花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

令和元年歳暮の御挨拶

2019-12-30 | 日記・エッセイ
年号が改まった本年も余すところ二日となりました。今年に御縁を結ばせて頂いた皆々様、そして社会の様々な領域で御活躍、御健闘の方々に、心より御礼と感謝を申し上げます。新たな令和二年を迎えるにあたり、来る良き年の益々の御健勝と御多幸をお祈り申し上げます。

  年のはてによめる     春道列樹
昨日といひ 今日と暮らして あすか河 流れてはやき 月日なりけり
     古今和歌集・巻六 冬歌





南天竹子(なんてんちくし)│ナンテン

2019-12-28 | 漢方の世界

二十二 奈ん天ん│「四季の花」冬之部・壹, 芸艸堂, 明治41年

南天竹子は、別名、南天実(なんてんじつ)、メギ科ナンテン属の常緑低木である南天、学名Nandina domestica Thunb.の実から得られる生薬である。薬性は酸、甘,平、帰経は肺経、効能は斂肺止咳、平喘である。「南天竹葉」は葉から得られる生薬で、薬性は苦、酸,澀、効能は清熱利湿、瀉火、解毒である。ナンテンは難を転ずるの「難転」に通じ縁起が良い木とされる。「南天の花」「花南天」は夏、「南天の実」「実南天」は秋の季語である。

東郷隆著の歴史小説「南天」は史料に基づき、大石内蔵助とは進退を共にせずに吉良上野介を上杉の本領、羽州米沢の国境で討たんとした、元赤穂藩末席家老、大野九郎兵衛の鬼気迫る最期を描く。落城と共に播州赤穂を一族共々逐電したという大野九郎兵衛は不忠臣と世に流布され、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」では奸臣の大悪党、斧九太夫として登場する。本年南座での「當る子歳・吉例顔見世興行」、昼の部最後の演目が祇園一力茶屋の段であった。高師直(吉良上野介)に内通した九太夫は、韜晦する大星由良之助(大石内蔵助)の真意を探らんと忍び込んだ縁の下で無様に果てる運命を辿る。

誉れある四十七義士に名を残さなかった旧赤穂藩士は、命果てるまで如何なる思いを抱えて生きたのだろう。何時の世にも、時代に彩られて輝く飾石があれば、黙して人知れず僻隅に消えゆく捨石がある。物事の筋目の立て方は百人百様である。上面を眺めて性根を見透かした気分になろうとも、所詮は分かろうはずもない相手の肚をおのれの理屈で撫で回したに過ぎない。



 九郎兵衛は鉢金を脱ぎ、鎧通しを抜くや己が元結に手をかけ、ざくりと切った。
「我らはここで討死する。せめてこのような者も世におったと人にしらせたい」
 大童の姿で仁王立ちする九郎兵衛は、返り血を頬に受け、今や一匹の老鬼であった。
「上州碓氷の磯部村に上原市右衛門と申す者がいる。我が志を知るただ一人の者じゃ。これを」
 白髪の毛を手渡し、不動明王の献花棚から赤い実のついた小枝を取って添えた。冬場のことであたりに花も無く、色どりとしてこれを差したものだろう。
「南天に実が付いたぞ」
 九郎兵衛は笑った。
「わしも雪中に赤く実をつけて、小さいながら人目をひく南天のごとき者にならんとしたが、事ここに到っては是非もなし」
 せめて、大野九郎兵衛が武士たる事を知る磯部村の名主に最後の様子を伝えてくれ、頼むと頭を下げた。
 元助は無言でそれを受けた。

(東郷隆著:講談社文庫「南天」, 講談社, 2013)

菊花(きくか)│キク

2019-12-14 | 漢方の世界

二十五 黄菊 紅菊│「四季の花」秋之部・貮, 芸艸堂, 明治41年

「菊花」はキク科、キク属の多年草キク、学名Chrysanthemum morifolium Ramat.の頭花から得られる生薬である。辛涼解表薬に属し、薬性は辛、甘、苦、微寒、帰経は肺経、肝経、効能は疏散風熱、平抑肝陽、清肝明目、清熱解毒(上焦、頭目の風熱を散らして除く。肝経の熱を冷まして降ろし、目を明瞭にする。熱毒を冷まして除く。)である。方剤例には桑菊飲、枸菊地黄丸、釣藤散などがある。

菊花は清高な文人の理想像を象徴する花として古今賞翫されてきた。『詠菊詩詞精選』の前書に、詠菊の詩詞内容は多岐にわたるが主題の多くは以下の三点に集中するとの論述がある。第一に寒粛の秋冬に花咲く菊花に頑強な生命力、高貴な精神を投影したもの、第二に花中隠士と称する菊花と隠逸文化との関係から捉えたもの、第三に菊花節とも呼ばれる重陽節との関係で詠じたものである。

  飲酒 其七   陶淵明
秋菊有佳色、裛露掇其英。汎此忘憂物、遠我遺世情。一觴雖獨進、杯盡壺自傾。日入群動息、歸鳥趨林鳴。嘯傲東軒下、聊復得此生。

(「陶淵明集校箋」, p239)

秋菊 佳色あり 露に裛(まと)うて其の英(はなぶさ)を掇(と)り
此の忘憂の物に汎(う)かべて 我が世を遺(わす)るるの情を遠くす
一觴(いっしょう)獨り進むと雖も 杯盡きて壺自ら傾く
日入りて群動息(や)み 歸鳥林に趨きて鳴く
嘯傲(しょうごう)す東軒の下 聊か復た此の生を得たり


秋の菊は見事な色取りに咲いた。露に濡れた花を酒に浮かべ、塵埃を棄てた思いが深まる。一人酒の盃が空けばまた満たす。日暮れてようやく静けさが戻り、鳥も帰るべき処へと鳴き渡る。東の軒下で放吟し、また此処に到り優游の人生を得た。



上田秋声著『雨月物語』の一篇「菊花の約(ちぎり)」は、篤い信義を貫いた二人の武士(もののふ)の物語である。幽閉の身となった赤穴宗右衛門は、重陽の佳節に戻ると義弟、支部左門と交わした菊花の約束を果さんが為、人一日に千里をゆくことあたはず、魂よく一日に千里をもゆくと思いなし最期の決断を下す。兄弟信義の心は幽明処を隔つとも変わらない。後日、宗右衛門に仇をなした赤穴丹治の宅に乗り込んだ左門は、一身の利益を図る奸悪の不義を舌鋒鋭く糾弾し一刀のもとに成敗する。
 末尾に掲げたのは「菊花の約」の冒頭文である。白居易の《有木詩八首》其一(「白氏文集一」, p507-508)で諷して詠われるのも柔脆な弱柳である。

「青々たる春の柳、家園(みその)に種(う)ゆることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶことなかれ。楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄の人は交りやすくして亦速(すみ)やかなり。楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人は絶えて訪(とむら)ふ日なし。」
(「雨月物語」, p24)

青々と春の柳は美しいが家の庭には植えるべきではない。軽薄の人との交わりは結ぶべきではない。楊柳は密生して茂るが秋風が吹けばたちどころに落葉する。軽薄の人とは交わりやすいが別れもまた早い。さあれども楊柳は春が来ればまた葉を茂らせる。軽薄の人との仲らいは途絶えれば再び旧交を温める日が訪れることはない。

参考資料:
劉磊編著:「詠菊詩詞精選」, 金盾出版社, 2009
陶潜著, 龔斌校箋「陶淵明集校箋」, 上海古籍, 2011
松枝茂夫, 和田武司訳注:岩波文庫「陶淵明全集・上」, 岩波書店, 1990
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集一」, 明治書院, 2017
永野稔著:校注古典叢書「雨月物語」, 明治書院, 1977


凌霄花(りょうしょうか)│有木詩八首の内・凌霄

2019-12-07 | 漢方の世界

三十 凌霄花 くち奈しの花│「四季の花」夏之部・貮, 芸艸堂, 明治41年

「凌霄花」は、ノウゼンカズラ科、ノウゼンカズラ属、つる性の落葉低木であるノウゼンカズラ (凌霄(りょうしょう)、紫葳(しい))、学名Campsis grandiflora (Thunb.) K. Schumannの花から得られる生薬である。花期は7~8月で遠目からも色鮮やかな黄赤色の円錐花序の花が咲き、吸根を出し樹木などの他物にからみついて成長する。「霄」(しょう)は高い梢の方からの雨、霙(みぞれ)、高い空の意味を表わし、あたかも天空を凌ぐ程にノウゼンカズラが伸長することを示す。「凌霄」(のうぜん)、「凌霄花」(のうぜんか)は夏の季語である。
 活血化瘀薬に属し、薬性は酸、微寒、帰経は肝経、心包経、効能は行血袪瘀、凉血祛風(血を巡らせ瘀血による月経不順、腹腔内腫瘤の修復を行う。血熱の熱毒を冷まし全身掻痒を改善する。)である。妊婦には禁忌である。方剤例には凌霄花散などがある。

『詩経』小雅、魚藻の什(十四編)の《苕之華》(ちょうしか)は、ノウゼンカズラの華やかな黄花、青々とした葉の繁茂の様子から始まる。本詩の構成は、『詩経雅頌1』で「三章、前二章は苕之華の興をとる。繁栄するものを以て、衰落するものを點出する反興とよばれる手法である。」(p335)と詳述されている。
 興は『詩経』の詩の六分類、風(ふう)、雅(が)、頌(しょう)、賦(ふ)、比(ひ)、興(きょう)の「六義」(りくぎ)の一つで、一般には、自然物を詠い興(おこ)してから人間界の営為についての主題に移る修辞的な表現作法と定義される。漢文学者、白川静博士は別の御著『興の研究』において、「一言にしていえば、興的発想は原始的な心性のうちに呪的発想として成立し、そういう宗教的心意の衰落するとともに、情緒的に詩想を導く発想へと変質していったものということができる。」(「詩経Ⅰ」, p572)と総括され、興の本質理解には歴史的な構造分析が不可欠であることを強調なさっている。
 『古今和歌集』仮名序には「歌の様六つなり。唐の歌にも、かくぞあるべき。」と記され、本邦の和歌における独自の詠歌法、六種(むくさ)が挙げられている。

  苕之華
苕之華、芸其黄矣。心之憂矣、維其傷矣。
苕之華、其葉青青。知我如此、不如無生。
牂羊墳首、三星在罶。人可以食、鮮可以飽。 


苕之華 芸(うん)として其れ黄なり
心の憂ふる 維(こ)れ其れ傷む
苕之華 其の葉青青たり
我が此(かく)の如きを知らば 生無きに如かず
牂羊(さうよう) 墳首 三星罶(りう)に在り
人は以て食ふ可きも 以て飽くべきは鮮(すくな)し
(「詩経雅頌1」, p334-335)

八種類の樹木に時の官僚を喩えた諷刺の詩、『白氏文集』の《有木詩八首》其七に詠われたのが「凌霄」である。(八首中で唯一讃えられた其八「丹桂」については、《ふたたび「桂」│有木詩八首の内・丹桂》(2017/12/30)を御笑覧頂けたら幸いである。)
 其七の詩意は以下の通りである。-----凌霄は他の樹に依りかかって成長し、己自身の力では立つことが出来ない。依りかかった肝腎の樹が倒れたならば、当然、寄生した命など一巻の終わりである。身を立てんと志す者は、己がじし自助努力をせよ。凌霄のように自立出来ない柔弱な草木を真似てはならぬ。

  有木詩八首 其七  白居易
有木名凌霄、擢秀非孤標。偶依一株樹、遂抽百尺條。
托根附樹身、開花寄樹梢。自謂得其勢、無因有動搖。
一但樹摧倒、獨立暫飄颻。疾風従東起、吹折不終朝。
朝為拂雲花、暮為委地樵。寄言立身者、勿学柔弱苗。


木有り 凌霄と名づく,擢(ぬき)んで秀づるも孤標に非ず
偶々一株の樹に依りて,遂に百尺(ひやくせき)の條(えだ)を抽んづ
根を托して樹身に附き,花を開きて樹梢に寄る
自ら謂(おも)へらく 其の勢ひを得て,動搖有るに因る無しと
一旦 樹の摧(くだ)け倒るるに,獨立 暫く飄颻(へうえう)す
疾風 東より起こり 吹き折りて朝を終えず
朝には雲を拂う花と為るも 暮れには地に委する樵と為る
言を寄す 身を立つる者 柔弱の苗を學ぶ勿かれ
(「白氏文集 一」, p515-516)

参考資料:
白川静訳注:東洋文庫「詩経雅頌1」, 平凡社, 2010
白川静著:白川静著作集9「詩経Ⅰ」, 平凡社, 2000
白川静著:白川静著作集10「詩経Ⅱ」, 平凡社, 2000
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 一」,明治書院, 2017
佐伯梅友校注:岩波文庫「古今和歌集」, 岩波書店、1991 




興 こう 外物にふれて感想を述べたもの│特別名勝「六義園」・東京



蓮蓬草(れんほうそう)│ツワブキ

2019-12-03 | 漢方の世界

十七 水仙 徒者ぶき│「四季の花」冬之部・壹, 芸艸堂, 明治41年

蓮蓬草あるいは橐吾(たくご)は、キク科、ツワブキ属の常緑多年草、ツワブキ(石蕗、艶蕗、大呉風草)、学名Farfugium japonicum(L.f.) Kitam.(=Lingularia tussilaginea Makino)の全草から得られる生薬である。薬性は辛、甘、微苦、凉、効能は清熱解毒、止血、消腫である。ツワブキはピロリジン型アルカロイドのセンキルキンの他、ヘキセナール、タンニン等を含有し、本邦でも民間薬として根茎や葉を食中毒、下痢、皮膚炎や打撲に煎服あるいは外用で用いた。ツワブキの花期は10~12月で茎上部に散房状の黄色花を咲かせる。「石蕗花」(つはのはな)は冬の季語である。


一切の魚の中毒を解す鰹河の毒に中たるに最良なり│多紀元悳著「廣惠濟急方」巻下・中魚介禽獸肉毒, 東都書肆, 寛政二

咲くべくもおもはであるを石蕗花  與謝蕪村


蓮華王院 三十三間堂・京都の境内にて