花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

紅葉と楓をたずねて│其十一・赤と緑

2021-10-30 | アート・文化


暖色の紅葉と寒色の緑葉。李漁の《伊園十宜》宜秋「門外時時錦屏列なる、千林復た舊時の青さにあらず」に対し、蕪村の《宜秋図》は錦屏列に舊時青(旧時の緑)を残す。錦秋の候にあり常盤木の如き楓樹一本の心を謡うのは《六浦》である。千古不易と有為転変。「赤と緑」の色合いが秋ほど鮮やかに照り映える季節はない。







頭光踏蓮│赤と緑・其一

2021-10-28 | アート・文化

芹沢銈介・型絵染/「民芸」第百号 四月号表紙
上人頭光踏蓮図 関白九条兼実感見/「極楽から来た」第三十三章 室津の旅びと(一)挿絵


「緑」と「赤」は切っても切れぬ濃い縁があるのではないでせうか。さうしてこの二色の調和が、美の国を彩ってゐる大事な要素になってゐるのを感じます。自然も亦この事実を示す為に、葉には緑を花には主に赤を与へてゐるのではないでせうか。「柳緑花紅」に真理の真理をみつめる禅意にも、微妙な趣きの漂ふのを切に感じないわけには参らないのであります。
(随想「朱と緑」│「民芸」第百号 四月号, p19)
(「赤と緑」│「柳宗悦随筆集」, p273)



「十月 山河の色どり」/「装幀図案集 第一集」

参考資料:
佐藤春夫著, 芹沢銈介挿絵:「新版 極楽から来た」, 浄土宗, 2011
「民芸」第百号 四月号, 日本民芸協会, 1961
水尾比呂志編:岩波文庫「柳宗悦随筆集」, 岩波書店、1996
水尾比呂志編, 柳宗悦著:岩波文庫「美の法門」, 岩波書店, 1995
芹沢銈介:「装幀図案集 第一集 表紙十二ヶ月」、吾八, 1981



祈り

2021-10-25 | 日記・エッセイ

Per Eilstrup: The Little Mermaid Her Story – the Writer and the Fairy Tale., Grønlund, 1994

北海の蒼き人魚の 哀しみは波に浮かびぬ ひとのかたちして

馬酔木を手折らめど

2021-10-24 | 日記・エッセイ


大津は二上山の山頂に埋葬された。政敵に対する持統の慈悲ではない。当時の二上山は、山越他界の地であり、つまり生と死、この世とあの世の間(あわい)にある中空の地であった。死後もその霊をやすらわせまい、中空にさすらわせよう、という憎しみが、そこにはある。権力正統への欲望が母子の情にからむと、いかに醜悪酷烈であることか。このゆえに、大津の姉大来は、
 うつそみの 人にある吾や 
    明日よりは 二上山を 兄弟(いろせ)とわが見む
と、痛烈な挽歌をもって、持統の酷薄にむくいたのであった。

(3章挽歌の道──生と死の通い路│山田宗睦著:「道の思想史」, p66, 學藝書林, 1969)

<蛇足の独り言>見守り給う母后の薨去を境に暗い影が姉弟に忍び寄る。傷ましきかな。うつそみの挽歌を詠いあげた大来皇女の慟哭は時代を越えて胸に迫り来る。かつて二上山に登り、宮内庁管轄の大津皇子二上山墓(御陵ではなく墓である)にお参りした。雄岳山頂にあったのは手向けの香華なく森閑と静まり返った墳墓である。なお二上山にはこれぞ真墓という説がある鳥谷口古墳がある。
 愛し子を我が手で守らんとする女は時として躊躇いもなく鬼になる。女帝は薨御の逆縁を堪忍び血脈を守り皇位を皇孫に継承させた。その堅固な御意志には鬼気迫るものがある。

人の音せぬ暁に│花便り

2021-10-23 | アート・文化


少なくとも、近代人における基本的対立が内部と外部との対立であるとすれば、古代人における基本的対立は夜と昼との対立-----あるいはそれにつながるもろもろの対立-----であったことは確かである。真の夜の静寂や闇黒、そこにただよう神秘や恐怖を、われわれはもう経験できなくなっている。われわれの経験では、夜と昼との対立は明確な輪郭を失い、いわばなしくずしに昼が夜になっていき、夜が昼になっていく。古代人が夜寝て見る夢によって受けた衝撃の深さのほどを思いやることが出来なくなったのも、生活のありようのこうした違いに妨げられている点があるであろう。

(第三章 長谷寺の夢/夜と大地│西郷信綱著:「古代人と夢」, p108, 平凡社, 1974)

プロパーさん

2021-10-22 | 日記・エッセイ


大学医局に入局した頃、毎朝、教室の入り口にはプロパーさん(propagandist(広告・宣伝者)に由来する)が何人も立っておられ、目的の先生の登院を待っておられた。現代の呼称はMR(medical representative)、医薬情報担当者である。教授や助教授、講師の先生方が医局に到着すると、親しく会話をかわして助講室に行ってゆく方があれば、前を素通りされて所在なげに立っている方もあった。入局したばかりで右も左も解らない研修医に、様々な医療業界の四方山話を聞かせて下さったプロパーさん。それぞれの製薬会社には個性豊かな名物プロパーさんがおられた。

藁屋に名馬

2021-10-21 | アート・文化


 わびがさびと違ふところは、さびのもつ却來の契機をもたないといふ點である。色即是空から、空即是色へ轉ずる機がわびにはない。いはば有の根柢としての無をもたないのである。
(中略)
 さきにもいつたやうに、わびは對比において起る。過去の豪奢に對する現在のわび、世間の豪奢に對する自己のわび等である。豪奢や豊富に對して言へば隠逸や貧寒であるが、これは量的な相違はあつても有に對する有であることには違ひがない。極小の量によつて極大の量を批評するといふ性格はたしかにある。緊密にして凝つた量は粗大にして亂雑な量よりも高い。密度の高い量にこもつて散漫に對抗することがいはば侘數寄であった。量的な不足、不如意において、反って放漫な外形を批評するところに侘數寄があつたのである。だから贅澤や豪勢に對立し、それを白眼視はするが、對立する對象がなくなれば、わび自體の存在理由があやしくなる。藁屋に名馬といふところがその限界といつてよい。名馬意識から離れえないのである。
(千利休/さびとわび-----世阿弥と利休│唐木順三著:「千利休」, p34-36, 筑摩書房, 1989)

寒露・其三│花便り

2021-10-16 | アート・文化


   たのもしげなることいひてたち
   わかるゝ人に
はかなしやいのちも人のことの葉も たのまれぬ世をたのむわかれは
     兼好自撰歌集  吉田兼好  

寒露・其二│花便り

2021-10-15 | アート・文化


   さだめがたくおもひみだるゝことの
   おほきを
あらましも昨日にけふはかはるかな おもひさだめぬ世にしすまへば
     兼好自撰歌集  吉田兼好