花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

芙蓉は寒に耐えず│「平家物語」中将清経の事

2022-03-27 | アート・文化

舵楼の月 平清経 / 月岡芳年「月百姿」
50 The moon and the helm of a boat --- Taira no Kiyotune / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001

小松殿の三男左の中将清経は、もとより何事も思ひいれたる人なれば、「都をば源氏がためにせめおとされ、鎮西をば維義がために追ひだされる。網にかかれる魚のごとし。いづくへゆかばのがれるべきかは。ながらへはつべき身にもあらず」とて、月の夜心をすまし、船の屋形にたちいでて、横笛ねとり朗詠してあそばれけるが、閑に経よみ念仏して、海にぞ沈み給ひける。男女泣きかなしめども甲斐ぞなき。
(巻第八 大宰府落│「平家物語②」, p119-120)

清経「かつては父上に仕えておられた方まで、我等平家を討つと。」
資盛「それが世の中というものだろう。
   強いほうにつかねば自分が痛い思いをする。」
清経「だとすれば、誠実さや実直さや恩義というものは、
   意味をなさぬではありませぬか。」
資盛「我等平家にそれがあったと。」
(絶賛放映中のTVアニメ「平家物語」第九話より)

平重盛の恩顧を被った人々との関係は畢竟一代限り、当人が泉下の人となれば債権消滅である。源氏がため維義がためと落魄の道行を慨嘆する前に、問うべきは次代のおのれ等がいかに新たな双務契約を結び得たかであろう。先代の恩義に報いて、その後も一門に変わらぬ厚情をみせる輩は限られる。たかり尽くし貪る旨味が失われたなら、口を拭い離れ去るのが当の然で、それが現代においても塵俗の習いである。さりながら、いかに取り繕うとも御身大事の陋劣な振舞という事実に変わりはない。高潔無比、清廉潔白、歳寒松柏の人品との相違は明白である。

應に憐れむべし。未必長如此、芙蓉不耐寒(いまだ必ずしも長(とこし)えに此(かく)の如くならず、芙蓉は寒に耐えず)は寒山詩の一節である。

参考資料:
市古貞次校注・訳:日本古典文学全集「平家物語②」,小学館, 2015



謹んで考えた事

2022-03-26 | 日記・エッセイ
女帝を巡る討議は町医者風情の想像が到底及ぶところでないが、老婆心ながら懸念申し上げるのが御相手となる配偶者候補である。組織構造の頂点に位する最重要構成要員である天照大神の様な御方を、気高い淑女に仕える騎士(ナイト)の如く、威厳と矜持をもって御支えする責務を全うせねばならない。その様な殿方でなければ公私に渡り多大な御苦労をお抱えになるのは必定である。

ところで、かつて某保険会社の《働く男女のお財布事情とホンネに関する調査2017》調査結果で、「妻より収入が少ないのはいやだと思う」が男性の50%を占めていた。ちなみに「夫より収入が多いのはいやだと思う」は女性の30%であった。夫婦間の収入差などを遥かに超えた絶対的格差に対し、もしルサンチマンで腐り果てる殿方や、逆に承認欲求からマウントに突っ走る殿方であれば、先の配偶者候補としては全く不適である。もっとも御相手として挙がる殿方は一般的な男性諸兄とは器量も気構も異なるのだろうが。


三月 ひなまつり│芹沢銈介:「装幀図案集 第一集/表紙十二ヶ月」,吾八, 1971 



兵とは詭道なり│鎌倉殿の13人・第11回「許されざる嘘」

2022-03-22 | アート・文化
NHK大河ドラマ《鎌倉殿の13人》、第11回<許されざる嘘>で、源義円(演者は成河、敬称略)が頼朝に戦略を問われ『孫子』計篇の「五事」を述べる件があった。弓の名手で和歌にも通じ頼朝の覚えがめでたい義円を追い払うべく、同母弟の義経は源行家に恩義を感じる義円を唆し、秘かに鎌倉から出立させる。しかし託された頼朝宛の書状を破り捨てる一部始終を因縁の梶原景時に見られ、義円が無断で出立したという義経の嘘はあえなく露見する。その結果、恩顧を独り占めできた筈の頼朝からは謹慎を命じられる。
 『孫子』計篇にはこれに続き、「兵者詭道也」(戦争とは敵を欺き意表をつくことをならいとする)との記述がある。この言葉が自家薬籠中の物になるには若すぎたのか、ひたすら真摯に義経との血縁の絆を信じたのか。その後、行家軍は墨俣川の戦いで平家に敗れ、義円は戦場の露と消えた。一方、計画通りに眼前の“敵”を退けた義経は、不用意にもその場に証拠となる断簡を残す。彼もまた一つの事に一途であるが故の脇の甘さを免れない。

同じ船に乗り合わせた味方であっても敵になる意の格言、「舟中敵国」は、『史記』、孫子呉起列伝の「由此観之,在徳不在険。若君不修徳,舟中之人尽為敵国也。」(この様に見ますと(国の守りの)全ては徳であり険阻ではありません。もしわが君が徳をお修めにならねば、この船に乗っているものが残らず敵国となりましょう。)が出典である。道や地勢が険しく山河の固めが勝るとも、君主に徳がなければ離反や敵対を招き国は敗れ滅びる。『史記』に従えば、内部抗争を招いたのは兄者で彼等の統率者であった鎌倉殿の不徳のなせる業である。

孫子曰、兵者國之大事。死生之地、存亡之道、不可不察也。故經之以五事、校之以計、而索其情。一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。
孫子曰わく、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれを経るに五事を以てして、これを校ぶるに計を以てして、其の情を索む。一に曰わく道、二に曰わく天、三さんに曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法なり。(第一・計篇│「孫子」, p7-9)

孫子はいう、戦争は国家の重大事である。国民の生死がきまり、国家の存亡の分かれ道であるから、慎重に熟慮して当たらねばならない。そこで五事(道、天、地、将、法)の事項について熟慮し、七計(主、将、天地、法令、兵衆、士卒、賞罰)において敵味方の力量を比較検討し、双方の実情を把握するのである。
*道:君主と人民が一心同体となる政治。
*天:陰陽、気温や季節など自然界の動向。
*地:戦場までの距離、地形の起伏や広さ、活動しやすいか否かなどの地勢。
*将:才知、信義、仁慈、勇気や威厳など将軍の器量。
*法:軍編成、官職や指揮権などに関する法令。

参考資料:
町田三郎訳:「孫子」, 中央公論社, 1974
小川環樹, 今鷹真, 福島吉彦訳:「史記列伝(一)」, 岩波書店, 2015








お疲れ気味の御方へ・第四弾│生涯蕭灑

2022-03-19 | アート・文化


孟夏芒種節 杖錫独往還 野老忽見我 率我共成歓
蘆蕟聊爲蓆 桐葉以充盤 野酌数行後 陶然枕畔眠

  孟夏 芒種の節 錫を杖ついて独り往還す
  野老忽ち我れを見て 我れを率いて共に歓を成す
  蘆蕟(ろはい) 聊か蓆となし 桐葉 以て盤(さら)に充つ
  野酌 数行の後 陶然として畔を枕にして眠る
(入谷義高校注:東洋文庫「良寛詩集」, p376-377, 平凡社, 2006)

初夏の芒種の頃やったかいな 
錫杖ついて独りで托鉢行脚しとったら
たちまち村の爺様につかまった。
-----そこで何してはりますのや。こっちでやりまへんか。
蘆のござと桐葉の皿で 一杯一杯復一杯
すっかり出来上がり 畔を枕に寝てしもた。(拙訳)

光陰│花便り

2022-03-16 | アート・文化


   草庵雑詠
徒(いたづら)に過す月日はおほけれと道をもとむる時そすくなき
     傘松道詠   道元禅師

(大久保保道舟訳注:「道元禅師語録」, p134 岩波書店, 1987)


お疲れ気味の御方へ・第三弾│渉念無念

2022-03-13 | アート・文化


かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習いのたけを出さんと一筋におもふも病、かゝらんとおもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとゞまりたるを病とする也。此様々の病、皆心にあるなれば、此等の病をさって心を調ふる事也。
(柳生宗矩著, 渡辺一郎校注:「兵法家伝書: 付 新陰流兵法目録事」, p51, 岩波書店, 1985)

敵に勝つべしと一途に思うのも、表裏の兵法を仕掛けんと思うのも、習稽古での成果を全て発揮せんと思うのも“病”である。攻撃あるいは防御一方を心に掛け「懸待一如」を失念するのも“病”である。さりとて“病”を捨て去ろうと考えることも“病”である。何事もそれ一筋に拘泥することを“病”とするのである。これらの“病”はすべて心にあり、心を調えて放下することが要である。(拙訳)

桜花・其二│花便り

2022-03-12 | アート・文化


惜しめども 思ひげもなく あだに散る 花は心ぞ かしこかりける
     山家集・上 春   西行

後藤重郎校注:新潮日本古典集成「山家集」, p41, 新潮社, 2015

桜花・其一│花便り

2022-03-10 | アート・文化


花ざかり 梢をさそふ 風なくて のどかに散らす 春にあはばや
     山家集・上 春   西行

後藤重郎校注:新潮日本古典集成「山家集」, p44, 新潮社, 2015


源義経と梶原景時が生きた時代│鎌倉殿の13人・第8回「いざ、鎌倉」

2022-03-05 | アート・文化
NHK大河ドラマ《鎌倉殿の13人》(脚本は三谷幸喜、敬称略、以下同文)、先週放映の第8回<いざ、鎌倉>で、源義経(演者は菅田将暉)は野兎の帰属を行きずりの野武士と争う。遠矢を競うと合意させ、同時に矢を放つと見せかけ相手が射た直後、その男に向かって矢を放つ。別の場面では、里芋の鍋を取り巻き箸でつかめぬと騒ぐ従者達を尻目に、瞬時に箸を芋に突き立て旨いと食す。見るものを完璧に圧倒し鼻白む隙を与えない、清々しいほどの”おごりの春”、“時分の花”の若武者像である。気に臨み変に応じた当機立断、意味なきもの一切を截断し顧みず、おぼつかない遅疑逡巡は微塵もない。“いくさは平攻め”(ひたすら攻め立てること)と逆櫓で争い、那須与一に黒革威の男を射倒させた、『平家物語』に描かれた後の義経像に重なる演出である。

一方、後世に判官贔屓される義経に対する讒言などの敵役を担わされた梶原景時(中村獅童)だが、坂東武者集団の中では異色で、「文筆に携はらずといへども、言語を巧みにするの士なり。專ら賢慮に相叶ふと云々。」と『吾妻鏡』に記録がある文武両道の武人官僚である。<いざ、鎌倉>では戦いの最中に盆景を丹精する一場面があり、大庭景親(國村隼)を見限ったことを傍らの北条義時(小栗旬)に告げて小枝を切り落としながら、“粗暴な”男は苦手でなと言い放つ。盆景は器の中に秩序ある小宇宙を構成する造形である。

何を是とし非とするかが相異なる二人の武人は、奇しくも「狡兎死して走狗烹らる」の同じ運命を辿る。獅子身中の虫と組織にみなされたか、時代の潮流が粛々と要無きものと引導を渡したか。ともに弊履のごとき使い捨てられ感は半端ない。
 最後に記すのは『実朝考』からの心に残った一節である。現代の価値基準、道徳倫理で「譎而不正」、「正而不譎」の裁定を下せば、確実に過去の歴史を見誤るに違いない。

「つまりこれは後世の朱子学ふうの観念的君臣関係ではなくて、歴史の桎梏を脱したばかりの気迫にみちた自由人どうしの、反逆の可能性をいつもはなさない主従関係なのである。もしそれがかれらの代表としてふさわしくないのであれば、かれらは頼朝でさえ殺したであろう。」
(「実朝考---ホモ・レリギオーズスの文学」, p26)

参考資料:
貴志正造訳注:「全譯吾妻鏡」第一巻, 新人物往来社, 1976
市古貞次校注:新編日本古典文学全集「平家物語②」,小学館, 1994
中野孝次著:「実朝考---ホモ・レリギオーズスの文学」, 講談社, 2000