H子さんとは同人誌会で知り合った。お手紙を頂戴して、その文字が私の母のそれに似ていると思った。H子さんは大正12年、母は同3年の生まれである。2人の文字は綺麗だった。流れるような文字であり、いかにも書き馴れた感じがあった。もうひとつが、おしゃれということだった。大正女性の文字のおしゃれを想った。H子さんからは、ご主人の仕事上の関係を通じて、山口瞳先生の筆文字をいただき、それを我が家の表札に造った。筆文字は茶封筒に入っていて、そこに治子とあった。瞳氏夫人の名である。とてもきちんとした印象のある署名だった。
祖母は毛筆に自信があったのか、色模様のある短冊状の紙に細い文字で歌のようなものを書いて、客間なんかに貼っていた。それが誰かの歌なのか自作のものなのかは幼い私には当然にわからなかった。そもそも祖母の書く文字はひとつとして読めなかった。残念なのが祖母の所が、現在ひとつも残っていないことである。
私の妹は、おおらかな文字を書く。ゆったり、おっとりした好い字だ。何かに失敗しても、ま、いいじゃないのと笑うような、いつも物事を善意に解釈するような、そういった雰囲気がある、ウチの長女も大きい字を書く。絵で言うと、画用紙いっぱいに描くというような、気持ちのよい文字だ。妹の文字とどこか似ている気味合いがあるが、そこのところうまく表現する言葉が出て来ない。敢えて言えば、幸福感だろうか。次女は小さくまとまった字だ。全体的に丸みがある。10人が見れば8人が、かわいい字だと言うだろう。
文字と性格には関係があるか、については以前に書いた。たいていは、文字は人なり であるが、時にはビックリするほどのズレがあるといったようなことを
書いた。女性の場合は、文字はその人をあらわすことが、男性よりは多い、それだけは確かだと思っている。
祖母は毛筆に自信があったのか、色模様のある短冊状の紙に細い文字で歌のようなものを書いて、客間なんかに貼っていた。それが誰かの歌なのか自作のものなのかは幼い私には当然にわからなかった。そもそも祖母の書く文字はひとつとして読めなかった。残念なのが祖母の所が、現在ひとつも残っていないことである。
私の妹は、おおらかな文字を書く。ゆったり、おっとりした好い字だ。何かに失敗しても、ま、いいじゃないのと笑うような、いつも物事を善意に解釈するような、そういった雰囲気がある、ウチの長女も大きい字を書く。絵で言うと、画用紙いっぱいに描くというような、気持ちのよい文字だ。妹の文字とどこか似ている気味合いがあるが、そこのところうまく表現する言葉が出て来ない。敢えて言えば、幸福感だろうか。次女は小さくまとまった字だ。全体的に丸みがある。10人が見れば8人が、かわいい字だと言うだろう。
文字と性格には関係があるか、については以前に書いた。たいていは、文字は人なり であるが、時にはビックリするほどのズレがあるといったようなことを
書いた。女性の場合は、文字はその人をあらわすことが、男性よりは多い、それだけは確かだと思っている。