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遺伝のおもしろさ

2013-03-27 21:57:16 | 日記
引っ越しのときに、長女が、前の家の庭からいくつもの鉢植えの花を持ってきて、ベランダに並べたのを見て、祖父の遺伝だなと思った。祖父もまた転居のときなどは花を大事にした。誰にも手伝わせずに、何かの球根を、ていねいな手つきで箱に詰めたりしていた。 長女のピアノの才は、私の父から受け継いだもので、これは、横森リョウゾウさん型というか、耳から入った音がどこかの回路を伝って、手指が動くと言う形である。しかし、だからといって、彼女が他の面でも器用というわけではなく、たとえば複雑な形のものを紙で包むといった作業なら、はるかに次女が上であって、これは家人の血によるものだ(家人の先祖については私はよく知らない)。  下戸揃いというわけではないが、呑ん平伝説は我が家では聞いたことがないから、私が呑ん平なのはずっと前の先祖からの遺伝なのかもしれない。 私の父は大学を出て大蔵省に入り、その第一回の給料を競馬(誘ったのは、あの愛知揆一さん)でスッてしまってから、一切のギャンブルはしなかったそうだが、私は14歳から始めた麻雀が、ちょっとした腕前になったし、今でも馬券は毎週買っているし、60歳近くになって始めた株も楽しい。  両親、祖父母(4人)、曽祖父母(8人)と数えて行くと、7代前で、先祖は100人を超えることになり、いろいろな人がいたのだろうなぁと、おもしろい想像ができる。 もしかすると、中には大泥棒がいたのではないかなんて考えるのも、愉しい睡眠薬になるのではないか。

土佐の人

2013-03-27 21:47:54 | 日記
四国4県の「カトウエイコ(加藤栄子)」と覚えると早いと、前に書いた。右がカ(香川)、ト(徳島)、左がエ(愛媛)、コ(高知)である。特に左上の愛媛は日本一の県名(愛しいヒメ)であり、左下の高知は知能が高いとなる。  高地には人物が多いことは『龍馬伝』と『龍馬がゆく』を読めばすぐわかるし、維新のときのみならず、浜口雄幸もいるし、吉田茂も選挙区は高知だった。もちろん薩摩も長州も人物を輩出しているが、薩長には岩崎弥太郎のような大商人はすぐには思いつかない。「土佐っぽ」という語は誉め言葉なのか、それともヒヤカシ言葉なのか、正確には知らないが、ペギー葉山さんの『南国土佐をあとにして』の歌詞の一節に、「坊さん かんざし買うを見た」とあるのを見ると、直感としてケ・セラ・セラの5文字を想ってしまう。  Aさんが煙草を吸っていて、今にもその灰がワイシャツに落ちそうになっている。そんなことには全く頓着しないAさんと、他人の煙草の灰まで気になる私。人間のスケールという点では、太平洋と庭の水たまりの差があると、サラリーマン時代によく思った。Aさんは、今は福島住まいだが、土佐の出身である。 当然のことに、3.11では大きな地震を経験しただろうが、彼ならばケ・セラ・セラと悠然としていたかもしれない。 ただし、コマカイことには弱いから、たとえば麻雀で太平洋が水たまりに勝つことはない。 残念なのは、私が、土佐生まれの女性を一人も知らぬことで、たまにテレビで「高知女の呑みくらべ大会」なんていうのが紹介されたりするが、そういう豪の女性が仕切る酒場へ行ってみたいと思うけれど、77年生きてきても、その機会はなかった。

3月24日

2013-03-24 23:20:35 | 日記
NHKの将棋の時間で紹介された『将棋界の一番長い日』が面白かった。これは、A級1組に残れる8人と落ちる2人の決まる日であって、中でも、陥落するのは誰か?というのは息詰まる勝負になる。 過去31年間ずっとA1を守ってきた谷川浩司九段(連盟会長も兼任)がギリギリの残留。名人戦で森内俊之名人と対戦するのは今年もやはり羽生善治三冠で、昨年・一昨年と同じ顔合わせ。  競馬は高松宮記念で、ロードカナロアの首位は堅く、3連複で、あっちへ7枚こっちへ3枚とバラ買いして、30倍見当を狙ったが、3着はハズすまいと見たサンカルロが9着に沈んだ。 センバツ甲子園に、期待の土佐高校が出場し、スタンドからは万雷の拍手。20年ぶりに見る、あの爽やか全力快走は、気持ちよかったが、いかんせん、打線が細いというか、集中打が出なかった。 先週末のニューヨークダウが90ドル上げているが、為替が少々円高に揺れている。明朝の東京マーケットは(上げで始まる気がするが)どうだろう。  花見のピークは今日かと思うが、晴れてよかった。 花見どころの商店は賑わったことだろう。 なんといっても景気は商店から~である。飲んで食べて、お土産買って~である。 引っ越しの荷物運びが今日終わったようで、これからは、それらの収納が始まる。家人と娘がノンビリできるのはゴールデンウィークあたりか。

2013-03-23 19:05:48 | 日記
幼い頃住んでいた芦屋の家には大木とは言えぬまでも、ちょっとした桜の樹があった。私の記憶に残るのは、そこに咲いた美しい花よりも毛虫である。たぶん花が散った後だったと思うが、樹の下でたき火をすると、おもしろいようにポロポロと毛虫の死骸が落ちた。その作業は祖父と私の役目で、祖母と叔母は気味悪がって、傍にも寄らなかった。毛虫退治をしないとどうなるのか。大きな桜林や並木道ではどうしていたのか。むろん現在では何か薬品があるのだろうが。 母は桜の季節に遠地に旅立った。私は(母との約束で)最期どころか、老衰した母の顔を見に行かなかった。同じ約束は娘もしていて、旅立ち間近の母を見たのは家人だけであるが、私は、母との約束(母の命令と言ってもいい)を守ることが親孝行だと思っていたし、今でもそれが正しかったと思っている。 最後まで母を看てくれた妹からのFAXの文が心に残る。 「病院からの帰り道の夜桜が、とてもきれいでした」。すべてを語っている文章だと思った。 「あれは桜かな?」と家人に訊いたら、「そうよ、少し黄色が入っているのよ」と言う。居間から見るトイメンの山(桔梗山と言うそうだ)に白い花の結集があって、距離的にちょうどいい眺めだ。私は若い頃でも、桜花の下にゴザを敷いて1杯呑みながらの花見なんていうのが大嫌いだ。さくらは遠望に限る。

センバツ開幕

2013-03-23 01:32:05 | 日記
開会式の入場行進の曲は、震災復興応援歌の『花は咲く』で、これは、市内のコーラス愛好会でおぼえてきた家人が時々家で口ずさんでいる。出場校の中に神奈川のチームがないのが珍しいし、ちょっとさびしい。 昨夏の選手権大会で22奪三振の大記録を作った松井投手のいる桐光学園の姿もない。司会進行役の女生徒(諫早高校)の顔が実に好かった。頭脳明晰、性格円満、清純無垢、めったに見られない上質の容(かお)だった。 高知と言えば、春も夏も明徳義塾だったが、今回は高知高、土佐高が出てきた。久しぶりに、あの(攻守交代のときの)土佐高の全力疾走が観られるのが嬉しい。土佐と言えば、山本・永野のバッテリー(2人とも慶大に進学)、六大学で最初のサイクルヒットを打った玉川外野手(慶大に進む)などが思い出されるから、オールドファンの人気は集まるだろう。 大阪桐蔭の春・夏・春の3連続優勝は成るかなど話題は多いが、私が応援するのは、前述の土佐と、常総学院(茨城)、早実(東京)、そしてあの「魔法の合言葉」の校歌の済美(愛媛)だ。 夏の大会は、センバツを観たあとでもあるので、ある程度の予想は立つが、春は難しく、今日もセンバツ優勝の経験のある沖縄尚学、たぶんスポーツ紙などでは優勝候補の一角に挙げられていたであろう履正社(大阪)も早々に敗れ去った。