花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

華│花便り

2020-06-28 | アート・文化
 見ているこちらは、胸打たれ、どうにもこうにも放っておけないときがある。それは、もはや話の筋を説明するためだけにそこにいるという役者であることを超えて、そこにその女優がいるというだけで、その女優から目が放せなくなってしまう。そういういわば実存的な女優というものがいる。演劇というものは、観客と役者が、その場所、その時間を共有する芸術である。
 それまで観客が生きていた時間と、その役者がその場所で演じている時間とが、観客の想像力の中で、渾然一体と宥和するとき、役者は、その観客に、いま、この場所で、役者がどういう風に生きているかを訴えなければならない。それはかつてその役者が生きてきた昔の時間を再現することだけではない。その場所で、役者が、ここにこうして生きている感じ、息づかい、匂いが観客に漂ってこないといけない。


(大下英治著「太地喜和子伝説」, p140, 河出書房新社, 2000)






大将│花便り

2020-06-27 | アート・文化
今日、私たちは、児玉源太郎を求めている。
けれども、敢えていえば、児玉源太郎は、たくさんいるのだ。
有能な人物は、地に溢れている、というと大げさだけれども、けして不足はしていないと思う。日本には、有能な人物はたくさんいる。
ただ、いないのは、乃木のような人物だ。

 
(一 面影│福田和也著「乃木希典」, p40, 文芸春秋, 2004)




友割りの鼓│花便り

2020-06-25 | アート・文化
わたくしはその話を聞いたときに斯う思いました。すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押退けて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵を描くにも、清浄な温かい心がない限り何の価値もない。

(鼓くらべ│山本周五郎全集 第十八巻「須磨寺附近 城中の霜」, 新潮社, 1983)


おそろしく無駄なこと│花便り

2020-06-20 | アート・文化


文明があっても文化がなく、国民が豊かなだけの一億総下司下郎化した今日、戦後社会に文化をもたらすことが切に要求されている。文化を作りあげるには、繰り返すがごとく、途方もない金と頭脳と労働の集中的浪費が不可欠なのである。チマチマした根性にとりつかれ、下司的たかり、取り込み根性を主張し露出することが民主主義と思い込んでいる私たちには、そのことが何とも理解できない。金と知恵が集まるのは、有用なもの、効率的なものにではなく、馬鹿々々しいこと、おそろしく無駄なことに対してなのに、である。

(第一章 バサラ-----集中蕩尽のすすめ│会田雄次著「よみがえれ、バサラの精神-----今、何が、日本人には必要なのか?」, PHP研究所, 1987)


道をおこなふ法あり│花便り

2020-06-16 | アート・文化
我(われ)兵法を学ばんと思ふ人は、道をおこなふ法あり。
第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛錬する所
第三に、諸芸にさはる所
第四に、諸職の道を知る事
第五に、物毎(ものごと)の損得をわきまゆる事
第六に、諸事目利(めきき)を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事
第八に、わづかなる事にも気を付くる事
第九に、役にたゝぬ事をせざる事
大形如此理(かくのごときり)を心にかけて、兵法の道鍛錬すべき也。


(五輪書・地之巻│宮本武蔵著, 渡辺一郎校注「五輪書」, 岩波書店, 1985)




人は練磨によりて仁となる

2020-06-14 | アート・文化


「玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光り有る。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ。」
(正法眼蔵随聞記・第四・五, p90)

Jewels become objects of beauty by polishing; man becomes a true man by training. What jewel is lustrous from beginning; what person is superior from the outset? You must always keep polishing and always keep training. Do not deprecate yourselves and relax in your study of the Way.
(A Primer of Soto Zen, p64)

「主君父母も我に悟りを与ふべからず。妻子眷属も我が苦(くるし)みを救うべからず。財宝も我が生死輪廻を截断すべからず。世人も我をたすくべきにあらず。非器なりと云て修せずんば何の劫(こふ)にか得道せんや。只須く万事を放下して一向に学道すべし。後事を存ずることなかれ。」
(正法眼蔵随聞記・第五・八, p113)

Masters and parents cannot give you enlightenment. Wives, children, and relatives cannot save you from suffering. Wealth and property cannot free you from the cycle of birth and death. Ordinary people cannot help you. If you do not practice now, claiming you are without the capacity, when will you ever be able to attain the Way? Single-mindedly, study the Way without giving thought to the myriad things. Don’t put it off until later.
(A Primer of Soto Zen, p84)

参考資料:
懐奘編, 和辻哲郎校訂:岩波文庫「正法眼蔵随聞記」, 岩波書店, 1991
Masunaga Reiho (増永霊鳳): A Primer of Soto Zen. A Translation of Dogen's Shobogenzo Zuimonki, East-West Center Press, 1971


窮寇には迫ること勿かれ│花便り

2020-06-13 | アート・文化


孫子曰く、凡そ用兵の法は、高陵には向かうこと勿かれ、背丘には逆うること勿かれ、絶地には留まること勿かれ、佯北(しょうほく)には従うこと勿かれ、鋭卒には攻むること勿かれ、餌兵には食(くら)うこと勿かれ、帰師には遏(とど)むること勿かれ、囲師には必ず闕(か)き、窮寇(きゅうこう)には迫ること勿かれ。此れ用兵の法なり。

孫子はいう。およそ戦いの原則は、高い陵(おか)に居る敵に向かって攻めてはならず、丘を背にして攻めて来る敵を迎え撃ってはならず、険しい地勢にいる敵には長く相対してはならず、偽って退却する敵を追ってはならず、士気盛んな敵軍には攻めかけてはならず、おとりの兵士には手出ししてはならず、母国に帰る敵軍には立ちふさがってはならず、包囲した敵軍には必ず逃げ道をあけておき、窮地に追い込まれた敵軍を苦しめてはならない。これが戦いの原則である。

(孫子・第八/九変篇│町田三郎訳注「孫子」, 中央公論社, 1974)

勝敗は兵家の常│花便り

2020-06-11 | アート・文化


「勝敗は兵家のつね。人の成敗みな時ありです。------時来れば自ら開き、時を得なければいかにもがいてもだめです。長い人生に処するには、得意な時もにも得意に驕らず、絶望の淵にのぞんでも滅失に墜ちいらず、---------そこに動ぜず溺れず、出処進退、悠々たることが、難しいのではございますまいか」
 関羽は、しきりと、言葉をつづけた。ひとり玄徳の落胆を励ますばかりでなく、敗滅の底にある将士に対して、ここが大事と思うからであった。


(孔明の巻(三国志演義・第三十一回)│吉川英治著「三国志」)

風に靡くもの│花便り

2020-06-06 | アート・文化


風に靡くもの、松の梢の高き枝、竹の梢とか、海に帆かけて走る船、空には浮雲、野邊には花薄

(梁塵秘抄・巻第二│川口久雄, 志田延義校注「梁塵秘抄」, 岩波書店, 1974)