高校2年の春から翌年の6月まで、我が家は祖父と叔父夫婦、それに私の4人暮らしだった。毎月、祖父からもらうのは昼食代と小遣いで6千円だった。金銭の価値を現在と比べるのは難しいが、当時はラーメン1杯が50円、映画の封切館が120円だったと書けば、凡そのことは理解していただけるかと思う。3千円の小遣いは厳しかった。隣家に住む実践女学院のKちゃんと渋谷でデートするのにも、千円ではギリギリなのだ。切り詰める方法の一つが昼食代だった。叔父の妻であるY子さんに弁当を作ってもらう。「明日、ホットドッグをお願いできませんか?」「いいわよ、あ、またお金が無いのね」、Y子さんは理解が早かった。「明日、慶早戦で帰りに銀座に行くんでしょ?はい、これ貸してあげる」と言って500円をくれたりすることもあったが、いつも「貸してあげる」と言った。それから65年、私は、この借りを返していない。利息年5分として計算するとナンボになるのか。
15年ぐらい前まではサラリーマン時代の仲間との懇親会が年に1,2度あった。その中に、借りのある女子が2人いた。IとHである。私が製造部から購買部へ移って、すぐに世話になったのがIさんで、彼女が結婚して、そのあとを継いだのがHさんだった。前にも書いたが、私は遅刻王だった。産業会社だから、始業は午前8時である。8時5分から電話のベルが鳴る。下請会社からの電話である。中には、私が「明朝8時に電話してくださいと約束したのもある。これを女子社員が受ける。私の出社は8時20分か、遅くなると8時40分なんていう日も少なくなかった。うすうす、そのことを知った人事担当重役が、私に向かって、「あなたの給料の半分は、後ろに座っているお嬢さんからもらっていますね」と言ったことがある。Iさん、Hさんにも借りは返していない。
勝手な想像だが、男性の多くは女性に借りがあるのではないか。よく何かに成功した男性が「妻のおかげです」と言ったりするが、あれは言葉を換えれば「借りがあります」ではないのかと思うけれど。
15年ぐらい前まではサラリーマン時代の仲間との懇親会が年に1,2度あった。その中に、借りのある女子が2人いた。IとHである。私が製造部から購買部へ移って、すぐに世話になったのがIさんで、彼女が結婚して、そのあとを継いだのがHさんだった。前にも書いたが、私は遅刻王だった。産業会社だから、始業は午前8時である。8時5分から電話のベルが鳴る。下請会社からの電話である。中には、私が「明朝8時に電話してくださいと約束したのもある。これを女子社員が受ける。私の出社は8時20分か、遅くなると8時40分なんていう日も少なくなかった。うすうす、そのことを知った人事担当重役が、私に向かって、「あなたの給料の半分は、後ろに座っているお嬢さんからもらっていますね」と言ったことがある。Iさん、Hさんにも借りは返していない。
勝手な想像だが、男性の多くは女性に借りがあるのではないか。よく何かに成功した男性が「妻のおかげです」と言ったりするが、あれは言葉を換えれば「借りがあります」ではないのかと思うけれど。
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