花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

ボクのこだわり

2017-04-08 | 日記・エッセイ


朝から霧雨が降り続く中、飼い犬まるを連れて散歩に出た。尾籠な話になるが、例によって草地でぐるぐると場所捜しが始まった。何度も渦を描いては此処にするのかと思いきや、また唐突に歩き出しては新たな場所を嗅ぎ出す。五回以上の探索の後、遂に満足がゆく地に至り腰を落ち着けて事が終了した。
 それを片付けながら却下となった幾つかの叢を振り返った。それぞれの何処が気に入らなかったのか、飼い主の眼には全く判然としない。二つ向こうの候補に上がった叢には小さな蒲公英が咲いていた。少なくとも其処は上にするのを憚って避けた、という筈がない。始末を付けて立ち上がると、本人ならぬ本犬は、早く行こうと言わんばかりの満ち足りた顔で当方を見上げている。例の場所の採択基準が一体何処に力点を置いて構成されているのか、この四月で九年の付き合いになるが未だに何も見えてこない。
 さて人間の世界に立ち返り、「わたしのこだわり」などとというものは他人(ひと)から見ればこのような類いなのかもしれない。どや顔で最良の選択だと悦に入るのも、そうではないものを掴んだと消沈するのも、本人が執着する程には端から眺めたら左程の違いはないのである。

下剋上の翳

2017-04-07 | 日記・エッセイ


NHK日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ 等伯」(2月5日、NHK Eテレ放映)の京都智積院の長谷川等伯「楓図」と狩野永徳「檜図屏風」の障壁画の比較において、漫画家、おかざき真理(敬称略)が述べておられた見解が実に興味深い。御発言の概要は以下の通りである。
-------絢爛豪華な中で寂しく繊細な感じがする等伯画は共感性で読者を掴む《少女漫画》であり、狩野派は読むと元気になる《少年漫画》である。狩野派の「檜図屏風」はその前に戦国武将が似合う空間であり、等伯の「楓図」は寂しい気持ちを抱えた人間にここに居ていいよと言ってくれる空間である。-------

番組の中で、己一代で頂点まで登り詰めた等伯を評する「下剋上絵師」という言葉が出た。「下剋上」には限りない上昇志向を是とする陽性の駆動力がある。だが物極必反(物事は行き着けば必ず反対方向に転化する)であり、成り極まる過程において既に相反するものが台頭する序曲が始まっている。医学界に話を戻せば、かつて医学界の構造的問題を追求した社会派小説として一世を風靡した長編小説、山崎豊子著『白い巨塔』の財前五郎は「下剋上医師」である。野心と能力、重ねた努力ともに人並以上である新進気鋭の「下剋上医師」の栄光と蹉跌、物極必反の人生が余すところなく描かれ、主人公が終生携えてゆくルサンチマンの低音が小説に深い陰影をもたらしていた。ところで昨今の医療ドラマでは、スーパードクターが膠着した病態(個人および組織の)を打ち破り、一発大逆転の勝ちいくさにするといった描き方がやたら溢れている感がある。先の御見解をお借りするならば、観れば元気になる「狩野派」のプロットである。一般の方々が御覧になる場合はひたすら頼もしく映るからであろうか。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」は平家物語の有名な冒頭の一節である。本来、物極必反と同様に、諸行無常には滅びゆくものへの嫋嫋たる感傷や哀惜はない。あるのは森羅万象の消長平衡を俯瞰する、無情ならぬ非情の眼である。