花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

ふるさとの月

2015-09-27 | 日記・エッセイ


今宵は仲秋の名月である。当家の萩は盛りを過ぎて、一枝を挿すたびにはらはらと花がこぼれる。明日よりは十六夜の月、立待月、居待月、寝待月、更待ち月と続くが、週が始まればいつもの日々が始まる中で、いつの月までを見届けることができるだろう。
これは神保光太郎の「月」の最後の一節である。

ああ
月が出てゐる
仲麻呂の歌つた月が静かに話しかける
ぼくはたちどまる
ぼくはたづねる
----------祖国よ
----------今宵も平安なるか


初生けの花入│大和未生流の稽古

2015-09-24 | アート・文化
華道大和未生流の新師範は、師範の免状を頂いた翌年、流派の新年会において初生けを行うのが決まりである。御家元、御副家元、御来賓の方々や諸先輩、お仲間が見守って下さる中で、花を生け込むのは尺八切に切った真竹である。かつて私も壇上で鋏を握って初生けに臨んだ。持ち帰った青竹は、専門家に油抜きをしてもらって淡黄色の地肌となり、いつしか浅い一本の竪割れが入った。久しぶりに取り出してみれば変わりなく、とりたてて景色もないが素朴な姿である。一生に一度しかない初生けの日、会場に流れていた時間がこの花入には詰められている。上書きして消す気にはなれず、その後に花を挿したことは一度もない。






秋分の養生

2015-09-23 | 二十四節気の養生


秋分(9月23日)は、二十四節気の第16番目の節気である。昼夜の時間の長さが同じになる頃であり、秋分以降は春分とは反対に、昼の時間は短くなり夜が長くなって行く。身体は各々の体質に基づいて、虚(不足)や実(邪実)、寒や熱に偏る陰陽失調に陥りやすい。その偏りを見極めて今一度、身体の中の陰陽バランスをこの時期に目指す必要がある。
 秋の燥邪を感受して生じる温病である熱性疾患を「秋燥」と称するが、秋分前にみられた「温燥」から、秋分以降は「凉燥」に移行してゆく。夏の暑熱が残っている初秋に、燥邪と温熱の邪により引き起こされる「温燥」に対して、これからの「凉燥」は、次第に寒涼の気候に移行してゆく晩秋にかけて、燥邪と寒涼の邪によって発病する。このために「凉燥」は、風寒表証に似た症状に加え、津液の損傷による乾燥症状を伴なって、悪寒、発熱、頭痛、無汗、鼻閉、鼻腔や咽喉の乾燥やかゆみ、口唇の乾燥、咳嗽、稀薄な痰などの症状を呈する。この時期の感冒、急性上気道感染症、急性気管支炎などの気道炎症がこれに相当する。秋の燥邪は肺を障害するために、養生原則は益肺潤燥となり、肺を守り、津液の損失を防がねばならない。陰の不足は相対的な陽の過剰の状態になり、この陰陽失調から内熱を生じ易い。
 飲食で心がけるべきは少辛多酸である。葱や大蒜、生姜、唐辛子などの辛味のものは控えめが望ましく、林檎や葡萄等の酸味の果物は多めで良いが多食は不適である。『黄帝内経素問』蔵気法時論篇には「肺欲収、急食酸以収之、用酸補之、辛瀉之。』(肺が収斂を必要とする時は急いで酸味のものを食せよ。酸味は肺を補い、辛味が肺の邪気を瀉す。)の記載がある。酸味は肝に関連が深く、収斂・固澀(一つ所に集め留めること)の作用を持つ。そして辛味は肺に関連が深く、発散・行気・行血(外に散じる、気血を動かすこと)の働きを持つ。比較すれば酸味のキーワードは「収、澀」、一方の辛味は「散、行」となり、作用の方向性は真逆である。さらに肺と肝の関係は肺克肝(肺が肝の働きを抑えて制御する)である。すなわちこの時期の均衡をはかるためには、「散、行」は過剰にならぬ様に、「収、澀」を主力に置くべきとなる。秋に一押しの臓となる肺が熱暴走しないように留意するとともに、その場合に被害が生じるであろう肝の補強もあらかじめ考えておかねばならないのである。

水の面に 照る月なみを 数ふれば 今宵ぞ秋の もなかなりける     和漢朗詠集 十五夜

残花を生ける│大和未生流の稽古

2015-09-22 | アート・文化


華道大和未生流の第二十七回いけばな展の終了後、遠路、流派のお仲間が家まで車で送って下さった。華展で使った分と予備を含む四本の青竹を、お蔭様で無事に持って帰ることが出来たのである。会場に伺えなかった家族の為に、華展で生けた花(冒頭写真)を自宅の玄関に再現した。その後数日経過すると、花器を満たす水に活性剤を加えたにもかかわらず、竹や菊の葉が少しずつ色褪せて来た。先の「竹を生ける」で述べた通りに青竹内腔への注水を毎日続けているのだが、本体への吸い上げが落ちてきたと見えて、内腔に溜まっている水も殆ど減らない。そこで改めて良さそうな所を選んで切り揃えてから、庭の隅の秋海棠を添え花として合わせ、新しい形に生け直した。

残花を生けるのは、台所や冷蔵庫に残った食材を用いて一品を作りだす過程に似ている。潤沢な食材を揃えて準備万端で料理するよりも、自分の乏しい創造力がはるかにかき立てられる。有り合わせで適当に作るなどという意識は毛頭ない。何かが足りなかったり、どれかが使えなかったりする状況の中、新たな組み合わせをひねり出して仕上げてゆく作業である。さあ生けて見せよと挑戦状を突きつけられた様でもあり、総身が引き締まるとともに結構面白い。

また花の気持ちになれば、前期と後期、各々三日間の短い華やぎの舞台が終われば、はい、さようならとばかりに捨てられる運命では、余りにも哀れではないか。再利用の青竹は勿論、やや盛りを過ぎていた秋海棠もともになお暫し、その凛とした名残の姿を見せて欲しい。そして、お疲れ様でした、私に花の身を託してくれて本当に有難うと、幕引きの時には声をかけてあげたい。






竹を生ける│大和未生流の稽古

2015-09-21 | アート・文化


今回は花材としての竹の話である。華道大和未生流に入門して以来、本年度の第二十七回いけばな展まで、流派の華展において青竹を花材に扱う機会を4回頂戴した。まずは下の写真を御覧頂きたい。竹の水揚げは難物である。或る程度の太さがある青竹は、我々の手に渡る前にあらかじめ専門家の手により、最底部以外の全節の中央を上から打ち抜く芯抜きの処置が施されている。そして竹の内腔には水が一杯に充填され、最上部の断端は紙の栓で密封されている。従って、必要な長さを決めて切り落とす際には、水を溜めている底となっている最下節を必ず残しておく必要がある。さらに花器に生け込んだ後は、上の切り口にいつも水面が覗くくらいに毎日水を補充してゆかねばならない。この注水を忘れると次第に青竹の変色が始まり、節の横からでている葉も萎んで枯れてくる。



昨年の華展では、上部の栓を取り忘れて注水を怠った竹があり、3日間の前期展示の終わり頃に完全に葉が丸まってしまうという失敗をした。これを教訓に、本年は無事に最終日まで瑞々しい葉を保つことが出来た。これまでの華展で竹に取り合わせた花材は、菊2回、秋海棠1回と秋草1回である。萩原朔太郎の竹の詩の一節、「地上にするどく竹が生え、まっしぐらに竹が生え」に詠われた如く、地表の竹はひたすら天に向かって伸びる勢いがある。添え花として、よく似た風情の真っ直ぐな花を合わせたならば、漢方で言うところの「肝火上炎」の花になる。一方、めりはりのない花々をなよなよと並べただけでは、竹の強さに霞んでしまって締まりのない足元になってしまう。こちらは例えるならば「肝陽上亢」の花であろうか。生け込みの会場でやたら周囲に響き渡る音を気にしながら、青竹を剣山に止めるべくかんかんと打ち付けていた時、身の程知らずに香厳撃竹の話をふと思い出した。修行もあやふやで御指導頂いたこともすぐに忘れる身ではあるが、何時の日か必ず、竹のいけばなというものを多少は見極めることが出来る日を迎えたい。

ところで当院駐車場の歩道に面した生垣は竹である。医者にとって不名誉な薮医者という言葉が世にある限り、医院に竹垣などはふさわしくないかもしれない。それでも私は清々しい竹が一番好きである。庭師さんに手入れをして頂いた後は、何時も歩道が一見で見渡せる程に、竹垣の枝葉がすかすかと涼しく漉かれている。向うが見通せない藪になってはいけないからと慮って、おそらくより一層、間引いて下さっているのに違いない。



解毒といえば│そして「補」と「瀉」

2015-09-20 | 漢方の世界


漢方治療においては、身体内の不足(虚)を補う「補」と不要(邪実)を除く「瀉」のバランスが重要視される。実際の臨床の場では「補」的、あるいは「瀉」的治療だけで解決するということは少ない。多くの場合において、虚と邪実が入り混じった虚実錯雑という病態が殆どであるためである。さらには邪実を除く駆動力を「補」の治療により獲得する、あるいは虚への安定供給をはかるために「瀉」の治療で障害となる邪実を除くという事態も考えねばならない。従って両者は相反するものではなく、「補」が「瀉」となり、また「瀉」が「補」につながる。日常診療において受ける印象としては、西洋医学においては「瀉」の要素が、反対に漢方においては「補」の部分が期待されがちである。しかし両者ともにその様に偏った守備範囲だけであったなら、本来、医学として成り立つ筈がないのである。

さて「瀉」の概念に含まれる「解毒」であるが、かつて疾患をおこす内毒の種類に基づいて体質を以下の三証に分類したのが、森道伯先生提唱の一貫堂医学である。その治療理論の詳細は、弟子の矢数格先生が上梓された『漢方一貫堂の医学』(医道の日本社、2002年)を通じて知ることができる。
1.瘀血証体質:体内に瘀血を保有する体質。主として解剖学上、腹内特に下腹部あるいは骨盤腔内に沈滞する瘀血であり、大半は女性に見られる。治療方剤の代表は通導散。
2.臓毒証体質:食毒、風毒、水毒、梅毒の四毒を挙げ、これらの諸々の毒が身体内の各臓器に瀰漫蓄積している体質。治療方剤は防風通聖散。
3.解毒証体質:肝臓の解毒作用を必要とするいろいろな体毒を持っている体質。従来は結核性体質者に該当するものが多い。治療方剤は、小児期の柴胡清肝湯、青年期の荊芥連翹湯、青年期あるいはそれ以降の竜胆潟肝湯。
(第一編、第三章<三大証の病理解説>, p18-42)

第二章<三大分類の価値>には、この体内毒と解毒に力点を置く一貫堂漢方のスタンスを端的に示す次の一節がある。
「細菌撲滅を図る西洋医学と比較して、全くそれを無視するに等しかった漢方医学的治療は、一見単純な対症療法と誤解されやすいと思われる。しかし、もう一歩踏み込んで考えれば、真の疾病原因を論ずるとき、細菌は単なる直接原因にすぎない副産物であって、それよりも、疾病のほんとうの原因は内因がより重大な役割を演じるものであるということを我々は主張したいのである。しかも、疾病の本質は細菌ではなくて、それを培う体内の毒素であり、また、諸疾病の症状はからだの細胞の自然良能的反応(細菌排毒素に対する)である以上、その真の治療法は、解毒作用によって、からだの細胞の機能を復活旺盛ならしめることが根本であるはずだと思われる。それゆえ、殺菌剤などによる治療法は、原因療法に似て非なる枝葉末節の問題であり、身体内において細菌を撲滅しうる程度の殺菌剤は使用不可能であるから、殺菌による原因療法というのは机上の空論にすぎないと思われるのである。」(p12-13)

ここでは生体を侵襲する外的因子のひとつの例として細菌をとりあげている。西洋医かつ耳鼻咽喉科医として鑑みても、薬剤耐性菌による難治性感染症の問題、また局所に膿が停留する扁桃周囲膿瘍、深頚部膿瘍に進展した場合に選択すべき穿刺・切開排膿術の有効性など、抗生剤を投与するだけで細菌感染の全てが解決する訳でないことは自明である。さらには上記で示唆された様に内因の関与を無視することはできない。医療的介入が一旦は奏功しても、生体側の防御、修復機構の立ち上がりが不十分であったなら、早晩、炎症の再燃に至るが必定だからである。酸化ストレスもまた体内毒の解毒システムの障害の側面を持つ。極言すれば、生きるとはからだに澱(おり)を日々貯めゆくことである。この尽きることのない病的代謝産物の排除機構を支援する手立てにどう取り組むか。西洋医学、漢方医学を問わず、邪実を取り除く「瀉」の戦略は疾病の治療に際したえず念頭に置かねばならない。

中屋雄造正直・房州鋸

2015-09-19 | アート・文化


「中屋雄造正直」鋸店の手作りの房州鋸(ぼうしゅうのこ)に初めて出会ったのは、百貨店で開催されていた日本の名工の物産展であった。小ぶりの花木用鋸を求めたのを御縁に、昨年、華道大和未生流の第二十六回いけばな展を控えた時期に、ふたたび関西で開かれた展示会にお伺いした。その際に持参した花木用鋸の目立てを御当主自ら点検して下さり、竹専用の鋸が必要ならばとお勧め頂いたのがこの竹工芸鋸である。房州鋸は木造船の制作に用いられる船鋸として江戸時代からの歴史を有し、使われる材料は日本刀と同じ安来鋼である。日本で唯一、房州鋸の伝統技法を守り続けておられるのが「中屋雄造正直」鋸店(三代目当主、粕谷雄治氏)である。

竹は通常の鋸で切ろうとすると、繊維が密集する固く滑らかな竹の表皮に刃がはじかれて、なかなか切り口を定めることが出来ない。やっとのことで切り落としても、いかにも雑なささくれだった断面になってしまう。房州鋸の竹工芸鋸を使うと、あたかも刃が竹の内部に吸い込まれてゆくが如く粛々と切り離すことができて、しかも上から覗かれても美しい竹の切り口を得ることが出来る。その違いは一目瞭然である。いまや花材に竹を使う時は決して欠かすことが出来ない鋸であり、最初の花木用鋸とともに、私のいけばなの大切な七つ道具となった。

耳鼻咽喉科学教室に入局してはじめて使用した鋭匙鉗子以来、職業柄、様々な鋏やメス、鉗子類等に触れる機会を得た。手術器械と同じく、専用の用途に応じて作り込まれた道具というものは、その手技を遂行する際に他の追随を許さない圧倒的な凄味を見せてくれる。彼等には、受け持つ役目を天職としてこの世に生まれ、究極まで鍛え上げられた道具だけが持っている風格がある。



白露の養生

2015-09-08 | 二十四節気の養生


白露(9月8日)は、二十四節気の第15番目の節気である。夜間や明け方の気温低下がさらに加速する時節であり、地面に接した空気の温度が露点以下に低下すると大気中の水蒸気が水滴となり、草木の葉の上などに白く光る朝露が観察されるようになるために「白露」と呼ぶ。ようやく炎熱の太陽にさらされた夏が去り、まさに秋高気爽、秋空が高く澄み渡りさわやかな、秋の気候の到来が実感できる節気となる。
 四季の気候の特徴は、春温、夏熱、秋凉、冬寒であり、人体の陽気の盛衰もこの規律に従っている。秋が深まるとともに、中高年者や虚弱な人では全身や四肢末端の冷え、排尿回数の増加、腰痛、倦怠感や月経困難症などの症状が生じる。さらに一日の内で陽気が最も衰える五更の時候(午前3-5時頃)に水様性の下痢、腹痛が出現することがあり、これを五更瀉と称する。これらは陽虚(脾腎陽虚)の症状で、体の陽気の根本である腎陽が衰えて全身に陽気を散布して温める機能が失われるためである。五更瀉は脾の陽気が損なわれて運化失調(飲食物の消化・吸収、および水液の吸収・輸送の機能不全)を来すために発生する。秋の涼気に対しては、腰部、腹部や下肢などの下半身を冷やさないように留意することが大切である。腰部(下焦)には生命活動、陰陽の根本である腎が存在する。腹部、とくに臍部には皮下脂肪、筋肉組織がなく外邪侵入の門戸となりやすい。下半身の保温は、寒涼の邪の体内への侵襲から気血の運行や臓腑機能を守る養生の手立てとなる。

秋萩の 枝もとををに 置く露の 消なば消ぬとも 色に出でめやも    万葉集 巻第八 大伴宿禰像見


きみの葡萄酒のなかに│秋の詩

2015-09-07 | 二十四節気の養生


ヴァレーのカトラン      リルケ 山崎栄治訳

きみに見えるか、あの高いところ、かぐろい樅林のあいだあいだに
天使たちのあの放牧地が?
異様なひかりにつつまれて、ほとんど天上的で、
それは遠い以上のものに思われる。

それにしても、あかるい谿谷にみちあふれ、そして山巓にまで達する
なんたる空中のたから!
あの空気のなかにただようすべてのもの、照り映えるすべてのものが、
きみの葡萄酒のなかに沁み込むのだ。


ひとの好みは年とともにかわる。自分の中で色褪せ衰えゆくものと呼応する様に思えて、かつて好きであった秋が苦手になった年頃があった。ヴェルレーヌの「げにわれはうらぶれてここかしこ、さだめなくとび散らふ落ち葉かな」は、凋落の秋がひたぶるに身に沁みすぎた。耿湋の「古道少人行、秋風動禾黍(行く人とていない古道には禾黍が秋風にそよぐのみ。)」も、悲秋の憂いが肉の落ちてきた肩にはやたら重い。漢方的に申せば、若い頃には溢れるものを引き締める収斂薬として、秋という方剤が実に有効に働いていたのであろう。

ところが時節の風を感じながら二十四節気の養生を折々に記してゆく中で、いつしか以前の様な秋嫌いではなくなってきた。言うまでもなく一年の後には翌年の節気がまた訪れてくる。そして少しもぶれることのない大自然の循環というものを実感した。そういえば小学校の休み時間に、回旋する長い縄を順繰りに飛び越えてゆく長縄跳びで遊んだものだ。昔から鈍臭い私は縄に足をよくひっかけた。廻りゆく長縄のなかに入ったからには、むこうに抜けて行くまで此処で力の限り跳ぶのみである。

萬物静觀皆自得│大和未生流の花

2015-09-05 | アート・文化


「萬物静觀皆自得」は、程顥(ていこう)作、秋日偶成二首・其ニの頷聯の詩句である。かつて華道大和未生流、初代御家元の御真筆で「萬物静觀皆自得」一行書の掛軸を皆で拝見したことがある。華道を生涯の天職となさった初代御家元が、文人としてあらゆる領域においても他者の追従を許さない天賦の才を有しておられたことを、雄渾で流麗な書を拝して改めて窺い知った。それとともに、大和未生流の創設を決断された、その発心の御心の一端に触れる思いがして襟を正したのである。

秋日偶成二首・其ニの大意は以下の通りである。全詩を末尾に掲げた。
------のんびりとした生活になってからは、何事においても心は穏やかであり、覚めれば朝日はすでに東窓に赤々とさしこんでいる。 まわりを静観すれば、萬物は本性のままに在るべきところに在り、変わりゆく四季の趣は人生と同じである。道理は天地有形の一切を超えて通じ、思想は風雲変幻の世に浸透する。富みて奢らず、また賢なるかな回やと讃えられた顔回の如く、陋巷にありても其の道を楽しむ。男としてこの境地に至るならば、これぞ真の英雄である。

程顥は、字は伯淳、号は明道、明道先生の名で知られ、弟の程頤(ていい)とともに二程子と並び称される北宋の思想家である。天地と人は一体であり、宇宙萬物の中に内在する本体である「理」を、自らの内に感じて通じることの重要性を唱えた。花を活ける際の心構えとしてしばしば引き合いに出される利休七則の「花は野にあるように」は、その意味するところの実践となると甚だ容易なことではない。秋日偶成の詩意を辿る時、その野とはそれぞれの花が本性のままに自足する在処(ありか)なのであろうかと思うのである。

生け花からは離れるが、松尾芭蕉の俳文、蓑虫説跋には、「翁にあらずは、誰か此むしの心をしらん。「静にみれば物皆自得す」といへり。此人によりてこの句をしる。」と、この「萬物静觀皆自得」を引用した一節がある。芭蕉の「蓑虫の音を聞にこよくさのいほ」の句に大いに感じるところがあった山口素堂は、蓑虫説を記して蓑虫の心を詳らかに表した。この素堂の静観の眼を通して、芭蕉は「萬物静觀皆自得」の真意を初めて知ることが出来たと絶賛している。さらには英一蝶(多賀朝湖)が描いた蓑虫の絵の趣にも触れて、「猶閑窓に閑を得て、両士の幸に預る事、簑むしのめいぼくあるにゝたり。」と、両氏の厚意に預かり蓑虫は面目この上もないと感謝の言葉で締めくくっている。

秋日偶成二首   程顥
寥寥天氣已高秋, 更倚凌虚百尺樓。世上利名羣蠛蠓,古來興廢幾浮漚。退安陋巷顏回樂, 不見長安李白愁。兩事到頭須有得、我心處處自優游。
閑來無事不従容, 睡覺東窗日巳紅。萬物静觀皆自得, 四時佳興與人同。道通天地有形外, 思入風雲變態中。富貴不淫貧賤樂, 男兒到此是豪雄。

寥寥たる天氣已に高秋、更に凌虚百尺の樓に倚る。世上の利名羣蠛蠓、古來の興廢幾くの浮漚。退き安んず陋巷顏回の樂しみ、見ず長安李白の愁い。兩事到頭須く得ること有るべし、我が心處處として自づから優游。
閑來事として従容ならざるは無し、睡り覺むれば東窗日已に紅なり。萬物静觀すれば皆自得、四時の佳興は人と同じ。道は通ず天地有形の外、思いは入る風雲變態の中。富貴にして淫せず貧賤にして樂しむ、男兒此に到らば、是豪雄。

《参考資料》
堀切実編:芭蕉俳文集下, 挨拶・返礼の文(四)10「蓑虫説」跋, 岩波出版, 2014
程顥, 程頤:二程集上, 河南程氏文集巻第三, 銘詩,中華書局出版, 2008