山クジラの田舎暮らし

岩手県北の田舎に生息する「山クジラ」です。定年後の田舎暮らしや趣味の山行きのことなど、発信していきます。

『北天の十字架』=三好京三著

2014-10-26 07:44:06 | 読書

三好京三の『北天の十字架』を読んだ。物語の主人公は岩手の胆沢地域をおさめキリシタン武士の後藤寿庵である。まず、三好京三について1933年(昭和8年)岩手県生まれの作家。慶応大学文学部(通信)卒業後、「北の文学」「東北文脈」に参加し、1975年(昭和50年)に小説「子育てごっこ」で第41回文学界新人賞を受賞。翌年、第76回直木賞受賞。教育ものや現代ものの他『生きよ義経』『吉事黄金街道』などの歴史小説をてがける。『北天の十字架』の主人公である後藤寿庵は、1975年(天正7年)ころ奥州岩井郡藤沢城で生まれたとされている。葛西家の筋にあたる岩淵氏の子どもである。秀吉の奥州仕置にあたりこれに抵抗した葛西氏ともども岩淵氏は滅ぼされ、天涯孤独の身になってしまう。幼名・又五郎の寿庵は、伝を頼って長崎に行き、そこでキリシタン学校の下働きをしながら、カトリックの教えを身に着ける。豊臣政権のキリシタン弾圧を目の当たりにしながら次第に信仰を深める寿庵。同時に、ポルトガル語にも通じるようになる。この寿庵の能力を見出した伊達正宗は家臣に取り立て、ポルトガル人らとの通訳、また西洋の技術を使った荒れ地の開拓の役を持たせる。赴任地福原で寿庵は教会をたて、自らもキリスト教の布教につとめながら、いわゆる「寿庵堰」の開削に身命をかける。徳川幕府2代・秀忠、3代・家光の時代にキリシタン禁令が強まり、ついに寿庵も任地からの逃亡を余儀なくされる。岩手県南には、その後も隠れキリシタンが残っていたといわれる。その先駆けとなったのが後藤寿庵である。私は、キリスト教を信ずる者ではないが、あのアウシュビッツの虐殺の中でもキリスト教の牧師が信念をつらぬいて、被害者を励まし続けたと「夜と霧」で読んだことがある。困難な中で荘厳に生き抜く姿は、獄中にたたかい続けた共産主義者の先輩たちの姿にオーバーラップするものを感じる。


今日の朝食(10月26日)昨夜の料理の残りを始末

2014-10-26 07:30:13 | グルメ

10月26日。おはようがんす。昨日は、角の浜の「民報」配布に行こうと思ったが、出発前に立ち寄った業者宅で思わぬ長話になり、時間が足りなくなったのでそちらは取りやめ、畑からアズキを採取した。アズキは今年初めて植えたもので、少しまばらに熟しているので、茎ごと抜いたものと、熟したサヤだけとったものとがあったが、結構な量になった。これをシートに広げて乾燥させ、アズキをとり出す。畑に残ったアズキは熟柿具合を見てまた収穫する。火曜日あたりからは休耕田のダイズとクロマメをやらないとならない。

昨晩は、後援会の「収かく祭」で、私は北上の二子サトイモで芋の子汁をつくった。予定して人数より少なかったので、汁が残ればやばいと思ったが、おかわりも出て完売となった。料理担当としてはうれしい。その他は、参加したみなさんが作ってくれたが、かなり残ってしまった。みんなで分けて持ち帰ってもらったが、最後の残りがわが家に来た。それで、今朝は昨夜の料理の残りに始末である。鳥のカラアゲは上げ直し、ホウレンソウのゴマ和えは少しゴマを足した。コマツナのツナ和えと漬物はそのまま。サラダだけは今朝つくったもの。この他に茹で卵が数個あるのだが、今晩のオデンに入れる。今朝食べて残れば和え物は処分しないと危ない。