日曜日の朝、ゆっくりとした食事をしている頃、Aさんからの電話が鳴る。「11時頃からどうですか?って」、受話器を取った家人が私に言う。麻雀の誘いであって、Aさん宅が会場になる。Aさんは隣家である。我が家の室番号が406、お隣は405だ。それに31という棟番号がついている。他の2人は別の棟から遠征して来る。Aさんはタクシーの運転手、あとは私を含め会社勤めだ。年齢もだいたい30代の真ん中あたりだ。それが、私の住んでいた公団住宅の麻雀会だった。メンバーはAさんの奥さんが集めた。井戸端会議的なもので、「お宅の御主人、麻雀なさる?」で集めた。奥さんも麻雀が好きだ。雀力は亭主より上である。
ゲームは私が中心だった。必勝と言ってもいい。私は麻雀に合う性格をしている。すなわち、小心で臆病である。麻雀に勝つのは小心者である。気持ちの大きい人間では勝てない。大胆では勝てない。そういう風にできている。ただし、小心臆病が表に出てはいけない。大胆な勝負師を演じなければならない。私はそれが出来た。14歳で麻雀をおぼえ、学生時代、バイト時代を通じて、時にはヤクザ相手に、あるいは阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』に出て来るような得体の知らぬ人間相手に腕を磨いていた。
あるときAさんの奥さんが我が家を訪れ、応対した家人に何枚かの千円札を渡し、「すみません。あと5千円、来月払います」と言った。麻雀の負けを支払いに来たのだった。家人が却って恐縮したような声を出すのを聞いていて、私は、団地麻雀もそろそろ終わりかなと思った。私は他の2人にもナンボかの貸しを残して、団地を去った。41歳のときだった。
ゲームは私が中心だった。必勝と言ってもいい。私は麻雀に合う性格をしている。すなわち、小心で臆病である。麻雀に勝つのは小心者である。気持ちの大きい人間では勝てない。大胆では勝てない。そういう風にできている。ただし、小心臆病が表に出てはいけない。大胆な勝負師を演じなければならない。私はそれが出来た。14歳で麻雀をおぼえ、学生時代、バイト時代を通じて、時にはヤクザ相手に、あるいは阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』に出て来るような得体の知らぬ人間相手に腕を磨いていた。
あるときAさんの奥さんが我が家を訪れ、応対した家人に何枚かの千円札を渡し、「すみません。あと5千円、来月払います」と言った。麻雀の負けを支払いに来たのだった。家人が却って恐縮したような声を出すのを聞いていて、私は、団地麻雀もそろそろ終わりかなと思った。私は他の2人にもナンボかの貸しを残して、団地を去った。41歳のときだった。