花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

桜か池 源空上人│日本花図絵

2022-02-22 | アート・文化

桜可池 源空上人│尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九年

 治承元年の秋、法然坊は念仏弘通を兼ねて東国へ下る道すがら、雄花に埋れた水の面に赤い蜻蛉の群れて遊ぶ夕映匂う桜池に臨んで、いと懇に供養を行わせられた。
 自ら求めて浅ましい姿に化り変られた今は亡き師よ、蛇身も振鈴の業に堪え給うとならばよも俗名を難しとは申されまい。称名の念仏乃至十声してすみやかに西方浄土に往生し給え、凡夫をもされば大蛇をも捨て給わぬ阿弥陀如来が本願の尊さにゆめ疑いあらすなと心密に念じつつ西方を望んで、
 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
とその日、六万遍のうちの幾声かは、特に先師がためであった。
 夕風に揺れる水面に湧く水泡を見ながら水底の蛇身も菩提を得られるのを信じて胸の闊くなるを覚えた源空は欣然と錫を吉水に返した。

(’第三巻 叡空と皇円│佐藤春夫著:「掬水譚---法然上人別伝」, p43-44, 浄土宗出版, 2010)

*弘通(ぐずう):遍く広めること。
*法然上人の先師、肥後阿関梨皇円は、遥かの後仏の御出世を心にかけて長命の蛇身(龍神)とならんが為に、遠江笠原の庄の桜池(桜ヶ池、静岡県御前市)に入定された。法然上人は東国に下向なさり御師を懇ろに供養し奉られたのである。

参考資料:
佐藤春夫著:「新版 極楽から来た」, 浄土宗出版, 2009
芹沢銈介・芹沢銈介・型絵染:「極楽から来た挿絵集」, 吾八, 1961
浄土宗総合研究所編:「現代語訳 法然上人行状図」, 浄土宗出版, 2013
京都国立博物館編:「知恩院と法然上人絵伝 法然上人誕生850年記念」, 知恩院, 1981
大橋俊雄校注:「法然上人絵伝(上・下)」, 岩波書店, 2002
坪井直子著:「龍神になった皇円 孝行集と法然上人伝」, 佛教大学総合研究所紀要1:95-112, 2006

藪椿・其三│花便り

2022-02-19 | アート・文化


  有雪山木石花是二字余續貂而作一絶應長尾氏需   原采蘋
    雪山墨蹟に花是の二字有り、余續貂(ぞくちょう)
    して一絶を作りて、長尾氏の需めに応ず
花是吾家主  花 是れ 吾家の主たり
春日燕嘉賓  春日に燕 嘉賓たり
雖有如浥酒  浥(うる)ほすが如き酒有ると雖も
無花不作春  花無くば 春と作らず

小谷喜久江著:「女性漢詩人 原采蘋 詩と生涯---孝と自我の狭間で」, p473, 笠間書院, 2017

藪椿・其二│花便り

2022-02-17 | アート・文化


  瓶花   梁川紅蘭   
奪将化機手  化機の手より奪い将(も)って
揺曳弄風姿  揺曳 風姿を弄す
只藉一缾水  只だ 一缾(いつぺい)の水を藉(か)りて
生生無尽時  生生 尽くる時無し

梁川紅蘭│福島理子注:江戸漢詩選3「女流」, p303-304, 岩波書店, 1995

此所小便無用 花の山 佐々木文山│日本花図絵

2022-02-15 | アート・文化

此所小便無用 花乃山 佐々木文山│尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九年

寶井其角は書を玄龍に學んでゐたので、文山とも親しかつた。或日紀ノ國屋文左衛門について、吉原へ遊びに行く、揚屋の主人は嘗て文山の書名の高いのを知つてゐたので、春山櫻花の畫屏風を出して揮毫を需めた。書畫などゝいふものは、表門から裃を着て頼みにゆくと、容易にかいても呉れないし、又御禮も澤山出さねばならぬ、早く出來て只かいて貰ふにはこれに限る。元祿の昔も今もかはらぬのは面白い、文山も忌々しく思つたか、醉餘の筆を揮つて、此所小便無用と書いてしまつた。文山の書は醉へば醉ふ程出來がいゝ、併しいくら能書でも小便無用では困る、揚屋の主人が興さめ顔をしてゐると、其角が直に筆を把つて、花の山と書き續いだ。此所小便無用花の山、大層面白い句になつたと紀文も笑へば、主人も喜び、永く家寶となつた。
(佐々木玄龍文山│「近世能書傳」, 85-86)
*佐々木文山:江戸時代の書家、名は襲、字は淵竜、通称は百助、号が文山・臥竜・墨華堂。兄の佐々木玄龍も書家。

参考資料:
三村清三郎著:「近世能書傳」, 二見書房, 1944


花に鐘 道成寺│日本花図絵

2022-02-08 | アート・文化

花に鐘 道成寺│尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九年

(シテ)春の夕ぐれ。来てみれば(地謡)入相の鐘に花ぞ散りける。花ぞ散りける花ぞ散りける(シテ)さる程にさる程に。寺々の鐘(地謡)月落ち鳥鳴いて霜雪天に。満汐程なく日高の寺乃。江村の漁火。愁ひに對して人々眠れば好き隙ぞと。立ち舞ふ様に狙ひ寄りて。撞かんとせしが。思へばこの鐘恨めしやとて。龍頭に手を掛け飛ぶとぞみえし。引きかづきてぞ失せにける。
(「道成寺」, p三-四)


楓橋夜泊 張継│「唐詩選畫本」
月落烏啼霜滿天 江楓漁火對愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船

昔の人は清姫をあられもない女と考えたかもしれないが、この絵巻をみていると蛇になる女に至純の切迫があり、追いまくられて逃げる男は、僧らしい尊厳のカケラもない。(中略)長年の修行でどのような高徳を得ていたかはしらないが、なぜ女の恋と対等の話ができなかったのであろう。その折伏(しゃくぶく)ができない時は一緒に悲運をともにする覚悟がきまらなかったのであろう。覚悟を持つ者と持たぬ者との美醜が歴然としている。
(道成寺│「能つれづれ こころの花」, p57)

参考資料:
廿四世観世左近著:観世流大成版「道成寺」, 檜書店, 2016
石峯橘貫書画:「唐詩選畫本 七言絶句続編」天明戌申再刻版, 嵩山房
岡部伊都子著:「能つれづれ こころの花」, 檜書店, 1999


桜町中納言│日本花図絵

2022-02-01 | アート・文化

桜町中納言│尾形月耕「日本花圖繪」明治三十年

抑(そもそも)此(この)成範卿を桜町中納言と申しける事は、すぐれて心数奇給へる人にて、常は吉野山を恋ひ、町に桜を植ゑならべ、其内に屋を立てて、住み給ひしかば、来る年の春ごとに、見る人、桜町とぞ申しける、桜は咲いて七箇日に散るを、余波(なごり)を惜しみ、天照御神に祈り申されければ、三七日まで余波ありけり、君も賢王にてましませば、神も神徳を耀(かかやか)し、花も心ありければ、廿日の齢をたもちけり。
(巻一 吾身栄花│「平家物語1」, p31-32)
*成範卿:藤原成範(ふじわらのしげのり)、藤原通憲(信西)の三男。

  東の方へまかりける道にてよみ侍りける
道のべの草の青葉に駒とめて なほ故郷をかへりみるかな
     新古今和歌集・巻第十 羇旅歌   民部卿成範

  後の事ども果てて、散り散りになりけるに、成範、脩憲
  涙流して、今日にさへまたともうしけるほどに、南面の
  桜に鶯の鳴きけるを聞きて詠みける
桜花散り散りになる木の下に 名残を惜しむうぐひすの声
     山家集・中 雑   西行

参考資料:
市古貞次校注・訳:新編日本古典文学全集「平家物語1」, 小学館, 2014
峯村文人校注・訳:新編日本古典文学全集「新古今和歌集」, 小学館, 2012
後藤重郎校注:新潮日本古典集成「山家集」、新潮社, 2015