花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

花咲爺│日本花図会

2021-03-27 | アート・文化

花咲の翁 昔話│尾形月耕「日本花圖會」明治三十年

絵本の歴史に輝かしい足跡を残した「講談社の絵本」シリーズは、多くの名だたる画家・絵師が挿画を担当なさっている。親に与えられた往時のゴールド版は縁あって全てを寄贈し、長じて自ら復刻版を改めて購入した。まだ一字も知らなかった頃、精緻を極めた美しい挿絵は物語の筋書をはるかに超えた世界に誘ってくれた。ともすれば、我等大人は絵に前にして借物の言葉や知識に頼った挙句、それで全てが解ったつもりになっている。


鮱崎秀朋画:新・講談社の絵本6「花咲爺」, 講談社, 2001


昔ながらの山桜│日本花図会

2021-03-25 | アート・文化

行暮てこの下可げを宿とせば花や今宵能あるじ成らまし 忠度│尾形月耕「日本花圖繪」明治三十年

よい大将軍うつたりとは思ひけれども、名をば誰とも知らざりけるに、箙にむすび付けられたる文をといてみれば、「旅宿花」といふ題にて、一首の歌をぞよまれたる。
 ゆきくれて木のしたかげをやどとせば花やこよひの主ならまし 忠度
とかかれたりけるにこそ、薩摩守とは知りてんげれ。
(巻第九 忠度最期│市古貞次校注・訳:日本古典文学全集「平家物語 二」, 小学館, 2015)

   故郷花といへる心をよみ侍りける
さざ浪や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな
     千載和歌集・巻第一 春歌上   よみ人しらず

ハリウッド映画「ラスト・サムライ」で身を挺し忠誠を尽くす寡黙な侍を演じ、<5万回斬られた男>の呼び名で誰もが知る御方が、本年初頭に惜しまれながら帰らぬ人となられた。NHKの新感覚時代劇「スローな武士にしてくれ~京都 撮影所ラプソディー」にも斬られ役の御姿があった。「太秦ライムライト」は初主演映画で、2014年封切りの折、京都市内の映画館で上映挨拶を拝する機会を得た。時代劇が減少する潮流の中、太秦の撮影所を舞台に斬られ役一筋を貫いてきた熟練の大部屋俳優が主人公で、時代劇の心を次世代に伝えるべく、若き新人女優に殺陣を指導して花と散りゆく。万朶の桜の下、愛弟子の一刀に討たれ斃れた老剣豪にしず心なく花びらが舞い落ちる。その最期のラストシーンには涙をとどめえない。尊敬の念を深く抱き続ける家族の一人は、以前から福本清三さんではなく福本清三先生とお呼びする。




この頃の奈良の鹿

2021-03-21 | 日記・エッセイ


COVID-19感染対策で各地に緊急事態制限が出され、不要不急の外出自粛が呼びかけられる中、先週火急ではないが必要があり奈良市内に出た。道中、久しぶりに奈良公園内で鹿せんべいを買い求めたら、一束を手にするやいなや、三々五々散らばっていた鹿達が四方から猛然と押し寄せて来た。春めいたその日、昨年はついぞ袖を通せなかった薄手コートの出で立ちである。ところが、そちらの都合など知るか、早くよこせとばかりに迫りくる鹿の鼻息やら涎で見るも無残な状態になった。

そしてひと回り小柄な歳若い鹿に煎餅をやろうと試みても、幾星霜経たのか筋金入りのおじさん鹿が我が物顔で横から奪い取る。以前は煎餅を持っている人を見かけたら、少し手前で煎餅を下さいという風に何度もお辞儀をして見せた奈良の鹿である。もちろん出し惜しみをすると、腹を立てた鹿に頭突きを食らうということは前からあったものの、さらに短気で待て暫しがない鹿が増えた感がある。

公園周辺に生息する鹿は基本、野性動物であり、主食は芝で鹿せんべいはいわばおやつである。今回単に空腹の時間帯であったのか。はたまた一昨年までの観光客からの多量の煎餅が鹿の常食になったのか。あるいは鹿までもが昨今の我勝ちの世知辛い風潮に染まったのか。何もかつての様に鹿に頭を下げてほしい訳ではない。ただ双方ともに心に余裕があった日々が懐かしいだけである。

古の花│日本花図会

2021-03-19 | アート・文化

い爾しへ能ならの都乃八重桜介ふ九重尓匂ひぬる哉 伊勢大輔│「日本花圖繪」明治廿八年

   一条院御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍りけるを、
   そのをり御前に侍りければ、その花をたまひて、歌よめと
   仰せられければよめる
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
     師華和歌集・巻第一 春  伊勢大輔





醍醐の花│日本花図会

2021-03-17 | アート・文化

醍醐の花 豊臣秀吉│尾形月耕「日本花圖會」明治廿九年

《醍醐の花見》に描かれたのは秀吉と豊臣家の女性群像で、「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢」の辞世のままに歴史の彼方に去りゆく姿である。花咲かぬ草木の萎れたらん、何か面白かるべき。万朶の桜を究めずして散りゆく桜の風体は生まれない。

-------という信じられぬほどのみじかい時間のあいだに、忽然と地上にあらわれた。貴族になるためのどういう準備もできていないうちに、この一族はあわただしく貴族にならねばならなかった。
 これが、さまざまのひずみを生んだ。その血族、姻族、そして養子たちは、このにわかな境涯の変化のなかで、愚鈍な者は愚鈍なりに利口な者は利口なりに安息がなく、平静ではいられず、灸られる者のようにつねに狂燥し、ときには圧しつぶされた。
 が、例外がいる。

(第八話 八条宮│司馬遼太郎著:「豊臣家の人々」, p187, 中央公論社, 1981)

『豊臣家の人々』で、第一話・殺生関白から第九話・淀殿・その子(秀頼ではなく単に”その子”である)まで、本書で豊臣秀吉を巡る人々に注がれるのは仮借ない冷徹な眼である。その中で唯一筆調が異なるのが、一時豊臣家猶子におわした八条宮智仁親王を語る第八篇である。決定的な毛並みの違いを除いても他とは異なり、表題人物の心底に共感を寄せた篇に仕上げられている。清明な王朝文化を担う宮廷人の頂点に生を受け、人を貶めたことも貶められたこともない、天真爛漫で資性豊かな八条宮と、新興が台頭する安土桃山時代、天下人として世俗の絶対権力を掌握した百戦錬磨の武臣、海千山千の秀吉。血筋も年齢もかけ離れた主従間に結ばれたのは至純の稀有な絆ではなかったか。 

賤が苫家に千金の馬をつないだ風景こそ、侘びであり茶の心であると細川幽斎に説かれた少年の八条宮は、「千金の馬とは、大阪城のことか」と仰せになり、豪壮華麗な大阪城の一角に二条畳の茶室をおいた秀吉の心の傾斜をかすかながらも諒解できたようにお思いになる。そして時は流れ徳川の時代となり、秀吉は詩人であったと八条宮は往時を回顧なさる。夏の月がのぼる夜、“瓜畑のかろき茶屋”に秀吉を生かしめて招きたいと想いをお馳せになるのであった。 




花の吉野山│日本花図会

2021-03-14 | アート・文化

是盤これはと者可り花乃よし能山│尾形月耕「日本花圖會」明治30年

 春雨の木下につたふ清水かな
吉野の花に三日とどまりて、曙・黄昏の景色にむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、或は摂政公の眺めにうばはれ、西行の枝折にまよひ、かの貞室が「これはこれは」と打ちなぐりたるに、われ言はん言葉もなくて、いたづらに口を閉じたる、いと口をし。思ひ立ちたる風流いかめしくはべれども、ここに至りて無興の事なり。
(「笈の小文」苔清水│『芭蕉文集』, p81)

 これはこれはとばかり花の吉野山              阿羅野・安原貞室
 これはこれはとばかりちるも桜かな         五元集拾遺・宝井其角
 吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬ方の花を尋ねん
                  新古今和歌集・巻第一 春歌・西行法師
 とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな   西行法師
              
西上人の草の庵の跡は奥の院より右の方、二町ばかり分け入るほど、柴人の通ふ道のみわづかにありて、険しき谷を隔てたる、いと尊し。かのとくとくの清水は昔に変らずと見えて、今もとくとくと雫落しける。
 露とくとく試みに浮世すすがばや
   もしこれ扶桑に伯夷あらば、必ず口をすすがん。もしこれ許由に告げば、耳を洗はむ
(「野ざらし紀行」│『芭蕉文集』, p32-33)

*許由:中国三王五帝時代の隠者。;尭、天下を以て許由に譲る。許由受けず。(『荘子』譲王篇・第二十八, 逍遥遊篇・第一)
*伯夷・叔斉:中国殷末周初の兄弟王子。;武王已に殷の乱を平らげ天下周を宗とするも、伯夷、叔斉之を恥じ義として周の粟を食らわず。首陽山に隠れ薇を采りて之を食らう。(『史記』伯夷列伝・第一);司馬遷は史記列伝の初頭に置き、「天之報施善人其何如哉」(天の善人に報施すること其れ何如ぞや)と慷慨する。




参考資料:
富山奏校注:新潮日本古典集成「芭蕉文集」, 新潮社, 2011
今栄蔵校注:新潮日本古典集成「芭蕉句集」, 新潮社, 2006
堀切実編注:岩波文庫「蕉門名家句選 上」, 岩波書店, 2010
峯村文人校注・訳:新編日本古典文学全集「新古今和歌集」, 小学館, 2012
金谷治訳注:岩波文庫「荘子 第一冊 内篇」, 岩波書店, 2013
金谷治訳注:岩波文庫「荘子 第四冊 雑篇」, 岩波書店, 2012
小川環樹, 今鷹真, 福島吉彦訳注:岩波文庫「史記列伝(一)」, 岩波書店, 2015



ふたたびの生を│小松左京「復活の日」

2021-03-13 | アート・文化


”物”に、”自然”に、”宇宙”に施された運命のはかなさの認識は、かえって人間のもっとも人間的なるもの-----俗世間的なものではなく、圧倒的な”物質存在”と峻別されてある”人間存在”-----精神の姿を、よりいっそう明瞭にするものではあるまいか? 物質と対決し、偶然と闘うことを宿命づけられた人間精神の姿が明瞭になれば-----闘うべき相手は、同胞ではないということが時代の普遍的認識となれば、それは一切の人間対人間の骨肉相はむ争いをおわらせ、かわって”物質”と対決すべき連帯がうまれるのではないか?人間が人間を苦しめ、傷つけ、殺し、”物質”に還元しようとするすべてのこころみに、終止符をうつことができたのではないか?-----すくなくとも、”世界”があるうちに、この認識が普遍化されていたら!

(エピローグ 復活の日│小松左京著:角川文庫「復活の日」, p434-435, 角川書店, 1975)







あなたの桜│水上勉「在所の桜」

2021-03-09 | アート・文化


 私は他人のことはわからないけれど、私なりの暦の中に忘れがたい何本かの桜をもち、そしてそれらのことをさかしらを交えながら、捜し求めて訪れたり、訪れても花に巡り合わなかったことなども書いたりして、桜のことをいろいろと小説や随想にしてきた。けれど結局のとことは、わが心の、あるひはまぶたの桜を書いてきたような気がする。
「今年はどこかね」
 と、山本先生や小林先生にたずねられたとき、たとえ漠然としてこたえられなくとも、目をつぶると、四月の花どきは何処かの桜を見ていたように思う。
 あなたの桜、わが桜。
 人は自分の暦の中に、それぞれの日本の国華の美しさを抱いて生きているのだと思う。

(汝が桜│水上勉著:「在所の桜」, p232, 立風書房, 1991)

本書は、各地の桜と桜をめぐる人々について綴られた珠玉の二十二篇から成る随想集である。写真家・水谷内健次(敬称略、以下同文)御撮影の風情溢れる作品が併載されている。八重桜の表装画は日本画家・秋野不矩御作である。来し方を振り返れば、ついに何処の桜も目にすることがなかった年があり、そして「さまざまのこと思い出す桜かな」とあの時の季節に帰りゆく桜がある。この職業では贅沢な願望であるが、桜花の流れを遡上する魚のように、いつの日か日本列島の桜前線北上を追う旅をしたい。