花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

白及(びゃっきゅう)

2015-04-29 | 漢方の世界


紫蘭(シラン)が今年も露地の片隅で紅紫色の花を咲かせ始めた。花色が白い白花紫蘭(シロバナシラン)も同時期に咲く。紫蘭はラン科の多年草で、塊茎から得られる生薬が「白及(びゃっきゅう)」である。収斂止血薬に分類され、薬性は苦、甘、渋、寒で、肺・胃・肝経に属する。効能は収斂止血、消腫生肌で、肺胃の熱を冷まし経絡を引き締めて、喀血、吐血、鼻出血などの止血に用いるとともに、皮膚化膿症の消炎・排膿をはかり皮膚を修復する作用を有する。白及が配伍されている方剤には、白及散、内消散などがある。改めて帰経であるが、各々の生薬には主要な働きを発揮する臓器や経絡が決まっている。生薬によっては白及の様に複数の経に属していて、その薬が用いられる治療範囲が広いことを示している。

君知るや 薬草園に 紫蘭あり    高浜虚子


振り返る暇はなし

2015-04-23 | 日記・エッセイ


五鉢の睡蓮鉢にめだかを飼っている。水底で長らく蟄居していたが、ようやく3月末頃より水面に姿を現した。昨年の夏は喧嘩で飛び出たのか、その内の一匹が地面で半死半生になっていた。気付いて慌てて戻したのであるが、大変な事態が起こったことはすっかり忘れた如く、一日たてばまた元通り仲間と連れ立って元気に泳いでいた。話は飛ぶが、一発奮起して家の壁を飾るべく12本の朝顔を並べて植えた年があった。網を張って這わせたらどんどんと伸びて、毎朝色とりどりの花が一面に咲いた。日差しが強い真昼はくたくたと萎れている緑の葉は、夕方に散水すれば見る見るうちに生気を取り戻してゆく。今年はゴーヤを育てる予定で苗を植え付けたばかりである。

干物になりそうになったことがなんだ。枯れかかったことがどうした。そんなものは何時までも覚えていられるかい。今をつなぐのに忙しいのじゃ。動物であろうが植物であろうが、ことあるごとにその様に、物言わぬ彼等に叱りとばされている気がする。

穀雨の養生

2015-04-20 | 二十四節気の養生


穀雨(4月20日)は、二十四節気の第六番目、春季の最後の節気である。天候は温和となり、降雨量も増えてきて、雨生百谷、雨は百穀を生ずと称される通り、春の種蒔きや穀物の成長にふさわしい季節となる。春が深まり気温が上昇するにつれて、皮膚では血管や毛穴が広がって血流が増加し、脳に送られる血流は減少して、表裏の気血の不均衡が生じてくる。その結果、昼間も眠気を感じる、疲れやすい、集中力が落ちるなどの春困症候群と呼ばれる症状があらわれる。これはこの季節がもたらす一種の生理的現象であり、昼間の適度な運動と十分な睡眠が必要である。また春は陽気が昇りやすい季節であり、体内に内熱が蓄積して陰液を消耗し易い。春は一般に風が多く雨が少ない季節であり、体の水分が不感蒸泄を通して失われて、啓蟄で述べた様に体内で火が昇って様々な熱証を生み出しやすくなる時期でもある。体内の乾燥を伴う熱を冷ますためには、冷水ではなく温水を常に飲むように心がける必要がある。穀雨花と称される牡丹の花は、一輪また一輪と当家の庭に咲き始めている。冒頭は満開の鳳丹皮の薬用牡丹である。

あをやぎの枝にかゝれる春雨は絲もてぬけるたまかとぞみる   伊勢 和漢朗詠集、雨

蓼冷汁天目

2015-04-19 | アート・文化


大阪市立東洋美術館で開催中の「黄金時代の茶道具―17世紀の唐物」に昨日伺った。開催期日は平成27年4月4日(土)から6月28日(日)迄である。本年の友の会会員証の意匠に選ばれた東洋陶磁美術館所蔵の国宝「油滴天目」や、その他の数多くの名品とともに、日本医学中興の祖、曲直瀬道三先生所有の緑色の釉薬の天目茶碗、「蓼冷汁天目」(京都国立博物館蔵)が展示されていた。曲直瀬道三先生は、織田信長の診察を行なって信長が切り取った正倉院所蔵の名香、蘭奢待(らんじゃたい)を下賜された、桃山時代の医聖でかつ一流の文化人である。末尾にこの蘭奢待が記された『山上宗二記』の一節を掲げる。眼福にあずかった後は、今月も三谷和男先生御主催の遊漢方臨床談話会に出席した。

ちなみに蓼であるが、生薬名「水蓼(すいりょう)」、ヤナギタデ(ホンタデ、マタデ)Polygonum hydropiper L.が基原植物で、薬性は辛、苦、平、帰経は脾・胃・大腸経に属する。効能は行滞化湿、散瘀止血、祛風止痒、解毒であり、湿を取り除き血を巡らせて下痢、腹痛、関節痛、月経痛などを治し、湿疹や毒邪咬傷にも有効とされている。



此外五十種ノ香トテ異名色々あり木
所も色々の品あり但し武辺
隆正に宗易宗久拙子名香
の聞様相尋之時右之十六種
相極候堺にハ惣別香の道
三人の外ハ知たる者なし京にも
此四人なり
(中略)
医師道三 香ニテハなく候先寺以来
     ランシャタイ持来られ候
     真に無双の正名なり


五島美術館監修図版目録『山上宗二記 天正十四年の眼』, p170
第四章、影印翻刻『山上宗二記』(齋田記念館本)


牡丹皮(ぼたんぴ)

2015-04-16 | 漢方の世界


自宅の庭の牡丹が庭一面に芳香を放つ季節も近い。桜井市初瀬の名刹、長谷寺の門前で一鉢ずつ苗を買い求めては路地植で大切に育ててきた牡丹達で、毎年の開花を楽しみにしている。本年は新人ならぬ新牡丹の花が仲間入りした。冒頭写真の二年前に栃本天海堂からお分け頂いた中国安徽省産の薬用牡丹が、初めて薄紅色の花蕾をつけたのである。二十四節気の穀雨が近づいているが、牡丹はこの時節に花期を迎えるために、別名、穀雨花(谷雨花)と呼ばれている。

牡丹はボタン科の落葉性低木、その根皮から得られる生薬が「牡丹皮」である。先の安徽省銅陵の鳳凰山に産する「鳳丹皮」は最も品質が良いとされる。「牡丹皮」は清熱剤に分類される薬で、薬性は苦、鹹、微寒で、心・肝・腎経に属し、効能は清熱涼血、活血化瘀(血にこもった熱を冷まし、熱で煮詰まり滞った瘀血を取り除く)であり、熱性の瘀血証に多用される。配伍されている代表的な漢方方剤には、桂枝茯苓丸、加味逍遙散、温経湯、大黄牡丹皮湯などがある。

吉川英治著『宮本武蔵』には、吉野太夫が牡丹の枝を焚べてもてなすくだりがある。以下はその折の太夫の言葉である。

これを短く切って炉に焚べてみると、炎はやわらかいし眼には美しいし、また瞼にしみる煙もなく、薫々とよい香りさえする。さすがに花の王者といわれるだけあって薪にされても、ただの雑木とは、この通り違うところを見ると、質の真価というものは、植物でも人間でも争えないもので、生きている間の花は咲かせても、死してから後まで、この牡丹の薪ぐらいな真価を持っている人間がどれほどありましょうか?
(『宮本武蔵』(四)、風の巻「牡丹を焚く」、吉川英治歴史時代文庫17)

吉岡伝七郎を倒した後の武蔵を、吉野太夫はひとり留め置く。部屋に立籠める牡丹の香の中で、稀代の武人と佳人が対峙する。大夫は琵琶を断ち割り、「横木の弛(ゆる)みと緊(し)まりとが、程よく加減されてある」のを見せて、「ああ、これは危ういお人、張り緊まっているだけで、弛るみといっては、微塵もない」と、修羅の風体の武蔵を案じるのである。

牡丹花は咲き定まりて静かなり 花の占めたる位置のたしかさ   木下利玄


野生は乱調にあり

2015-04-15 | 日記・エッセイ


またもや飼い犬まるである。4月15日、お蔭様で無事に7歳の誕生日を迎えることができた。人間であれば44歳で男盛りである。昨年の事であるが、散歩の途中で道の脇の草むらを鼻でごそごそやっていたかと思うと、鳥のから揚げがささった串を咥えていたことがあった。駄目と厳命しても、頑として口に咥えたまま離さない。とりあえず家族にリードを預けたまま、大好きなジャーキーを急いで家に取りに帰った。それで気を引いて口を開けさせようという算段である。ところがジャーキーを見せても何のその、咥えたままでこちらを睨んでいる。誤魔化して俺から取り上げる腹かという抗議である。

元々、外で遊んだ後に家の中の寝床に入りたいと思った時も、閉まっている勝手口のドアの外で誰かが気づいてくれるまでじっと待っているという、今の世には珍しく、自己主張というものをしない犬である。食にも淡白で、食べている最中に食器に手をいれてかき回そうが全く平気である。普段は口に咥えたジャーキーを取り上げても何ら抵抗なく、どうかしましたか、また僕に戻してくれますかと言わんばかりに、座り直してこちらの顔を伺っている。受け身で与えられたものよりも、自らの才覚でゲットしたものの方がはるかに大事なのだろう。柴犬は昔は猟犬であったと聞いたが、日本の野山を駆け巡った先祖の血が騒ぐのであろうか。しかし猟場で主人の命令を無視して、獲物を僕のものだと咥えて離さないというのであれば、少なくとも猟犬としての適性は乏しいと見た。

道端でしばらく睨み合っていたのだが、結局、咥えたままリードを引いて家に連れて帰るはめになった。さてどうしたものかと思案していると、うまい具合にぽろりと落っことしてくれた。すかさずこの機を逃さずリードを引いて引き離し、落ちたから揚げを無事に回収した。何処へ行っちゃったのかと、彼はしばらくうろうろと地面を嗅ぎ回っている。改めてジャーキーを差し出すと、今度は喜んで食べだした。その後は憑き物が落ちた様に、すっかり落ち着いて元の穏やかなまるに戻った。何時までもぐじぐじと後を引かないところも、お互い性が合っている主従なのである。

花鎮祭と薬

2015-04-14 | 漢方の世界


「花鎮祭」は、桜の花が散る春の陽気が高まる頃に疫病の気が流行すると考えて各地でとり行われる祭りである。大神神社、摂社の狭井神社では、忍冬(ニンドウ、スイカズラ)と百合根を供えて、疫病退散、無病息災を祈願する大宝律令制定以来の歴史を有する祭祀が行われる。なお日本最古の医薬事典『大同類聚方』の巻之十四、依也美(エヤミ)の段には、依也美(疫病)に対する処方の一つである「花鎮薬」が記載されている。末尾に提示したのは、古典医学研究家、槇佐知子先生が全訳精解された『大同類聚方』における、桜花と桃樹皮を用いた「花鎮薬」の一節である。

『大同類聚方』は、漢方流入により日本固有の医方が存亡の危機にあることを憂えて発願され、808年、平城天皇の治世に編纂された医書である。日本各地の豪族、神社に伝わる薬方が集録され、依也美の段では「花鎮薬」を含む総数32種の処方が記されている。大和国添上郡奈麻呂が朝廷に上奏した「依也美薬」では、「依也美ハ又度支之介(トキノケ;時の気)共云フ。」という一文を見ることができる。依也美は時の気、すなわち現在の季節病、時病である。
冒頭の写真は忍冬、下は笹百合である。



「花鎮祭」に供えられる二種の植物のうち、忍冬の花蕾から得られる生薬は清熱薬に分類される「金銀花(きんぎんか)」である。咲初めの白い花弁は徐々に黄色に変わってゆき、白と黄の花が混在することから金と銀の花に譬えてこの名の由来となった。肺、胃に帰経し、効能は清熱解毒、凉血止痢、疏風風熱であり、外表部の風熱を散じ、また裏熱を冷まし、下痢を止める作用がある。茎葉は「忍冬藤(にんどうとう)」の生薬となり、作用は「金銀花」と同じである。百合根は生薬の「百合(びゃくごう)」であり、陰津を滋養して体内を潤す補陰薬に属する。心、肺に帰経し、効能は潤肺止咳、精神安神、肺を滋陰であり、肺気を降ろし肺熱を冷まして咳を止め、心を潤して熱を冷まし心神を安定させる働きを持つ。
下の組写真で左は「金銀花」、右は「百合」の刻み生薬である。



これらが配合された方剤を例にあげると、「金銀花」は『銀翹散』、これは風熱の邪気侵入による風熱表証、すなわち風邪初期や花粉症に伴う眼の症状などに用いる辛涼解表剤である。「百合」は『辛夷清肺湯』、こちらは鼻・副鼻腔炎から気管支炎まで肺経に熱邪がこもった病態に用いる清熱剤である。風が主気である春季に風熱の邪を感受して発病する風温では、邪熱や余熱による陰液の消耗にも留意しておかねばならず、清熱生津の作用を持つ薬用植物をあわせて花鎮祭に捧げていることが興味深い。

花鎮薬 大倭国城上郡大神大物主神社ニ所伝ノ方也。恵耶尾初終軽支重紀乎以波受用井弖験安流須利之方
鎖玖羅乃半那一戔 母々乃伽波三分

【解読】花鎮薬 大倭国城上郡大神大物主神社ニ所伝ノ方也。エヤミ初、終、軽キヲイハズ用ヒテ験アルクスリノ方。
サクラノハナ一箋 モモノカハ三分
【訳】花鎮薬 大倭国城上郡の大神大物主神社に伝わっている処方である。エヤミのかかり始めと治りぎわ、軽症、重症を問わず用いて効きめのある薬の処方。
桜花一箋 桃樹皮三分。
(『大同類聚方』 槇佐知子全訳精解、第三巻、処方部一, p15-16, 新泉社)





清明の養生

2015-04-05 | 二十四節気の養生


晴明(4月5日)は、二十四節気の第五番目の節気である。天気晴朗、空は晴れ渡り、生きとし生けるものが勢いよく伸び栄える季節となる。冬季に黄色く枯れた草もふたたび瑞々しい緑に変わり、これらの春の野山の青草を踏んで、晴明の頃に郊外に遊びにでかけることを踏青と呼ぶ。万物が新しく変わるこの時期、昼の時間がますます長く、夜がさらに短くなり、自然界は陽気が豊かである一方、陰気が弱くなってゆく。肝を養って陰を補うために、徹夜は勿論のこと夜更かしを避ける早寝早起の励行がより一層必要となる時期である。また寒の戻りで暖かになったと思うと再び寒さがぶり返すことがあり、なおしばらくは用心が必要である。「六気」と呼ばれる「風」、「寒」、「暑」、「湿」、「燥」、「火」は、本来は自然界の四季の気候変化である。この気候変化が例年よりも異常な変動を来たす場合や、通常であっても人体の抵抗力が減弱しているところに影響すると、病気を発症して「六因」あるいは「六邪」と呼ばれる病因となる。春の季節を代表する気は「風」であり、風邪(ふうじゃ)が起こす病気は他の季節にもみられるが特に春に多く、上半身など陽位を侵襲し、吹く風のように揺れ動いて病変が変化しやすく病巣が定まらず、寒、湿、燥、熱などの他邪と組んで人体に侵入することが多い。花粉症は代表的な風邪による病気であり、その他ウイルス、細菌、微小粒子状物質PM(Particulate Matter)2.5などの環境汚染物質も風邪となる。風邪が寒や熱などの他邪と結びつくと風寒や風熱の邪となり、さらに身体の中の余分な水分や冷えあるいは熱と呼応して、水様性の鼻水や身体の冷え、頑固な鼻づまり、あるいは鼻や頭が熱っぽく重い、眼が充血、顔面のかゆみなど、発現する症状の違いとして現れてくる。

あくがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき   西行 山家集