花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

Windows 10アップグレード騒動記

2016-07-12 | デジタル


7月29日期限のWindows 10無償アップグレードが巷を賑わせている。私の私用デスクトップPCもWindows 7から10への衣替えを完了した。忘れもしない5月某日、スライド作りに疲れてPCを立ち上げたまま、階下でコーヒーを飲む為にしばし席を離れた時である。部屋に戻るとモニターには見慣れぬカウントアップが表示され、デスクトップPCが当方の意向を無視したまま、勝手にアップグレードを開始しているではないか。
 丁度その頃、日本東洋医学会学術講演会での演題発表を控えて、安定した現行のPC環境に悪影響がでるかもしれないアップグレードを、少なくとも学会前には行うまいと心に固く決めていた。何度もしつこく出現するアップグレード予約のお誘いメッセージに対し、堅く御辞退申し上げると片端からモグラたたきばりにブロックしていた筈だった。
 幸いWindows 10 proへのアップグレード後は、通常使うプリンターを管理設定する必要があった以外、何かが動作しなくなったという類の問題は現在まで生じていない。進行中にひたすら蒼い顔で心配していたのだが、発表予定のスライドファイルも無傷であった。 

振り返れば、否応なく清水の舞台から落とされるが如き、このような仕儀に追い込まれることがなければ、優柔不断な私は何時までもアップグレードの踏ん切りがつかなかっただろう。一つ経験したお蔭ですっかり鼻息が荒くなり、敬愛する華岡青洲先生の御言葉、「内外合一、活物窮理」の文字を刻印したWindows 8.1 proのVAIO Pro11を、今度は積極的にアップグレードするぞという気になったのである。しばらく雑用が続いたのでVAIO Pro の方は先週に行ったが、こちらも恙なく完了することが出来た。勿論今回は、バックアップ、リカバリーディスクの準備を含む準備万端の上で行ったことは言うまでもない。
 ところで今回のWindows 10の何処が目玉なのか、いまだに少しも理解出来ていないのがいささか情けない。時流に乗ればいいというものではないかもしれないが、時流に乗ったら初めて見えて来るものもあるに違いないと自分に言い聞かせている。

スイッチングHUBが壊れた

2016-07-08 | デジタル


今週の水曜日、午前診では支障なく動いていた電子カルテシステムであったが、午後診療に際し受付PCからサーバーPCにリンク不能となった。既に待合室には患者さんが沢山お待ちである。再起動しても院内LAN接続不可の事態は改善しない。こうなればサーバーPCで受付入力して午後診療を行うと試みたが、レーザープリンター、インクジェットプリンターともに動作せず、領収書や院外処方箋が印刷できないことに気付いた。断腸の思いで午後診療中止を決断し、折角来院して下さった患者さんには平謝りで事情を御説明し、日を改めて診療させて頂く旨を申し述べて御詫びをした。

為す術なく茫然としていたが、ふと受付PC横のHUBが全く点灯していないことが目に映り、原因部位が此処だと初めて理解した。何か手立てはないかと棚にしまっておいた問題機器の空箱を開けたら、何時入手したかも覚えていない別社製のひと回り小さなHUBが納まっている。これに駄目元でLANケーブルを順番に繋いでみると、陸の孤島であった受付PCが目出度くネットワークに再認識された。プリンター連中も壊れたHUBにぶら下がっていた為に印刷不可であったことが解り、この後は機嫌よく動き出した。回復しましたので診療を始めさせて頂きますと、駐車場でお帰り支度をなさっていた患者さんをお詫びとともに呼び戻し、既に帰宅された方宅にも診療開始の御連絡を差し上げた。

逆上した頭が冷えてきた頃にゆっくりと考えたら、まずは壊れたHUBを外し、受付PCおよびプリンターの一機を直接に壁のLANポートに接続さえすれば慌てることはなかったのである。仕事柄、緊急時の心構えは多少なりともある筈なのにまだまだ修行不足とみえる。トラブルが発生しなければそれに越したことはない。しかし何も起こらぬ保障は何処にもない。日頃色々な緊急事態を想定して、その際に取るべき行動をお浚いしておくことが肝要と今更ながら反省した。

これまでに公私ともにHDが飛んだことがあり、器械はいつか壊れるものと頭では理解しているつもりである。されど診療業務開始の時点で突然、今回の様なトラブルが起きると、元来肝っ玉が小さいのでひたすら焦る。それにつけても存在をすっかり忘れ去っていた小さなHUBには大いに助けられた。急場をしのいだ翌日にはすみやかに、何時も何かとお世話になっている泉代表が伝送速度が速い新規のHUBを接続して下さり、一件はようやく無事に落着した。小さなHUBは再び空箱の中に帰ったのであるが、この後二度と出番がなくとも安全管理における守り神として、どうぞ新参者のHUBが元気に働いている姿を其処から静かに見守っていて欲しいと思っているのである。


デジタル逍遥ことはじめ

2015-01-06 | デジタル
医者人生でお世話になった初めの頃のPCを、新年にあたり感謝の気持ちを込めて振り返っておきたい。たかが器械やろと言われるかもしれないが、これまでに出合った多くの方々と同じ様に大切な、何時までも心に残るモノ達なのである。口切のHC-20は、エプソンが1982年に世に出したハンドヘルド型PCである。西武百貨店で西武優勝を祝して全品半額セールが開催されていた時、これもまた半額で購入することができた。Basic内蔵、保存と読み出しはマイクロカセットで、様々な統計のプログラムを入力すれば、処理結果がジジジジジの音とともにロール紙に打ち出されてきた。遥か昔に手放したが、今思えば嵩張るものでなし、ささやかなデジ逍遥の幕開け記念に残しておけばよかったと後悔している。

次に触れたのはPC-9801VM、1985年に日本電気が発売した16bitデスクトップである。5インチのフロッピーディスクドライブ内蔵、ドットインパクトプリンターを接続して使っていた。かつてはCRTモニターが主流、現在はEIZOブランドに統一されてその名前はなくなったNANAOの、到底一人では動かせないCRTモニターの前に座れば、さあこれからひと仕事やるという士気の高揚を感じたものだ。ソフトはMS-DOS用ワープロソフトWordstarや表計算ソフトLotus 1-2-3を使っていた。休日ともなれば、大阪日本橋電気街の店舗巡りでパーツを物色するのが楽しみで、周辺機器をせっせと増やしていった。

この頃、奇形腫に関する初めての海外投稿を行ったのだが、舞い戻ってきた論文に添えられたレフェリーの一文は冷ややかに、
”Too much convoluted reasoning and too many illustrations. Reject. ”
関西弁で申せば、「言うてることはぐだぐだと、やたら写真も盛りすぎ。ほな、さいなら。」というところか。再度練り直して別紙に投稿、ようやく掲載されたのが初の英語論文となった。





自作PC第一号

2014-12-27 | デジタル


ともかく一度は自分の手でやってみないと気が済まない難儀な性格もあり、2005年の某日に思い立って第一号の自作PCに挑戦した。丁度季節は今頃で、週刊アスキーの特集記事「冬休みに一日でPCを自作する!!」にお勧めの最新パーツ構成が紹介されていたのを参考に、ツクモの通販であれこれと買い集めたのである。当初購入したケースがマザーをしっかりと固定してくれずに買い換えたのだが、その際に白もいいけれどやはり黒もいいなと、他のことはあまり深くは考えずにケースのボディーカラーを変更した。その結果、最初の色に合わせて注文したマウス、キーボード、光学ドライブのベゼルの白色と、ケース、ディスプレイの黒色が混在する、白黒パンダのPCセットが出来上がってしまった。史実はそうでもなかったらしいが、忠臣蔵のお約束の討ち入り装束を連想させるので、出来上がった第一号につけた名前が「Kuranosuke」である。

その後、長らく不遇をかこった「Kuranosuke」であったが、人の世と同じで、挫けず潰れず続いておれば、いつかは花が咲くのである。診療所のインターネット接続PCに大抜擢された後は、2009年より5年間、レセプトオンライン請求の重責を担うことになった。作成当時は925XE、DDR2搭載の最新スペックマシンの筈であったが、ついに今年、世代交代の時期を迎えた。8月のオンライン請求を最後に、引き継いだ後輩のPCが9月診療分の送信業務を無事終了したことを見届け現役を去った。その新しいPCの導入時にお手を煩わせたクロスポイントの船山さんに処分しますかと尋ねられたが、残して下さいとお願いした。二度と電源を入れることがなくとも、彼もまた戦友なのである。


カラースライド

2014-12-22 | デジタル
Apple社、Macintosh IIvxは、1992年に世に出た初のCD-ROM内蔵デスクトップPCである。その値段たるや、現在の最先端のウルトラブックですら何台も買えるという、大学生協で割引購入しても大層御立派なものであった。それまでの暗い画面にMS-DOSのコマンドを打ち込むのとは違って、カラーの画像が動くということに天地がひっくり返るくらいの驚嘆を覚えたものだ。しかしながら、機嫌よく入力していた時に晴天の霹靂、予告なしに爆弾の画面が出現して、否応もなく再起動と相成るなどは日常茶飯事であった。自動保存機能などある訳がなく、またそういう時に限って長々操作を続けていて保存をさぼっていたりする。当然のことながら、それまでのデータは何処へか雲霧散消となって何度茫然としたことか。その後使用したPower Mac8100、PowerBookやiMacの方がはるかに私に快適なPC環境を与えてくれたのにもかかわらず、手がかかる子は可愛いということもあるのか、申し訳ないことにIIvxに比べて殆ど思い出が残っていない。

その頃に学会発表のスライド作成のために使っていたのが、栄枯盛衰で歴史の彼方に消えた名ソフト、Aldus Persuasionである。ブルースライドしかなかった時代に彗星の如く颯爽と出現したカラースライドは実に画期的で、その頃の学会では、御丁寧に赤やら紫、緑、黄色と一行づつ文字の色を全て変えてある、思わず眼がチカチカする様なプレゼンテーションもあったのが今や懐かしい。その後しばらく学会発表から遠ざかっていた時期があり、程経て再び戻ってきたら、スライド作成に関して全く浦島太郎状態で、乗った亀の如く手も足もでない有様であった。今は多少は時流に追いついたつもりであるが、アニメーションは何時までも苦手である。粋で洗練されたあちこちのプレゼンテーションを拝見するたびにため息が出る。


デジタルカメラ

2014-12-21 | デジタル
後代、いかに優れたものが市場を席巻しようとも、パイオニアの金字塔が揺らぐことはない。デジタルカメラと申せば、これまで各社の歴代のカメラに手を出してきたが、心に残るのは1994年にCASIOが世に出した、撮影画像をその場で確認できる液晶パネルを用いた、世界発のデジタルカメラQV-10である。画像は独自の画像ファイル形式での保存となり、現行のカメラと比べるとおもちゃのようなしょぼい画質であったが、実に画期的な草分け商品だった。その買ったばかりのQV-10を携えて、1995年、始めての海外での国際学会発表のために単身USAに渡った。Fort Lauderdaleでの国際中耳炎シンポジウムで演題を発表した後に、Bethesdaに今は亡きかつての恩師を表敬訪問し、最後にセントラルパークを眼下に見下ろすホテルに滞在し、憧れだったメトロポリタン美術館に行くこともできた。
 空港や駅でそのカメラを構えてあちこち撮りまくっていると、たちまち好奇心むらむらの彼の地のおじさん、お兄さん達がわらわらと集まってきて、「何やねん、それ?!」とばかりに液晶画面を覗き込まれ色々と質問攻めにあった。新しいモノを見つけると血沸き肉踊るというタイプのお仲間は何処の国でも生息しているのだ。実に怪しい英語で応対しながら、それでも話は大いに盛り上がった。

巷の噂を耳にし涎を垂らしながら辿りつき、一目見て触れるやいなや思わず全身の産毛が逆立ってくる、言わば五感に殴り込みをかけられる様な「しびれモノ」に出合いたいという気持ちは、若いころの好奇心や感性がすっかり磨滅したこの齢になっても、心の内におき火の如く燻っている。人生街道も折り返し点を遥かに過ぎてしまったが、てくてくまだ歩かねばならぬこの道の先、その街角を曲がった辺りで、また新手のモノが私の来るのを手ぐすね引いて待っていてくれる気が何時もしている。


デジタル機器

2014-12-20 | デジタル


現在は公称上り下り最大1Gbpsの高速光ファイバー通信であるが、かつてはモデムを用いたダイアルアップ接続にお世話になっていた。パソコン通信が華やかなりし頃である。ニフティサーブ(ニフティ社が1987年から2006年まで運営していたパソコン通信サービス)にモデムを通じて初めて接続を試みた時、何度試みても長らく繋がらなかった。相性が良いという別のモデムを買い直したり、色々とコマンドを工夫して、ひたすら悪戦苦闘。ついに暗い画面に応答の文字が帰ってきた時は、心底天に昇る心地がした。

2年前にスマホに変えたのを機に自宅を無線化した時、世の中がはるかに進んでいることを実感した。懇切丁寧なマニュアル通りに親機への接続を試みたら、何の苦労もなくスマホのみならず、PC、プリンターともに全て接続完了と相成った。介在するデジタル機器のことなど何も知っていなくとも、自分がしたいことや知りたいことを可能にしてくれる、ストレスとは無縁の至極便利な時代になった。かつてのあの苦労は一体、何程の意味があったのか。

ブラックボックスのデジタル機器を前に、その快適さにすっかり安住しながら、頼むからトラブらないでねと何時も祈らずにはいられない。理系のはしくれとして、公私ともに関わる器械については決して丸投げはせずに、多少なりとも仕組みを理解しようと取り組んできたつもりであるが、所詮その程度の知識など知れている。特に日々の医療業務の遂行に際しては、お遊びの試行錯誤や遅滞は決して許されず、素人の出る幕など何処にもないのである。医院で使用するPCや院内ネットワークのトラブル等々、その道のプロフェッショナル、クロスポイント、泉代表にレスキューして助けて戴いたことはこれまでに数知れずである。昨日も受付PCの不調で来て下さり、ネットワーク高速化のボトルネックやLANケーブルの結線についても教えて頂いた。深謝。