花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

詠菊

2014-12-23 | アート・文化
高教授が御夫君の陶教授、御子弟とともに秋の京都にお越し下さった時の事である。菊の花が美しい時節で、花吉兆で歓待の宴をしつらえ御一緒させて頂いた。御酒のお好きな陶先生は貞翁をおすごしになり、その席でさらさらと李白の「客中行」をしたためて下さった。但だ主人をして能く客を酔わしめば、知らず何れの處か是れ他郷なるをの詩句を伺って、御家族の皆様とともに日本でのこの一夜の宴をとてもお楽しみ下さり喜んで戴けたのだと、私は心底有難く嬉しく思った。

「詠菊」はその席で陶教授より賜った漢詩で、霜に負けることのない菊の心意気を心のままにお詠みになったものである。後日、旅先なので落款はないがというお言葉とともに、改めて揮毫までして下さった。頂戴した御筆は専門家に額装をお願いして、今も大切にしている。訓み下し文と井伏鱒二風は、私が書いた至らない訳文であり御容赦頂きたい。詩句中の引喩について、貧弱な私の頭が思いを巡らせた範囲で記すと、『聊斎志異』の葛巾は、曹州の名高い牡丹、葛巾紫と玉版白が化けた牡丹の精にまつわるお話である。酒と申せば李白に陶淵明であり、李白は腰に固い骨があり身を屈することができないと世の人が評した、傲骨の主である。菊を愛し、飲酒其七で秋菊佳色有りと詠んだのは、彭澤県の県令でもあった陶淵明である。有神は生気がみなぎり生き生きしている様を示し、無神はその反対である。中医学の神は外に表れる生命活動の総称であり、狭義には精神や意識を意味している。

高教授、陶教授にお逢いする機会を得て、他の多くの中医がどうであるか迄は知らないが、老成円熟した中医が其の内に蓄えておられる自国の文化に関する素養には、端倪すべからざるものがあると知った。華岡青洲先生、吉益東洞先生、和田東郭先生しかり、かつての医師は幼き頃より培われた、誰と比べても遜色がない一流の教養をお持ちであった。それに比べて受験勉強と偏差値だけでハードルを越えたつもりの現代の医師はどうなのか。他人事ではない、振り返れば内心、忸怩たるものがある。

「詠菊」
佳色絶知勝葛巾   佳色絶えて知る葛巾に勝れるを
彭澤戴酒費沈吟   彭澤は載酒し沈吟に費やしたり
孤高不与群芳伍   孤高にして群芳と伍をなさず
傲骨凌霜倍有神   傲骨は霜を凌ぎいやましに有神たり

                      菊ノ色香ハ牡丹ニ勝ル
                      酒ヲ愛セシ彭澤ノ様ニ
                      群レズ咲カセヨ不屈ノ花ヲ
                      霜ガ降レドモ意気高ク