花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

林臥天真を葆たん│亀井南冥「詩榻遷坐」

2021-01-28 | アート・文化


「廬山は、「風土記之書続」などを命ぜられて、貝原益軒に続く学者だと自慢していたというのであるから、朱子学派の儒者だったのだろう。定良らの意を受けて、南冥兄弟を引きずりおとすべく陰険に立ち動いたらしい。かように上役の顔色を伺って立ち廻ることだけには巧みで、学才は無く、弟子を養成する力もない、というえせ学者は、当今の大学の国文科にもよく居り、古今変わらぬえせ学者の通弊といってもよい。かような連中は、とにかく敵を引きずりおろすためには色いろな理屈をつけるもので、「南冥先生官途ニアリシ日、杯酒ノ小過ヲ以テ、罪ヲ得、其身長ク廃セラレタリ」(『懐旧楼筆記』)八)、と、瑣細な私行にまで難癖をつけて南冥を陥れようとした。」
(解説 亀井南冥│「文人 / 亀田鵬斎 田能村竹田 仁科白谷 亀井南冥」, p337)

「「抑(そもそ)モ先生ノ人トナリ、伸ブルコトヲ能クスレドモ、屈スルコトヲ能クセズ。物ニ克ツニ勇ニシテ己レニ克ツニ怯(おじな)シ。遂ニ千尺の鯨鯢(げいげい)ヲ以テ、螻蟻ニ困(くるし)メラレタリ。豈惜マザルベケンヤ。」(『懐旧楼筆記』)八)というのが、南冥をよく知り、人間世界に通暁していた淡窓の、南冥の一生を総括した言葉である。」
(同, p340-341)
 *淡窓:広瀬淡窓  *廬山:加藤廬山  *定良:竹田定良
 *鯨鯢(げいげい):オスクジラとメスクジラ
 *螻蟻(ろうぎ):オケラとアリ、虫けらの意

 
亀井南冥先生は江戸後期の荻生徂徠、蘐園学派の儒学者、漢方医である。町医から福岡藩儒医に抜擢され藩の西学問所、甘棠館を主宰した。貝原益軒門下、幕府奨励の朱子学派との対立から突如、終身禁足の処分となり、類焼から甘棠館が灰燼と化した後にも再建が許されなかった。歳寒うして然うして後、松柏の後彫するを知る。政治的に失脚を蒙るとも志は失せず、完成なさった御著『論語語由』は年月を経て秋月藩稽古館から出版された。

タイトルは南冥先生の漢詩《詩榻遷坐》(しとうせんざ)からの詩句である。本詩は首聯「勢交非我素、巧宦伐吾仁」(勢交(せいこう)我が素に非ず、巧宦(こうかん)吾が仁を伐(そこな)う;権勢や利益を得ることを目的の交わりは性分に合わず、上官に取り入らんとすることはわが仁を損ねる)で始まり、尾聯「人生各有適、林臥葆天真」(人生各の適するあり、林臥(りんが)天真を葆(たも)たん;人には各々気に適う生き方があり、私は林間でわが本性を守りゆく)で結ばれている。 

参考資料:
徳田武注:江戸漢詩選 第一巻「文人 / 亀田鵬斎 田能村竹田 仁科白谷 亀井南冥」,岩波書店, 1996)
寺師睦宗著:第54回日本東洋医学会学術総会 招待講演「亀井南冥-----その人となりと業績-----」, 日東医54, 1023-1033, 2003
大塚敬節, 矢数道明, 亀井南冥編:「近世漢方医学書集成14 永富独嘯庵 山脇東門 亀井南冥」, 名著出版, 1979
荻生徂徠著, 小川環樹訳注:東洋文庫「論語徴2」, 平凡社, 2009

人心馬に調う│「韓非子」喩老篇

2021-01-17 | アート・文化

手向山八幡宮の立絵馬

趙襄主學御於王子於期。俄而與於期逐、三易馬而三後。襄主曰、子之教我御、術未盡也。對曰、術已盡、用之則過也、凡御之所貴、馬體安于車、人心調于馬、而後可以追速致遠。今君後則欲逮臣、先則恐逮于臣。夫誘道爭遠、非先則後也、而先後心皆在于臣、上何以調于馬、此君之所以後也。白公勝慮亂、罷朝而立倒杖策。銳貫頤、血流至于地而不知。鄭人聞之曰、頤之忘、將何不忘哉。故曰、其出彌遠者、其智彌少。此言智周乎遠、則所遺在近也。是以聖人無常行也、能竝智。故曰、不行而知。能竝視故曰、不見而明。隨時以舉事、因資而立功、用萬物之能、而獲利其上。故曰、不為而成。

趙襄主、御を王子於期(おうじおき)に學ぶ。俄かにして於期と逐し、三たび馬を易(か)へて三たび後れたり。襄主曰く、子の我に御を教ふる、術未だ盡くさざるなり。對へて曰く、術は已に盡きたり、之を用ふること則ち過てり、凡そ御の貴ぶ所は、馬體車に安く、人心馬に調(かな)ひ、而る後以て速きを追ひ遠きを致すべし。今君後れては則ち臣に逮(およ)ばむことを欲し、先だちては則ち臣に逮ばれむことを恐る。夫れ道に誘(ひ)いて遠きを爭ふは、先だつに非ずば則ち後るるなり、而して先後の心臣に在り、上(なほ)何を以て馬に調はむ、此れ君の遅るる所以なり、と。白公勝亂を慮(はか)り、朝(てう)より罷りて立ち杖を倒にして策す。銳頤を貫き、血流れて地に至れども知らず。鄭人之を聞いて曰く、頤をも之れ忘る、將(は)た何ぞ忘れざらむや、と。故に曰く、其の出づること彌〻(いよいよ)遠き者は、其の智(し)ること彌〻少しと。此れ智遠きに周(あまね)くして、則ち遺(わす)るる所近きに在るを言ふなり。是を以て聖人には常行無し、能く竝(あまね)く智る。故に曰く、行かずして知る、と。能く竝く視る、見ずして明かなり、と。時に隨ひて以て事を舉げ、資に因りて功を立て、萬物の能を用ひて、利を其の上に獲(う)。故に曰く、為さずして成る、と。
(韓非子・喩老第二十一│竹内照夫著:新釈漢文大系 第十一巻『韓非子 上』, p287-289, 明治書院, 1977)

*「喩老」(ゆろう):老子について喩(たとえ)をなすの意。すなわち様々な例え話により老子の教訓を理解する。
*「王子於期」:王良、晋代の馬を御し馬車を早く走らせる名人。

不出戸、知天下。不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。
戸を出でずして、天下を知り、牖(まど)を闚(うかが)わずして天道を見る。其の出ずること弥いよ遠くして、其の知ること弥いよ少なし。是を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名(あき)らかに、為さずして成す。
(老子第四十七章│蜂屋邦夫訳注:岩波文庫「老子」, p218-219, 岩波書店, 2015)


忍び駒 謙信馬

氷結のオリーブ

2021-01-09 | 日記・エッセイ


新春早々、強烈な寒波が日本列島を襲っている。昨日、駐車場に自動散水のために引いている水道管蛇口が凍結しひび割れた。氷が溶けた後に亀裂から噴き出た水が長時間辺りに飛び散っていたらしい。教えて下さった隣家からの電話で慌てて駆けつけて見れば、近くに植栽してあるオリーブの枝葉一面に氷結し冬の陽に輝くつららを形成していた。破損した蛇口は何時もお世話になる業者さんがその日のうちに点検して下さり交換となった。その後、木が寒気と氷で痛んで枯れるのではないかと心配していたが、気温が上がらぬままの本日、二本のオリーブは萎れることなく変わらない葉色を見せていた。




常盤│花便り

2021-01-04 | アート・文化


  題知らず      読人知らず
常盤なる松にかかれる苔なれば 年の緒長きしるべとぞ思ふ
       新古今和歌集・巻第七 賀歌

松籟│花便り

2021-01-03 | アート・文化


  眺望の心をよめる        寂蓮法師
和歌の浦を松の葉ごしにながむれば 梢に寄する海人の釣舟
     新古今和歌集・巻第十七 雑歌中

千歳緑│花便り

2021-01-02 | アート・文化


  京極殿にて、初めて人々歌つかうまつりしに、
  松有春色といふことをよみ侍りし
           摂政太政大臣 藤原良経
おしなべて木の芽もはるの浅緑 松にぞ千代の色はこもれる
     新古今和歌集・巻第七 賀歌

謹賀新年│令和三年辛丑

2021-01-01 | 日記・エッセイ


新年おめでとうございます。
皆々様の御健康と御多幸を心よりお祈り申し上げます。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。

  百首歌奉りし時、春の歌     式子内親王
山深み春とも知らぬ松の戸に たえだえかかる雪の玉水
     新古今和歌集・巻第一 春歌上