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通学路

2012-04-29 00:50:12 | 日記
4年生まで通った兵庫県芦屋市の小学校は、空襲が始まる前は集団登校ではなく、途中で一緒になった者同士で、15分~20分ほどの道を歩いた。 たまには私一人に女の子が3人ということもあり、すると、背後から「男と女とイイリマメ(炒り豆)」と冷やかしの声がしたが、それは決してハズカシイといった感じではなく、むしろいい気分だったのを憶えている。 5年生から高校1年までの茨城の町では、近所に子供たちがたくさんいて、不規則な集団登校の形になり、中学の2、3年になると、小学1年生の女の子の母親から、「ヤボさん(私の呼び名)、おねがいね」と声がかかったりしたが、小学校は通学コースのいちばん手前にあったので、「ああ、いいですよ」と胸を張ることができた。  高校2年の春に転居した東京世田谷の家の近所は、大学生から中学生まで、その時間になると、玉電の駅に向かう男女が、それぞれ足早に歩いていたが、私は、実践女学園に通う1年下のA子の家の門扉の開く音にあわせて家を出た。  登下校の時間には、学校の昼休みとは違った楽しさがあるが、その楽しい通学路に暴走車が突っ込むという、取り返しのつかぬ、なんとも痛ましい事件が2日続いて起きてしまった。文科省は、改めて通学路を再点検すると言っているが…。

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