芦屋の小学校には校庭の隅に土俵があった。少年の体力向上、という掛け声もあったが、体操の時間はよく相撲になった。半ズボンのうえから子供用のマワシというか、厚手の布の帯のようなものを巻いた。ブルという呼び名の級友がいた。彼のことは以前に書いたが、小児麻痺を患ったために、いつも身体が小さく震えていた。ブルは相撲に参加するが、もちろん勝つことは出来ない。力が出ない。そして、誰もがブルと対戦するときは、ゆっくりと両マワシをとって、静かに寄り切るようにしていた。それが身体不自由な仲間に対する思いやりであり、礼儀のようなものだった。そして、ブルは、負けても嬉しそうだった。私の得意技は吊り出しだった。小学生時代の私は長身ではなかったが、相手と4つに組むと、どうしても吊り出そうとする動作になった。子供の相撲というのは、おとなの教えを受けて形を身につけているような場合を除けば、必ず、互いのマワシを取って組み合いになる。あとは寄り切るか、寄り倒すか、偶然に脚がかかるかといったような勝負になる。吊りというのは、自分が仕掛けると、相手も負けまいと吊り返しの形になることが多く、つまりは、力比べになる。だから勝った時はいい気分になる。俺の方が力が強かったと満足する。
今は小学校で土俵があるのは珍しいだろう。小・中学生でプロの力士を目指す子は、土俵のある相撲教室のようなところへ行くのか。高校になると、埼玉栄とか明徳義塾、鳥取城北といった強い相撲部があるようだが、大相撲のテレビ中継を観ながら、たとえば、モンゴル出身の横綱たちの小学生時代はどうだったのかという説明をちょっとしてもらいたいなぁと思うことがある。また、いま人気の貴景勝は、芦屋市の出身だそうだから、もしかして、子供の頃私と同じ小学校のあの土俵で・・・なんて思ったりする。
今は小学校で土俵があるのは珍しいだろう。小・中学生でプロの力士を目指す子は、土俵のある相撲教室のようなところへ行くのか。高校になると、埼玉栄とか明徳義塾、鳥取城北といった強い相撲部があるようだが、大相撲のテレビ中継を観ながら、たとえば、モンゴル出身の横綱たちの小学生時代はどうだったのかという説明をちょっとしてもらいたいなぁと思うことがある。また、いま人気の貴景勝は、芦屋市の出身だそうだから、もしかして、子供の頃私と同じ小学校のあの土俵で・・・なんて思ったりする。