高校生のとき、渋谷の井の頭線のガード下にあったパチンコ店「タイガー」で大勝ちしたことがあった。その頃は景品交換所(獲った玉を現金化するとおころ)は存在しなかったので、すべて煙草のピースに替え、顔なじみの三軒茶屋の酒場へ持って行って、1箱35円で買ってもらった。ピースの正価は45円であって、酒場では酔客に「おい、煙草ないか?」と言われたときに10円儲けることになる。煙草を売ったついでにビールを1杯頼むと、「呑めるのか?」と訊かれた。「これも食べてみろよ」とウナギの頭を3つ串に刺した蒲焼をくれた。これをカシラと言い、通人に人気があると、あとで聞いたことがある。それ以後、カシラを食べた記憶はないから、そのときが生涯でただ一度の味ということになる。
重田名人が、「最近はパチンコもスロットもやらなくなった」と言う。「入らなくなった。だから客も減っている。そのうち潰れるんじゃないかな」などと言う。1年ほど前までは、鎌倉のパチンコ屋はダメだから藤沢まで行き、親は逗子まで行っていると話していたから、藤沢・逗子も玉が入りが悪くなったのだろう。ふと思うのが、ギャンブル依存症のことだ。依存症人間を減らすために厚労省あたりが、出玉制限のおフレでも出したのか。パチプロという言葉があるようだが、実際にパチンコを職業とするなんていうことが可能なのだろうか。
昔、パチンコ店には老人客はいなかった。最近はどうなのだろうか。老人だらけの日本国である。パチンコに凝る老若男女がいても不思議ではないけれど。
重田名人が、「最近はパチンコもスロットもやらなくなった」と言う。「入らなくなった。だから客も減っている。そのうち潰れるんじゃないかな」などと言う。1年ほど前までは、鎌倉のパチンコ屋はダメだから藤沢まで行き、親は逗子まで行っていると話していたから、藤沢・逗子も玉が入りが悪くなったのだろう。ふと思うのが、ギャンブル依存症のことだ。依存症人間を減らすために厚労省あたりが、出玉制限のおフレでも出したのか。パチプロという言葉があるようだが、実際にパチンコを職業とするなんていうことが可能なのだろうか。
昔、パチンコ店には老人客はいなかった。最近はどうなのだろうか。老人だらけの日本国である。パチンコに凝る老若男女がいても不思議ではないけれど。