花月園競馬場へ行った。バイト休みの日であって、ポケットには千円札が3枚ほどあった。広場というか、予想屋のオッチャン達が叫んでいる場所の片隅にベンチが置いてあって、そこに腰かけて予想紙を読んでいた。隣に背中を丸めた老人がいた。老人は学生ノートのようなものをひろげていて、そこに書き込まれた数字に見入っている。なんとなく気になって覗いてみると、まず、花見園とある。月と見を間違えたのだろう。その下に、第6レース5-6、6-5、第7レース3-4.3-6とある。6レースは終わったばかりでその5-6が的中している。配当は750円だが、とにかく当たっている。私は7レースは別の目を買う予定だったが、どうにも気になって、老人のノートにあった3-4、3-6を2枚ずつ買い足した。レース結果は3-6で、30倍ちょっとの配当がついた。現在の競馬競輪とは違う。3連複も3連単もない。1万円の配当なら大穴の時代である。私は当たり券を現金にかえて、大急ぎで先刻のベンチに戻った。老人を探した。探したがいなかった。他の場所へも行ってみたが、老人の姿はなかった。私は毎年、花見の季節になると、あの日のことを思い出す。
私は花見が好きではなかった。なぜみんなが桜見物に大騒ぎするのかがわからなかったし、83歳になった今日でもわからない。私は、桜花は遠望するものだと思っている。桜の樹の下にビニールを敷いて、ヤキトリ片手にビールを呑みたいとは思わない。テレビのワイドショーなどで、××が満開まであと3日!などと叫んでいるのを見ると、滑稽な感じがしてしまう。これは体質的なモノだろう。私は基本的にお祭り好きでない人間なのだと思う。
私は花見が好きではなかった。なぜみんなが桜見物に大騒ぎするのかがわからなかったし、83歳になった今日でもわからない。私は、桜花は遠望するものだと思っている。桜の樹の下にビニールを敷いて、ヤキトリ片手にビールを呑みたいとは思わない。テレビのワイドショーなどで、××が満開まであと3日!などと叫んでいるのを見ると、滑稽な感じがしてしまう。これは体質的なモノだろう。私は基本的にお祭り好きでない人間なのだと思う。