花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

「流星」~河北騰著『水鏡全評釈』│第三夜

2015-05-30 | アート・文化


流星の第三夜は、河北騰著『水鏡全評釈』(笠間書院、2011年)である。「水鏡」は藤原忠親ないし源雅頼が作者とされ、神武天皇から仁明天皇までの約七百年にわたる古代神話、説話や史実などの事跡を編年体で書き表した、鎌倉時代初頭に成立した歴史書である。

著者は「水鏡」の中心主題について、「水鏡はなぜあれ程、露悪的な非行や醜聞の記事を多く取り上げようとするのか。これは、雄略・武烈・称徳帝らの時代も、作者執筆の当時も、世態人情としては全く同じだという事を強調したい為の証左であろう。水鏡が力説する「古へを褒め今を謗るべきにあらず、人の心においては古へも今も同じ事なり」という作者の史観の発露なのであろう。」(p.406)と推論する。また「本作品の随所に傑れた文芸的・美的な景象表現が豊かなのであって、この美を正当に究明して行くことや又、綿密な史実考証にも努めて行かねばならない。」(p.5)と、上代日本における歴史と文化史を学び、これらの叡智を今後に生かしてゆくべきことを述べておられる。

さて「水鏡」における流星であるが、十一代、垂仁天皇の御代の段で「その年の八月に、星の雨の如くにて振りしこそ見侍りしか。あさましかりし事に侍り。」、五十一代、桓武天皇の御代に「十一月八日の戌の時より丑の時まで、空の星走り騒ぎき。」との記述について、古代人の流星に対する思いを以下の通りに解説なさっている。
「流星とか隕星などを、古代の人々はひどく神秘な、強い不吉の現象と想って、おののいたようである。例の「星落ち秋風五丈原」を引くまでもなく、これを天帝の怒りや一大凶禍の啓示かのように恐怖し慎んだのである。」(p.63)

『水鏡全評釈』に導かれ「水鏡」から頂いた流星のキーイメージは、「天から降り来る」への畏怖である。大気に落下突入して燃え尽きる流星に対して「天から降り来る」の形容は至極当然であるが、地球に衝突する可能性のある大隕石でもない限り、もはや現代人には流星に対する恐れはない。天から降り注ぐ流星は、地上のかりそめの平穏と安寧に対する警鐘であり、ひとを遥かに超越したところより地に下された厳粛な断罪かもしれぬという慎ましい意識は、いまや我々からはすっかり失われている。越えてはならぬものが限りなく存在した時代は遥か彼方に飛び去った。夜空に流れる流星は二重の意味で地に墜ちていったのである。

小満の養生

2015-05-21 | 二十四節気の養生


小満(5月21日)は、二十四節気の第八番目の節気である。小麦などの夏の収穫を迎えた作物の実がふくらんできて、しかしいまだ成熟には至らずという意味である。この時期は草木が生い茂り、万物の成長が最も盛んとなる。これからさらに盛夏にむかって気温が上昇してゆくが、夏の養生としては、まず暑熱と湿邪から身を守ることが大切である。大量に発汗すると、津液(臓腑や組織・器官にある体液や正常な分泌物)と気が同時に失われるので、ミネラルを含む水分を少しづつ、こまめに補充する必要がある。湿邪の性質、発病のあらわれ方は「重濁粘滞」と表現され、外界の湿邪を感受すると、頭や手足が重たくだるい、滞ってすっきりとしない、汚い排泄物や分泌物などの症状が出現してくる。また現代の夏の養生としては、「夏の冷え」にも留意する必要がある。暑さを避けるために終日冷房をかけっぱなしにしたり、冷たいものばかりの飲食を続けていると、体内の陽気を傷つける。その結果、体表の防衛機能が低下して夏風邪をひきやすくなる。また脾の陽気を損ねると、さらに消化吸収機能が低下し、巡らせることができなくなった水湿が体内に停滞して、むくみや乏尿、下痢などを生じてくるので注意が必要である。

雨晴れの 雲のたぐひて ほととぎす 春日をさして こゆ鳴き渡る      万葉集、巻第十 夏雑歌

犬の飼い主

2015-05-17 | 日記・エッセイ


はたまた飼い犬の柴犬まるである。やや夜も更けた頃に散歩から帰り、まだ家に入りたくないと足を踏ん張るまるを、勿論しっかりと門扉の鍵を確認した上で庭に遊ばせていた時である。一旦家の中に戻った私の耳に、突然、わんとまるの一声が響いた。何かと慌てて駆け寄ってみると、家のフェンスに沿った外の街路を行く、偉丈夫なシェパードと飼い主さんの姿が見えた。私とまるが内側から見守る中、やがて飼い主さんは路上で彼(ないし彼女)をきっちり座らせてアイコンタクトをお取りになり、静かに何かを言い聞かせ始めた。シェパードは、飼い主さんをしっかりと見上げて畏まっている。

恐らくリーダーウォーキングを学ぶべく、飼い主さんにしかと寄り添い脇目もふらずに歩く様にトレーニングを受けてきたに違いない。ところがふいに当家のまるが横手から吠えたので、思わずよそ見をして歩行が乱れたのであろう。いうならば、まさしく訓練中のプロないしセミプロに向かって、暇な外野席が「ねえねえ、何をしてんのさ」と無頓着に呼びかけたという構図である。そのような折でもひたすら精神を集中せねばならないのかもしれないが、悪いのは茶々を入れたこちらである。はなはだそのシェパードが気の毒になった。

しばらくすると何事もなかったかの様に、飼い主さんとシェパードはまた向こうに歩き出された。その直後、ちらと一瞬、シェパードはこちらを振り返った。飼い主さんのお教えはよくよく理解しているが、それでもちょっとだけ、まだこちらが気になっているという風である。叱責されてすっかり意気消沈しているのではなさそうで、飼い主さんには申し訳ないがいささか安心した。

お人や他犬に危害が加わる様な事態を防ぐ事は、犬の飼い主として一番心せねばならない。大型犬の飼い主さんは、体が大きいだけにより一層、平時より秩序ある行動がとれるべく躾を厳しく育てておられるのであろう。家に入る時間なのに我儘をたれる犬を、まあもう少しの時間だけ庭で遊ばせてやろうと考える当方などは、沖縄で言う所のテーゲーか、実にいい加減な飼い主とお叱りを受けるに違いない。去ってゆかれた飼い主さんがこのブログを御覧になることはないだろうと思いながらも、最後に謹んで一言を。
落ち度があるのは当方です、どうぞ最後のチラ見は見逃してあげて下さい。

桑葉(そうよう)│桑椹(そうじん)│桑枝(そうし)

2015-05-15 | 漢方の世界


医院の駐車場では、桑の木が赤や紫色の実をたわわに実らせ始めた。桑はその葉、茎、実のいずれもが生薬となり、有用で無駄のない樹木である。桑の葉から得られる生薬は「桑葉(そうよう)」で、辛涼解表薬に分類され、効能は疏散風熱、清肺潤燥、平肝明目(風邪や肺の熱を冷ます、あるいは肝の高ぶりをおさえる)である。桑の実は「桑椹(そうじん)」と称して養血薬に属する生薬になり、滋陰補血、生津、潤腸通便(体の潤いや血を補う、腸に潤いを足して便を出しやすくする)の作用を持つ。童謡『赤とんぼ』にて「山の畑の桑の実を、小篭に摘んだはまぼろしか」と歌われた桑の実であるが、どちらかというと体を冷やす寒の性質があり、脾胃が冷えていて便がゆるくなり易い方は多くを召し上がらない方が無難である。さらに桑の若枝から得られる「桑枝(そうし)」は祛風湿薬に分類され、袪風湿、通経絡(風湿邪を除き、経絡を通して関節痛や運動障害を改善する)という働きがある。

この桑枝の他に桂枝もそうであるが、枝ものの生薬は、大空に伸びてゆく枝々のように滞った所を通じさせるという作用がある。下の歌は、母が育てている桑の葉も、蚕が食べて繭になり、それが糸となり布となり、願ったならば衣として着られるのに、何故私のこの思いは成就しないのかしらという意である。果たしてどのような願いであったのか。思いは通じて届いたのであろうか。

たらちねの 母がその業(な)る 桑すらに
    願えば衣(きぬ)に 着るといふものを
    万葉集、巻第七・1357

おとこの取り込み事

2015-05-11 | 日記・エッセイ


尾籠な話になるので甚だ恐縮であるが、飼い犬まるが受診となった。動物病院で狂犬病予防接種とフィラリア症に対する予防投与の御処方を先日に受けたばかりであったが、朝からオスの大切な局部が出たままで戻らなくなったのである。以前にも何度かこの様なことがあり、当初はそのうちに戻るだろうと簡単に考えていた。ところが昼過ぎてからも全く回復の兆しがない。本人は痛がる気配なく、排尿時もいつも通り元気に足を挙げているのだが、次第に鬱血の度合いが増して来て、どうもただ事ではない。嵌頓でさらなる血流障害を来せば壊死に至る危険性もあり、急遽、夕方の御診療時間に伺うことにした。

まるは動物病院が大好きである。連れられていそいそと病院の入り口をくぐる。私は受付でどうされましたかと問われ、かくかくしかじかと所見を御報告申し上げるものの、声が思わず小さくなる。しばらくして名前を呼ばれ、診療室に入ろうねと促すと、まるはその場で這いつくばって頑としてして動こうとしない。待合におられる方々に、大変だね、頑張ってねと笑顔で暖かい声をかけて頂いても完全に腰が引けている御年7歳、体重15Kgの巨柴を抱き上げて、ようやく診察室に入るのは毎度のことなのである。

御高診の結果は亀頭包皮炎、発赤腫脹し露出した頭部を元通りに整復の後、膿が貯留した内腔を洗浄して頂き、抗生剤の皮下注を受けた。そしてニューキノロン系の内服薬の御処方とともに、「もしまた露出したら引っ張って戻してあげて下さい。でも戻らなかったらすぐに受診してください。」との御指示を頂いた。これに対して「素人が引っ張っても大丈夫でしょうか。やり方としては先端に向かって皮を伸ばすのですか。」と、後で考えたら赤面の至りの質問を申し上げたのだが、全く要領がわからない患犬の家族としては、その時はひたすら真剣だった。

その翌朝は起きるなりすぐさま、まるの寝床に直行した。幸いにも局部は落ち着いていて、当人ならぬ当犬はけろりと嬉しそうな顔を見せている。それでもその日一日は、また嵌頓しているのではと心配で、当日予定の研究会まで休み、ことある事にまるの股ぐらを覗き込む羽目になった。お人相手の、専門は耳鼻咽喉科という畑違いの飼い主は、こういう時には何の役にも立たないのである。
──頼りない飼い主で御免、それでも心配する気持ちは誰にも負けないから。

又吉直樹著『火花』│僕と神谷さん

2015-05-10 | アート・文化


「神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけれど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。僕は、結局、世間というものを剥がせなかった。本当の地獄というのは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんはそれを知らないのだ。僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはゆかない。自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。
 「いないいないばあ」を知った僕は、「いないいないばあ」を全力でやるしかない。それすらも問答無用で否定する神谷さんは尊い。でも、悔しくて悔しくて、憎くて憎くて仕方がない。
 神谷さんは、道なんて踏み外すためにあるのだと言った。僕の前を歩く神谷さんの進む道こそが、僕が踏み外すべき道なのだと今、わかった。」
(文學界二月号、p.63)

文學界に初掲載され、満を持して三月に出版された又吉直樹著「火花」(文藝春秋)の一節である。能で言えば、先輩芸人の神谷さんはシテで、神谷に憧れて伝記を書くことを託された徳永(文中では僕)はワキである。神谷さんの物狂いとも見える風体は、徳永の眼を通して克明に描かれる。やがて徳永は一世一代の舞台を最後に、お笑い芸人に別れを告げて不動産屋で働く一般人の身を選ぶ。市井の一隅に居場所を変えた後も、彼は自分と他者との間の何処に境をおけば最もからみが沸騰するかと考える人間である。「僕は、結局、世間というものを剥がせなかった。」という意識を見る限り、為手と見所、芸人と観客、これらを対立する構造として間(あいだ)を探るしか術がなかったのである。世間のおとなに向かい「いないいないばあ」をやってゆくあざとさは、無心な赤ん坊ではないのに「いないいないばあ」を求めてくることもある世間の貪欲さに釣り合う。真摯に闘い続けるも、徳永のリングの限界がそこにある。

かたや神谷さんには間(あいだ)というものが存在しない。他者を突き抜けた無限遠点に笑いの理念を置く神谷さんにとって、自分と相手との距離をはかるなどは言語道断である。その結果、あたかも天女が地に舞い降りた如く、コキュになり大道の芸人に喧嘩を売ってはと、俗世間を生きるには不如意さが露呈する。長い幕間の後で、神谷さんは意表をぶっちぎる異形(いぎょう)で終盤に再登場する。「おい、とんでもない漫才思いついたぞ」と最終章で飛び跳ねてみせる神谷さんの姿は、「槽伏せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳掛け出で裳緒を陰に押し垂れき」と、天岩戸の前で八百萬神を大いに沸かせたという、芸能の祖神、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)の姿を彷彿とさせる。仰ぎ見る無限遠点を自己に一気に手繰り寄せるには、巫女となりその生身に降臨させる神懸かりの他に何が出来ただろう。

さて八百萬神をその身に引き寄せて、呼吸を合わせ天地一体となり、大御所の天照大御神も思わず垣間見たほどのかの熱狂のるつぼを、果たして神谷さんは生み出すことができたのか。悲しいかな。されど芸能の原点は、彼がそれでも懲りずにめざして行くであろう彼方に在る気がする。私は神谷さんの様な息遣いの芸人さんが好きである。

立夏の養生

2015-05-06 | 二十四節気の養生


立夏(5月6日)は、二十四節気の第七番目、夏季の最初の節気である。温暖な春が終わり、炎熱の夏の始まりである。昼の時間はさらに長くなり、夜が一層短くなって行く。草木の緑が新緑からさらにその濃さを増してゆき、吹き渡る清々しい風が初夏の到来を告げている。夏は、木、火、土、金、水の五行の内の「火」に属し、肝、心、脾、肺、腎の五臓との関係においては「心」に対応する。東洋医学的な心の概念は、西洋医学的な「心臓」の機能に加えて、さらに精神面での「心(こころ)」の働きを含んでいる。夏の高温多湿の気候は心身を撹乱して、気分が落ち着かずに不安定になりがちである。夏の養生としては、この心を養うことが一つのキーポイントとなる。また「冬病夏治」、陽気が最も盛んとなる夏に養生することにより、冬の病気の回復をはかることができる。冬季に多発する慢性病、陽気不足や寒邪が発症あるいは憎悪因子となる病気(気管支喘息、慢性気管支炎や寒痺(冷えで悪化する関節・筋肉痛)など)を、体内の陽気を充実させて病気に対する抵抗力を増強することにより、夏に改善できることを意味している。

わが宿の 垣根や春を へだつらむ 夏来にけりと 見ゆる卯の花    和漢朗詠集 首夏



「流星」~井上靖詩集『北国』│第二夜

2015-05-05 | アート・文化


流星の第二夜は、詩集『北国』(井上靖著)の中の「流星」である。『井上靖全詩集』(新潮社、1979年)には北国の他、地中海、運河、季節、遠征路、西域詩編、拾遺詩編が収められている。「流星」の詩であるが、前半で描かれているのは、天上から降る星を受け止めて仰ぎ見る青春の視線である。そして時を経た後半では、天高く光芒を引く星におのれを投影し、その星と一体となって落ちゆく体感が表出されている。『黄帝内経』で論述されている四季のリズムは春生、夏長、秋収、冬蔵である。そして人生の春・夏が有する外・上への方向性もまた、年を重ねた秋・冬においては、内・下への志向性へと変化を遂げる。
(「流星」の全文を末尾に掲げるが、『井上靖全詩集』では薄い黄土色の見開きページに縦書きの、美しいレイアウトである。)

「ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する星というものの終焉のおどろくベき清潔さだけであった。」のくだりに思うのは、著者の短編小説「澄賢房覚書」(『井上靖全集』第二巻に収載、新潮社、1995年)である。澄賢が自著『般若理趣経俗詮』の書き出しに「欲触愛慢破戒無懺の旦夕に身をゆだね来りけり」と自らを記し、身ひとつで「長い空寂の谷の道」の果てに踏み込んで行った先は、流星の消えゆく宇宙の空寂に他ならない。正調より破調、正統よりは異端の道を、好むと好まざるにかかわらず粛々と歩み通した人生に対する、著者の深い哀惜の念が感じられる小説であった。

この「流星」の詩から頂いたキーイメージは「群れより離れて」の諦念である。それは刀折れ矢尽きた果ての白旗ではない。「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん」であり、麦穂から離れてこぼれ落ちる一粒の麦が静かにその先に見た、大いなる循環に連なりゆく一筋の道である。


  流星      

高等学校の学生ころ、日本海の砂丘の上で、ひとりマン
トに身を包み、仰向けに横たわって、星の流れるのを見
たことがある。十一月の凍った星座から、一条の青光を
ひらめかし忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど、
強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。私は
いつまでも砂丘の上に横たわっていた。自分こそ、やが
て落ちてくるその星を己が額に受けとめる、地上におけ
るただ一人の人間であることを、私はいささかも疑わな
かった。
それから今日までに十数年の歳月がたった。今宵、この
国の多根なる青春の亡骸──鉄屑と瓦礫の荒涼たる都会
の風景の上に、長く尾をひいて疾走する一個の星をみた。
眼をとじ煉瓦を枕にしている私の額には、もはや何もの
も落ちてこようとは思われなかつた。その一瞬の小さい
祭典の無縁さ。戦乱荒亡の中に喪失した己が青春に似て、
その星の行方は知るべくもない。ただ、いつまでも私の
瞼から消えないものは、ひとり恒星群から脱落し、天体
を落下する星というものの終焉のおどろくベき清潔さだ
けであった。





歌舞伎「流星」│第一夜

2015-05-03 | アート・文化


今年に入ってから流星話がたまたま身の回りに重なった。これを契機に、時代や分野を越えて流星というものに託されてきた思いというものを考えてみようと思う。千夜一夜には到底及ぶべくもないが、流星の第一夜は、先々月の京都南座での三月花形歌舞伎である。午前の部の演目は歌舞伎十八番の内「矢の根」と「鳴神」、そして「流星」であった。しかるべく所に生まれ育ち、日夜相応の稽古を積んで来られた若手役者の花の競演である。

この中の演目「流星」であるが、牽牛と織女がやっと逢えた七夕の夜、雷夫婦が喧嘩を始めたと流星が余計な御注進にやって来るという趣向である。坂東巳之助が、老若男女の鬼の角を戴いた四体の雷を踊り分けて、演目の山となる軽妙洒脱な舞踊をみせる。幕間に聴いたイヤホンガイドでは、流星は別名、よばひ星(婚ひ星、夜這ひ星)との説明があった。男が女の家に通う妻問婚の時代、よばひ渡る男のあくがれいずる魂が流星となるのである。流星は最後に、他星の蜜月に闖入しながらお邪魔虫の嫌味や臭みのかけらもなく、文字通り彗星の如く鮮やかな印象を見所に与えて、虚空遥かに消えて行った。

作品が残る芸術と異なり、演じる芸能は一期一会の燃焼である。同じ演者、演目であっても繰り返しではなく、その刹那、その場の芸はそれ限りである。生け花もまた、その花材との出会いはただ一度であり、たとえ会心の作であろうとも活けた作品は残らない。歌舞伎舞踊「流星」から頂いたキーイメージは、「後に残さず」の覚悟である。徒然草、第九十二段の「毎度、ただ、得失なく、この一矢に定むべしと思へ(毎回弓を射る時には、この一本の矢を射損じることなく的中させるのだと思え。)」なのである。