめる詰寄り、そして幕切れの飛び六方まで、文字通り手に汗握る、息をもつかせぬ展開である。武蔵坊弁慶(市川海老蔵)の動が舞台狭しと炸裂し、富樫左衛門(片岡愛之助)の静は一歩も行かせぬと相打つ。関所での窮地を脱した後、危機を脱出するための思案とは申せ、主君を打擲した弁慶は涙にむせて平伏する。その弁慶に向かって労わりの手を差し伸べる源義経(中村壱太郎)の姿は、幾多の戦いで敵をねじ伏せて来た筈の血の匂いなど微塵もなく、気品に溢れて優美であり、あまつさえ儚げである。判官贔屓のこちらの心情をかき立てて余りあり、観る者は愚直なまでに一途な弁慶の心に同化することになる。ところで弁慶に向かって伸ばした義経の手、感無量な面持ちで主を拝し自らも手を捧げる弁慶。この手と手の構図は何処かでかつて見た様な。ミケランジェロが描くシスティーナ礼拝堂の《アダムの創造》である。神がアダムに命を吹き込むべく、そしてお互いの指はわずかに離れる。勧進帳の両者の手はこれよりも離れて、しかしこの距離にこそ今生の主従を超えた聖なる絆を感じたのである。

冬至の養生

2015-12-22 | 二十四節気の養生


冬至(12月22日)は、二十四節気の第22番目の節気である。北半球では昼が最も短く、夜が最も長くなる。易経の六十四卦(か)の中では、帰る、元に復するという意の「地雷復(ちらいふく)」が冬至に相当する。「地雷復」は外卦(がいか)の卦名が坤(正象は地)、内卦(ないか)の卦名が震(正象は雷)から成り、雷が地中に在ることを表す大成卦である。一番下の初爻(しょこう)が陽爻で一陽が生じ、陽気が芽生えたばかりの一陽来復を示している。冬至はいまだ冬の節気であるが、すでに春に向かってのカウントダウンが始まっている。陽が健やかに伸長して、ふたたび明るく健やかで正しいものが戻る、事を進めて行ってよろしいという意の卦が「地雷復」である。天人合一の考えでは大自然と人は一つの統一体であり、人の体内における陽気の動態も天地自然に呼応し、冬至からは陽気が次第に長じてゆく。春から始まり、夏、秋の季節を経て、冬は気血の消耗、陰陽失調が出現しやすい季節である。陽が芽生え始めた冬至は、気虚、血虚、陽虚および陰虚の各々の体質に合わせ、食養生含めて補を行なうのに相応しい時節である。
 また1年を1日に置き換えて考えれば、「十二時辰(じゅうにじしん)」(1日を2時間おきの12に分ける時法)では、23時から1時の間の「子の刻」が人体の陽気が生じ始める時間に相当する。芽生え始めた陽気をいたずらに消散させないためには、就寝時間は23時を過ぎない様にしたい。秋と冬の就寝は、陽気を内に収束させ保持すべき夜の時間を増やすために、春と夏よりもさらに早く床に着く「早臥」が望ましい。
 いまだ寒風吹きすさぶ中、春の先取りと申して春物の薄着を纏うはやり過ぎの酔狂であるが、衣替えは季節の先取りが粋である。季節の養生も当季だけではなく、次の季節を、さらにはその次に続く季節をも見越して心身を整えて行かねばならない。

やまでらのさむきくりやのともしびに ゆげたちしらむいものかゆかな    自註鹿鳴集 会津八一


千尋の谷

2015-12-13 | 日記・エッセイ


研修医になり初めて、ある学会の学術講演会に参加した時のことである。先輩医師のお一人が舌鋒鋭く、某他大学の先生の演題発表が終わった後の質疑応答で、長い幾つかの質問を畳みかけた。このテーマはうちの教室の十八番だから叩いておかねばならないと、会場を出た後で冗談めかして笑いながら聞かされたことが忘れられない。いや本気は十二分に混じっていたに違いない。何ともはや、すさまじい世界に入ってしまったなあと、いたって小心な私は多少後悔した。

壇上の演者に向かって、お教え下さいと一応締めながらも、その実、発表内容における不備をぐうの音も出ない程に突いて発表者の退路を完全に断ち切り、この程度の演題などを出してくるなと言わんばかりの、質問とは名ばかりの質問がフロアから上がることは結構少なくない。しかしその突っ込みにひるんで尻尾を巻くならば、所詮その程度の発表なのだろう。

獅子の子落としさながらに、御親切にも敢えて試練を与えてくれた訳でなくとも、そのような相手や機会を芸の肥やしならぬ成長の糧とせずしてなんとする。相手にその気は全くなかったのかもしれないが、確かに貴重な塩を送ってくれたのだ。意気揚々と遠ざかりゆく背にむかって深々と頭を下げながら、まこと有難うなのである。

万物の木地│冬の詩

2015-12-11 | 二十四節気の養生


冬の言葉  高村光太郎

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは万物の木地。

天はやっぱり高く遠く 
樹木は思ひきつて潔らかだ。

虫は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを 
冬はいきなり蹂躪する。

冬は凩の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。

君等のいぢらしい誇をすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは万物の木地。

冬は鉄碪を打って又叫ぶ、
一生を棒にふつて人生に関与せよと。



骨太で気迫に満ちた檄文である。厳寒を耐え忍び、息を凝らして潜んでいよと我々に命ずるのが冬なのか。然にあらず、冬が求めるのは、冬が洗い出すのは、「万物の木地」であるのだと高村光太郎は喝破する。そして随筆《触覚の世界》の中で以下のように語っている。彫刻家においては、「動かし難いものを根源に探る触覚が、一番はじめに働き出す。」のだと。

「世上で人が人を見る時、多くの場合、その閲歴を、その勲章を、その業績を、その才能を、その思想を、その主張を、その道徳を、その気質、又はその性格を見る。
 彫刻家はそういうものを一先ず取り去る。奪い得るものは最後のものまでも奪い取る。そのあとに残るものをつかもうとする。其処まで突きとめないうちは、君を君だと思わないのである。
 人間の最後に残るもの、どうしても取り去る事の出来ないもの、外側からは手のつけられないもの、当人自身でも左右し得ぬもの、中から育つより外仕方の無いもの、従って縦横無礙なもの、何にも無くして実存するもの、この名状し難い人間の裸を彫刻家は観破したがるのである。」


万物の木地とは人智を超えた実存である。それを取り巻く外殻は、人間を人間たらしめる本質などではなく、「人間手製の価値」や「いぢらしい誇」にすぎぬと《冬の詩》は断じる。人為で制御出来ない森羅万象の木地を否定し、嫌悪し、畏怖する者の眼には、醜悪な裸体の塊としか映らないが故に、ロカンタンは肝気横逆し、胃気上逆させて嘔吐するしかないのだろう。全てを取り去った裸形を観破する姿勢は同じくとも、真髄を何処に見出したかという点に於いて、《冬の詩》と《嘔吐》の志向は全く異なる。

最後に記すのは、高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』からのロダンの言葉である。
「自然をして君達の唯一の神たらしめよ。彼に絶対の信を持て。彼が決して醜でない事を確信せよ。そして君達の野心を制して彼に忠実であれ。」



素人と玄人

2015-12-10 | 日記・エッセイ


現代は、経文ならぬ世間の良識とやらの文字を体中に隙間なく書き込んでいないと、芳一の様にたちまち耳を持ってゆかれる。かつての無頼派や破滅型の芸人さんなどは絶滅危惧種となった。かくして潜む毒は封印され、あるいは限りなく希釈されて殆ど水になる。ひとの心を癒す芸や作品という類の言葉を隠れ蓑に、もはや誰が飲んでも安全なパフォーマンスが上質とされる。

果たして、素人は玄人の芸人さんに何を期待しているのか。持て余した日常を引き破った中に忽然と現れるビビッドな色を見たいのか。つるつるとお互いを撫で合う身過ぎ世過ぎの裏に潜む不条理を白日の下に晒して欲しいのか。ありふれた毎日を生きる心の水面に予期せぬ波紋を生みだすものは、多かれ少なかれ常識に反する非常識、秩序に対する反逆の要素をはらんでいる。けだし至言、美は乱調にあり、芸術は爆発である。

しかししばしの酔いの後で、堅気の生活者は明日からまた素面の此岸に戻らねばならない。彼岸に渡ったままで帰れずというのでは、やはり困るのである。中には酒壺になり酒に染むのだという、やたらとヘビーな嗜好の持ち主もいるのかもしれないが、やらねばならぬこと、やりたいことが多すぎる現代人にとって、一つのことにずぶずぶに嵌り込むなどという仕儀は百害あって一利なしであろう。

言うなれば、求められるのは速やかな導入と覚醒である。次々と食い散らかしては移ってゆくイナゴの様な、サービスするのはあなたの仕事とすまし顔の、どこまで行っても消費者でしかない素人を相手に、今日もまた何処かで玄人の憂鬱が続く。もっとも素人には素人なりの言い分もある。-----悪酔いするか、ほとんど水かの二択ではなく、五年後、十年後にも酔いがほのかに残る様な美酒を醸して下さいませんか。 

大雪の養生

2015-12-07 | 二十四節気の養生


大雪(12月7日)は、二十四節気の第21番目の節気である。小雪に比べて厳寒がひとしお身にしみる節気で、自然界の陽気が払底して陰気が最盛となる。しかし小雪の次には冬至となり、この後は陽気がふたたび生じ始め、陰気は次第に減じて行くのである。何故ならば「物極必反」として、事物の変化は極みに達すれば、必ず反対の方向に転じるからである。陽気の芽生える音が少しづつ聞こえてくる時期は、養生には適した時節である。そして養生にあたっては過不足なく、また一方に偏らないことが大切である。活動が過ぎて過労にならず、安静を保ちすぎて運動不足にならず、栄養過多にも栄養失調にも傾いてはいけない。効能に魅かれ飛びついて、一つの食材や生薬のみを摂取しているとからだの陰陽失調を来すことになり、養生どころか病気を招くことになる。保温に努めるべき時期ではあるが、厚着や暖房が行き過ぎると不要な発汗を引き起こして陽気を損傷することになる。また発汗する時期ではなく口渇もないからと飲水量が減りがちであるので、水分摂取を忘れてはいけない。ただし冷飲はさけるべきであり、消化吸収の働きを低下させる中焦の冷えを起こさないことを念頭に置かねばならない。
 この時期に増加する普通感冒ないし風邪(かぜ)であるが、西洋医学的にはウイルス性上気道炎であり、鼻症状(鼻閉や鼻漏)、咽喉症状(咽頭痛やいがいが感)や咳嗽症状が、急性発症で同時期に同程度に発症する。中医学的な感冒の概念は、各季節特有の気候変化あるいは季節外れの異常気候から生まれた邪気と、風邪(ふうじゃ)が結びついて身体を侵襲して発症すると考えられている。従って寒邪の影響で冬には風寒感冒が多いのであるが、風寒から風熱への移行や、これらが入り混じった病証も少なくない。風寒感冒の症状は、悪寒が強く発熱は軽度で、発汗はなく、頭痛、身体痛、咽喉の痒み、嗄声、咳嗽、薄い白色の痰、鼻閉と水様性鼻漏、口や咽喉は渇かない、あるいは渇いても熱い飲み物を好むなどである。春には風熱感冒が多く、夏には暑湿の邪がからみ、秋には燥気がかかわって感冒が発症する。もっとも同じ外邪に暴露を受けても、その後に発症するかしないかは人体の正気(生命活動の原動力、病邪・疾病に対する免疫力も含む)の強弱に左右される。「正気存内、邪不可干」であり、正気が体内に充実していれば、邪気に干犯されて発病することはないのである。
 一年の終わりにあたる師走はともすれば、あれもしたい、これもせねばならないと様々な欲望や欲求に駆り立てられて、平素以上に生活の規律や節度が乱れがちな時期である。「またもや風邪(かぜ)をひいてしまった」という方は、今一度、心身共に入力よりも出力過多に傾いておられないか、日々の生活習慣を見直して頂けたら幸いである。

奈良の京にまかれりける時に、やどれりける所にてよめる 

み吉野の 山の白雪 積もるらし ふる里さむく なりまさるなり    古今和歌集 坂上是則