「Zは客が少ないなぁ」とAさんが言い、Bさんが「うん、がらがらだよ」と応じた。5月初めのことである。Zは、ある業種の量販店として日本有数の企業であって、時々のテレビコマーシャルでは、「××市に新店開業」などと景気のよさそうな言葉もあったが、ふと気になったのが、Aさんは茨城、Bさんは埼玉と住む場所が異なり、その両方が閑散としているらしいことだった。Z社のカブは持っていないので、そのまま忘れていたが、やがて出てきた年度末決算で、悪い数字が並んで「やっぱり」と頷いた。 現場(個々の店)を見ている人の証言は正しいのだと思った。 「この会社に一度行ってみてくれないか」と上司が薄い経歴書を私の前に置いた。つまり、うちに仕事があったら出してやってくれという意味であり、購買課にいた私には、そういう依頼がよくあった。むろん、私は指示に従ったが、新しい下請けをとるのは、いつも現場を重視した。会社の歴史が長いとか、ある技術に秀でているとかいったことより大事にしたのが、製造現場の雰囲気だった。いちばんダメなのは、自分の会社に不満をもっている従業員がいる(それはすぐにわかる)ことだった。 会社の表紙は現場であることは間違いなく、その他のことは(表紙ではなく)1枚1枚のページであることを充分に認識した。 小さな個人医院を含め、多くの医療機関に世話になってきた(今も同じ)けれど、もし友人から、何かの体調不良で問い合わせがあったとき、それならばここがいいと自信をもって答えられるのは3ツほどしかない。詳しくは書ききれないが、医療機関もまた、現場がすべてである。 たとえば、親切で明朗な看護婦さんが1人いることだって、患者にとってはおおいにありがたく、それが現場というものなのだ。
藤沢嵐子さんが亡くなった。私は、彼女の芸名が昔から好きだったが、本名も、早川嵐子さんだった。 年齢は88歳とあるから、大正の最後の生まれであり、その時代のことを考えると、我が子に嵐子とつけるには、ちょっとした勇気が必要だったのではないか。 私は77年生きて来たが、同名の女性を見たことも聞いたこともない(蘭子さんは知っているが、同じ音でも、嵐子さんの方が格上の気がする)。 もう1人、恰好いいなぁと思ったのが、フランスの映画監督イヴ・シャンピ氏と女優 岸恵子さんのお嬢さん、デルフィーヌ麻衣子という名前だ。 母方の祖母の名は「せい」であるが、自分では「清子(せいこ)」と名乗っていた。たぶん、「せい」よりはフレッシュな感じがしたのだろう。そして、祖父も「せい」という本名ではなく、ペンネームとでもいうべき「清子」の方が似合うと思ったのか、日常の呼び名は「せいこ」だった。
私達の同級生あるいは、その前後10年以上の女性達の大半は「子」のつく名前だったが、現在は「子」のつく例は少なく、いわばなんでもありの時代になった。私は2人の娘に「子」はつけなかった。 平凡になることをおそれたのではなく、どこか貴族感がある気がしたからで、たしかに、北条政子も京極竜子もカッコイイけれど、それは北条・京極といった姓があるからで、うちは、近衛様・細川様・島津様ではなく、庶民そのものだ。ま、娘達は自分の名前を気に入っているようだから、それでいい (この文は3割ほどは、以前に書いたものを重複していますが、つい嵐子さんにのってしまいました。ボケではありません)。
私達の同級生あるいは、その前後10年以上の女性達の大半は「子」のつく名前だったが、現在は「子」のつく例は少なく、いわばなんでもありの時代になった。私は2人の娘に「子」はつけなかった。 平凡になることをおそれたのではなく、どこか貴族感がある気がしたからで、たしかに、北条政子も京極竜子もカッコイイけれど、それは北条・京極といった姓があるからで、うちは、近衛様・細川様・島津様ではなく、庶民そのものだ。ま、娘達は自分の名前を気に入っているようだから、それでいい (この文は3割ほどは、以前に書いたものを重複していますが、つい嵐子さんにのってしまいました。ボケではありません)。