花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

卒都婆の月│月百姿

2016-11-21 | アート・文化

卒都婆農月 / 月岡芳年『月百姿』
25 Gravemaker moon / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001


能曲『卒都婆小町』のシテは百歳(ももとせ)の姥(うば)となった小野小町である。当初卒都婆に腰掛けた姿を見咎めた僧達の教化の言葉を、小町の老婆は舌鋒鋭く論破して降参させる。老いてもなお驕慢な小町はその昔、並ぶものがない才色兼備を誇り、深草少将の心を弄んで恋い死にさせた報いにて零落の境涯に落ちる。そして深草少将の怨念が絶えず憑き添うが為に、小町は何時終わるとも知れぬ物狂いに苦しむのである。男の意に沿わない傲慢不遜な女は、絶世の佳人であろうともいずれかくの如き落魄の身に朽ち果てて、怨霊に祟られる魔道に落ちるが定めなのだと言わぬばかりの小町像である。

だが月岡芳年『月百姿』に描かれた「卒都婆の月」を見れば、行方も知らぬ成れの果ての、もはや浮草の身を誘う水もなき老残の身でありながら、面を真直ぐに挙げた小町は美しく﨟長けた風姿である。まさに古今集仮名序の「しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし」であり、ちなみにこの在原業平に対する辛口批評の言葉は、むしろ大いなる誉め言葉じゃありませんかと以前より私は思っているのである。
 「卒都婆の月」は、中空に玲瓏とした娥眉の心無き月が掛かり、かたや静かに卒都婆に腰掛けるのは浮世を知り過ぎた心有る女である。手垢にまみれた身過ぎ世過ぎからは遠く離れた静謐の中で、小町は身じろぎもせずに有明を待っている。

 I’m so lonely that I’d break off this sad body from its roots
 And drift away like a floating reed---if the current were to beckon

  康秀が三河になりて、「県見は出で立たじや」といへる返ことに
 わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらば往なんとぞ思(おもふ)

 The flowers’beauty faded but no one cared
 I watched myself grow old in the world as the long rains fell

  花を眺めて
 花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに



上は「Gravemaker moon」に取り上げられた小野小町の英訳二首で、小町集に収載されている本歌を並べて記した。最後の写真は小町終焉の地とされる綴喜郡井手町にある小野小町之墓である。

参考資料:
観世流大成版『卒都婆小町』 廿四世宗家訂正著, 檜書店, 1952
和歌文学大系18『小町集/業平集/遍昭集/素性集/伊勢集/猿丸集』 室城英之他編,明治書院, 1998



富士山

2016-11-20 | 日記・エッセイ


家族が倒れたとの知らせが入り、かつて朝まだき飛び乗った、新幹線の一月の車窓から仰ぎ見た富士山。あれから何年たっただろう。京都と東京を行きつ戻りつするなかで数えきれないくらいの富士山を見た。それでも窓辺で塩垂れた私を傲然と睥睨していた、あの時の富士山ほど美しい富士山を私はいまだかつて知らない。いや私は確かに富士山を見上げていたが、富士山に視界というものがあるならばその一隅にさえ私の姿は映ってはいなかった。寄り添うといったふやけた生暖かさには遥かに程遠く、旅中の窓に次々と映りゆく点景に瞭然たる一線を画し、富士山は紛れもなく其処に有った。

西洋医学と東洋医学

2016-11-19 | 漢方の世界


東洋医学を実践するのは決して医師だけではないが、現行の日本東洋医学会が認定する漢方専門医は、医師免許証を有し日本専門医認定機構の定める基本領域に属する学会の認定医あるいは専門医を有することが認定の基本条件である。隣国事情を伺えば、中医学、韓医学を修める道と西洋医への道とは完全に分離されていて、日本のように西洋医かつ漢方医(東洋医学医)として同一人が二足の草鞋を履く国は稀である。この利点の一つは一人の治療者に於いて両者のすり合わせや実践が容易であることだろう。各々の科を軸足とする西洋医が、症例検討会や臨床の現場において共有する東洋医学という場で見解を出し合い、診断・治療法をより良く煮詰めてゆく過程は、まさに日本だからこそ行える東西を融合した医療の実践である。

そして昨今は、西洋医学的な病態解析をからめた漢方の講演や論文がとみに増加した。EBMの旗印の下、自然科学的な手法で検証済みということは現代において権威あるお墨付きである。自然科学の洗礼を受けて恩恵を被ってきた現代人にとり、自然科学こそが信ずるに足る正しい道であり、教義に則らない(科学的にエビデンスが確立されていない)ものは非科学的で異端でしかないのだろう。また東洋医学の完全否定ではないのだが、現代西洋医学的解釈が困難な陰陽五行理論などの東洋医学的パラダイムは荒唐無稽な空論にすぎません、漢方製剤は使ってみたいが東洋医学的理論を学ぼうとする気も興味もありませんと高らかに公言なさる医師達もいる。訳がわからぬパラダイムとまで言うならば、どうして漢方方剤に手を出そうとするのだろうかと私は不思議に思う。もし自分がその立場に立つ人間であるならば決して漢方方剤は使わない。何故ならこれらの方剤は自然発生的に生まれたのではなく、紛れもなく東洋医学的パラダイムが産み出して来た産物であるからだ。方剤におけるエビデンスをいくら重ねようとも、出自が其処にある限り内部に孕む西洋医学的な不確定要素をゼロには出来ない。東洋医学的パラダイムを否定する立場で方剤を使うという事は、言うなればトロイの木馬を己が陣地に引き入れることである。

さて自身の足場に戻るが、文目も解らぬ十八歳で西洋医学の門を敲いて以来、刷り込まれた西洋医学が私もまた骨の髄まで染まっている。中医学や日本漢方を学んだのは、西洋医学教育を経て耳鼻咽喉科専門医となった遥か後である。今当院で東西折衷の耳鼻咽喉科診療を行っているのは、まず現在の日本で西洋医学を無視した医療が病人の利益には決してならないと考えるからである。そして加えて、東洋医学の導入によりさらなる利益を提供することが出来るという信念を持つ為である。仮に現時点で西洋医学的な立証がなされなくとも、東洋医学における種々の理論が回復・治癒への手掛かりを与えてくれるならば、それを作業仮説として採択するのに私は何ら躊躇いはない。さらに言えることは、もし東洋医学独特のパラダイムに触れる機会がなければ金輪際得られなかったであろうと思える着眼点が実に多いのである。耳管開放症に建中(肚を立て直す)の治法を用いる、末梢性めまい症に身体を貫く竪の観点を持ち込む、養生の必要性を痛感した四季を通じた季節病等々、私が西洋医一辺倒でいたならば、日常診療に有益なこれらの視点を得ることは到底出来なかったであろう。これがこれからもハイブリッドな姿勢を貫こうと決意する大きな理由なのである。

きぬたを巡りて│其の二 能「砧」

2016-11-06 | アート・文化

砧の月 夕霧 / 月岡芳年『月百姿』
85 Cloth-beating moon -Yugiri / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001


側頭骨に埋もれた内耳は内外のリンパ液で満たされた構造である。空気中の音が直接に内耳の内耳液に伝播しても、音は液体表面で跳ね返されて有効な伝達が行われない。三個の耳小骨から構成される中耳伝音系は、鼓膜に達した音を減衰させること無く、さらに増幅して内耳に伝達するための仕組みである。この音の増強作用にかかわるのは、鼓膜とアブミ骨の面積比(17:1)、耳小骨のてこ作用(ツチ骨・キヌタ骨を貫く耳小骨の回転軸とキヌタ骨、ツチ骨長脚それぞれの先端までの距離比が1.3:1)である。
 このようにキヌタ骨を間に挟む中耳伝音系は、外界と内耳をただ連結するものではなく、インピーダンス整合(送り出し側と受け側の入出力インピーダンスを合わせて、電気や音響、振動などの信号の損失を少なくして最大の効率で伝送させること)の役割を果たし、異なった媒体の間の音の情報伝達を有効に保つ働きを持っている。
 きぬたを介して、それぞれの心の内に増幅して積み重ねてゆく音は百人百様である。

さて謡曲『砧』のシテは、遠く旅立ち帰らぬ夫、蘆屋某をひたすら恋い焦がれ続ける心ゆえに成仏できず冥府に落ちる北の方である。里人が砧擣つ音に触発されて蘇武の妻の故事を思い起こして、我が思いを夫に届けんと慣れぬ槌(能では扇)を手に取る。砧打ちは身分が低い者の作業であり、『砧』の女は砧擣ちに従事する階級ではない。当初はわらはも思ひや慰むと故事を踏まえて始める砧擣ちであり、そこには庶民の労働に伴う生活感情はなく、むしろ思弁的、理念的、審美的である。その高雅で教養ある女人の佇まいを仮借なく内から焼き滅ぼしてゆくのが、西行の連作<地獄ゑを見て>の歌に詠まれるが如き煉獄の「黒くほむらの苦しみ」である。
 黒きほむらの中にをとこ女燃えけるところを
なべてなき黒きほむらの苦しみは夜の思ひの報いなるべし   聞書集 西行

やがて砧を擣つうちに高まる思いは「怨みの砧」擣ちとなる。そして絶望のあまり此の世を去った後、冥府において打てや打てと獄卒に責め立てられて、今度は音もしない「報いの砧」擣ちが続く。『砧』の女は訃報に接し急ぎ立ち戻った夫に向かって、
「君いかなれば旅枕夜寒の衣打つとも、夢ともせめてなど思ひ知らずや怨めしや」と、綿々と心の内に積もり積もった怨みの繰り言を述べる。その心習いは立場が違えども、六条御息所の性格描写で描かれた、「いとものをあまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて(大層物事を、度を超す程に深く思い詰める性格であって)」と近似する。『砧』の女は夫の手向ける祈願の功徳により、結末で唐突に妄執の昏き道を抜け出でて救いを得たことになっているが、果たして真に成仏することができたのだろうか。


源氏 夕顔巻 / 月岡芳年『月百姿』
29 The Yugao chapter from “The Tale of Genji” Genji yugao no maki / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001


脱線ついでに『源氏物語』夕顔の帖で、八月十五日、源氏は下町の夕顔の板葺きの粗末な家で夕顔と一夜を過ごすのであるが、夜明けも近くなった頃、隣の家々から賤の男の声、唐臼の音とともに白栲(しろたえ)の衣うつ砧の音が聞こえてくる。やんごとない源氏にとってはカルチャーショックに違いない、なかなかシュールな朝である。一見、うすぼんやりとは紙一重の優雅な鷹揚さで、夕顔は特にそれらの有様をはらはらと気に病むようなそぶりは見せない。そして却ってその方が源氏には好ましく思える。その後、なにがしの院において、「何心もなきさし向かひをあはれと思すままに、あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまをすこし取り捨てばやと、思ひくらべられたまひける。(おっとりと天真爛漫に向かい合ってくれるこの女を可愛いと感じるままに、彼の御方はあまりに心の奧が深すぎて、対面するこちらが息苦しくなるところを少なくして欲しいものだと、思わずお比べにならずにいられないのであった)」と、真逆の姿を見せてくれる夕顔と六条御息所とを引き比べる。
 夕顔を失ってしまった後に、源氏は中秋の夜の砧の音を恋しく思い出すのだが、源氏の出自からみれば、元来、賤の生活空間での雑音でしかない筈の砧の音は、今やその内で中耳伝音系の増幅効果を経た如く昇華され、夕顔への切なる思いに彩られた追憶と分かち難く結びついている。

ところで下記は夕顔の素性を右近より聞いた折の源氏の言葉であり、これが源氏の男の生涯を貫く本音なのだろう。私は光源氏から御覧になれば下町に生きる賎の女の一人に過ぎない。それでも最後に小さく此処に記しておこう。若い頃から、そして源典侍と似たり寄ったりの年頃になっても、私はいまだに光源氏がどうも苦手である。
「はかなびたるこそはらうたけれ。かしこく人になびかぬ、いと心づきなきわざなり。みづからはかばかしくすくよかならぬ心ならひに、女は、ただやはらかに、とりはづして人に欺かれぬべきがさすがにものづづみし、見ん人のこころには従はんなむあはれにて、わが心のままにとり直してみんに、なつかしくおぼゆべき」(新編日本古典文学全集21『源氏物語』二, p188, 小学館, 1995)
(いかにも頼りなげなのがいとおしいのだ。思慮分別があり男の言うなりにはならないのは、どうも好きになれないものだ。私自身がてきぱきとした、しっかりとはしていない性分なので、女というものはただ優しく、ぼんやりしていると騙されそうでいて、しかも控えめで、見る人の心には従順であるというのがかわいく思えて、そのように自分が思うがままに導いてみたら、心が魅かれて離れがたいに違いない。)

参考資料:
観世流大成版『砧』廿四世宗家訂正著, 檜書店, 1952
岩波文庫『西行全歌集』, 岩波書店, 1946
新編日本古典文学全集21『源氏物語』二│桐壺│帚木│空蝉│夕顔│若紫│末摘花│紅葉賀│花宴, 小学館, 1995


きぬたを巡りて│其の一 キヌタ骨と「砧」

2016-11-05 | アート・文化

Fig5-14, 鼓膜(tympanic membrane)の4象限 / Goycolea MV, Paparella MM, Nissen RL: Atlas of otologic surgery, W.B.Saunders, 1989

体の中で最も小さい骨である耳小骨の一つに、砧(きぬた)の名前が付いたキヌタ骨がある。砧とは、洗った布を棒や槌で叩く布打ちに使う石製ないし木製の台、またはこの作業自体を言う。この砧の台、棒や槌などの道具、また砧を打つ音を意味するのが砧杵(ちんしょ)である。砧打ちの道具の形態も時代とともに変遷する。
 鼓膜に達した音の振動は、中耳鼓室内のツチ骨(槌骨、Malleus)、キヌタ骨(砧骨、Incus)、アブミ骨(鐙骨、Stapes)から成る耳小骨連鎖に伝わる。布打つ砧の作業の様に、鼓膜に接するツチ骨の振動を受け止めるのがキヌタ骨である。ちなみに鼓膜の部位はツチ骨柄延長線と臍で直角に交わる線を引いて4区画(four quadrants)に分けて、各々前上・前下・後上・後下象限と名付けられ、キヌタ骨は後上象限後方に存在する。耳小骨の離断、硬化や奇形などがない限り、キヌタ骨に伝わった音の振動はアブミ骨経由で内耳の蝸牛に伝わる。蝸牛の有毛細胞により振動から神経パルスに変換された音情報は、内耳と脳幹を連絡する聴神経、脳幹の蝸牛神経核や幾つかの中継点を経て、大脳皮質の聴覚野に到達して音として認識される。
 秋の夜長に行う砧打ちの音は、古来、物悲しい季節を感じさせる風物詩として詩や絵画に取り上げられてきた。きぬたが伝えるのは音であり心である。


時代物の砧杵

橡(つるばみ)の 衣解き洗ひ 真土(まつち)山 本(もと)つ人には なおしかずけり   万葉集巻第十二:寄物陳思

千五百番歌合に
秋とだに忘れんと思ふ月影をさもあやにくに打つ衣かな   新古今和歌集巻第五:秋歌下 藤原定家朝臣

心の澄むものは、秋は山田の庵毎(いをごと)に、鹿驚かすてふ引板(ひた)の聲、衣しで打つ槌の音   梁塵秘抄


秋篠邑 / 大和名所圖會巻之三, 秋里籬島著, 春朝斎竹原信繁画

長き夜の伊駒おろしや寒からむ秋しの里に衣打つ也   壬二集 / 夫木和歌抄巻十四:秋五 藤原家隆 

題知らず
秋篠や外山の里やしぐるらん生駒の嶽に雲のかかれる   新古今和歌集巻第六:冬歌 / 宮河歌合 西行

秋篠や庄屋さへなき村しぐれ   野沢凡兆

参考資料:
新潮日本古典集成41『万葉集三』新潮社, 1980
新古典文学全集43『新古今和歌集』小学館, 2012
日本古典文学大系73『和漢朗詠集 梁塵秘抄』岩波書店, 1946
岩波文庫『西行全歌集』, 岩波書店, 1946