夏の暑い日、祖母が神戸のデパートに行くのが愉しみだった。アイスクリームのおみやげが期待できるからだった。昭和15年か16年か、戦争の始まる前だった。家に氷塊を最上段に置いた冷蔵庫があって、その氷をブッカキにして、水を足し、コーヒーシロップかカルピスで作った飲み物が旨かったが、むろんアイスクリームには及ばない。 祖母のみやげは、筒型のケースに入っていて、蓋を開けるとドライアイスの白煙が上がった。アイスクリームは少しとけかかっていて、叔父や叔母、女中さん達も混じって、大急ぎで食べた。デパートの食堂で出てくるものと違って、ウエハースはついていなかった。まもなく戦争になって、アイスクリームどころではなくなるということを、誰も知らなかった。 20年前、脳梗塞で2週間入院した。 痛みも苦しみもなく、ただ右脚の回復を待って、毎日、朝から晩まで点滴薬の滴りを見上げていた。何日目かに、娘がハーゲンダッツのアイスクリームを買って来てくれた。これが旨かった。アイスクリームってこんなに旨いものだったかと思った。酒を呑んでいないから、糖分不足になっていたこともあったかもしれない。その日以後、私は、それまで遠ざけていた甘い物を食べるようになる。冷菓はダメだが、昼食後にアンパン、クリームパン、もなか、ビスケト、時には虎屋の羊羹、文明堂のカステラもある。娘が西の方へ出張するときは、必ず、赤福を頼んでいる。
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