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刻(とき)の長短

2019-07-27 14:51:13 | 日記
人の一生は短い。特に若い刻(とき)、青春時代は短い。曖昧な記憶だが、そんな文章をラッキョウが読み上げた。茨城の中学の国語の授業であって、ラッキョウは担任教師の渾名であり、それは師の顔形からつけられたものだった。人の一生は・・・は、教科書の中の1行だったと思う。

「どうだ?君たちの1日は長いか?短いか?」、ラッキョウが教科書から目を離してみんなを見渡した。師は時々、この種の雑談的な時間を作るのが好きだった。当然に教室中はガヤガヤとなる。「長い時も、みちかい(短い)ときもあっぺよ」という声が多数を占めた。現在の茨城の事情については全く知らないが、70年前の茨城の中学校の教室では純粋な茨城弁が通用していた。「それでは、Y君、どんな日が長く、どんな日が短かいんだ?」とラッキョウがいちばん声の大きいYに訊いた。Yはクラスでは1,2を争う優等生である。彼は顔を赤らめながら、「楽しい時間があるかどうか」の説明をした。正答であるとみんなが納得し、少し静かになったので、私が、「金がある日は短いけど、無い日は長いよなぁ」と言った。大きな笑いが起きた。それが学校での私の役目だった。金の有無は15歳の私の本音だった。祖母の遺品の銀星のスプーンを売って、フトコロの暖かい日は焼きそばが食べられた。今川焼も買えた。そういう1日は短く、ポケットにゼニの無い日は長かった。

大金持ちの一生は短いのか。億万長者の人たちは、死にたくないと思い続けているのではないかと想像することがある。億万長者の一生は短いだろう。百年生きても短いのだろう。

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